16 湖上の攻防
# 湖上の攻防
湖面に広がる霧を裂いて、銀黒の装束をまとった男が現れる。
バルド・オルフェン。ブルー派最大手《オルフェン機巧舎》の創業者にして現役のプロ釣り師。その威容に、観客は息を呑んだ。
「まさか本人が……」
「スポンサー自ら、庶民の娘を叩き潰す気か!!」
ざわめきの中、二つの影がバルドの背に並ぶ。
一人は甲冑姿の若き騎士、令嬢の側近にして護衛。魔術符を握り、視線は鋭い。
もう一人は大柄な漁師風の男、腕は丸太のように太く、竿を支えるだけで大魚を仕留められそうな迫力だ。
「三人……?」
「特殊ルールか……」
アナウンスが響く。
「この第四戦は三名の同陣営による協働試合とする! 制限時間は一刻!」
湖上に緊張が走る。
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合図と同時に、バルドの多関節竿が唸りを上げた。
竿は生き物のようにしなり、リールが自動で糸を送り出す。湖面を走る制御式ルアーは蛇のような軌跡を描き、瞬く間に魚影を翻弄した。
「これが……最先端」
観客の誰かが呟く。
一方、ナナシィは静かに息を整え、仕掛けを放つ。
胸元の翡翠玉が淡く震え、祖母の声が蘇る。
〈魚は目じゃなく、影と匂いで動く。人も同じだよ。大事なのは、目に見えぬもの〉
水面に重なる二つの軌跡。
機械の精緻さと、人の直感が火花を散らした。
やがてバルドの竿が大きく弧を描いた。
湖底から浮かび上がる巨魚の影。観客がどよめく。
「支えます!」
騎士が魔術符を掲げ、竿に魔力を流し込もうとした。だが、
「下がれ!」
バルドが一喝する。
驚いた騎士は一瞬動きを止める。だが本能は、腕を竿に添えていた。魔術ではなく、生身の力で支える形になってしまう。
その瞬間、竿はわずかに安定した。
(……魔術より、力の方が役立っている?)
観客の誰もが気づき、ざわめきが広がる。
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次の瞬間、竿がさらに激しくしなった。
「今だ、手を貸そう!」
漁師風の男が巨腕を伸ばす。
「要らん!」
バルドの声が雷のように響いた。
漁師の手は空を切り、観客席から失笑が漏れる。
「頑固だな……」
「いや、誇りか?」
その隙を突くように、ナナシィの仕掛けが湖面を走った。翡翠玉の導きで竿の角度を変え、魚の動きを読んで一気に引き寄せる。
竿先が震え、糸が鳴った。
「くっ……!」
バルドの巨体がわずかに揺らぐ。
戦いは拮抗した。
バルドは最先端の機巧で魚を操る。
ナナシィは自然と直感で応じる。
背後の騎士は魔術を控え、ただ腕で竿を支え続ける。
漁師風の男は結局、手を出せず立ち尽くす。
時間は刻一刻と過ぎ、残り僅か。
最後の引き合い。
湖面を割って飛び出したのは、銀鱗の巨大魚。
その影を巡って、二本の竿が交差した。
「決着だ!」
観客が総立ちになる。
ナナシィの竿が最後にしなり、魚が彼女の足元に転がった。
審判席に緑の旗がセットされる。
「勝者は……ナナシィ!」
歓声が爆発する中、バルドは深く息を吐き、竿を下ろした。
騎士は肩で息をし、漁師風の男は拳を握りしめて唇を噛んでいる。
バルドは二人を制し、自らナナシィの前に歩み出る。
「……完敗だ。己の技を過信し、支えを退けたのは私の愚かさだ」
その瞳に宿るのは敗北の悔しさと、誇りを貫いた清々しさだった。
ナナシィは竿を胸に抱き、静かに「ありがとうございました」と頭を下げた。
歓声の渦の中、勝者と敗者は互いを讃えるように一瞬視線を交わした。
その光景は、観客の心に深く刻まれていった。




