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不思議な少女

 匂いが、空腹を直撃した。

 目指す人だかりから漂う香りに、ルシェオスは目を見開く。

 腹が勝手に鳴るのを、止められない。


 時刻は昼。貯水湖から城へと続く大通りから一本入った、市場通りである。

 有名な飲食店や大商人の厨房からならともかく、露天の屋台からの匂いだ。

 三十八年生きて来て、こんなに暴力的なまでに食慾を刺激されたことがあっただろうか。


 少なくとも、この街へ難民同然で転がり込んでからは一度もない。


 ルシェオスは鍛え上げられ日に焼けた赤銅色の腕で、石畳の道に居並ぶ群衆の中を泳ぐようにして進んだ。

 香りが強くなる。脂の匂いだ、と漸く気付いた。

 鉄板に金属の調理具を打ち付ける「チンチン」という音が耳に心地よい。

調理しているのは、小柄な少女だった。


「いらっしゃーい!いらっしゃいませー!!」


 黒目に黒髪。この辺りの世界の出身ではあるまい。

 威勢のいい呼び込みの声を上げるまでもなく、周囲には料理を買おうと客が押しかけている。

 粗末といえばこれほど粗末な屋台もない。


 屋根にする幕さえなく、どこからくすねてきたのか、幅広の鉄板を一枚、両脇に積み上げた煉瓦を支えにして渡している。それだけだ。

 およそ、店というもののもっとも単純なかたちの一つに違いない。


 けれども、その店はどんな商売人も羨望するであろうほどに客を引き付けているのだ。


 鉄板の上ではよく捏ねた挽き肉の塊がじうじうと音を立てている。肉から出るたっぷりの脂で焼かれた肉は香ばしく、堪らなく美味そうだ。

 広い鉄板ではこの肉だけでなく、平たい麦麭パンも肉の脂で焼き目が付けられており、銅銭を払った客はこのパンに肉と新鮮な野菜を挟んだものを受け取っている。


 品物はこれ一種類。


 余計なものなど必要ない。これだけで十分。そう言いたげだ。


 ルシェオスの喉が、鳴った。

 焼いた肉を麦麭(パン)で挟む料理など、珍しくもなんともない。誰にでも思いつくものだ。

 それなのに、どうしてこうも目を離せないのか。


「美味ぇ!」


 今しがた料理を受け取った客が肉挟み麦麭(パン)に齧り付き、歓声を上げた。

 ああ、クソッ!


 これは大切な任務だというのに、ルシェオスの頭はあの料理のことでいっぱいになる。


「その料理、一つくれ!」


 少女に向かって、ルシェオスは声を張り上げた。

 武人の咆哮に、辺りの客たちが一瞬で静まり返る。

 調理の手を止めた少女の黒い瞳がルシェオスの方を射抜くように見つめた。


 美しく、強い目だ。


「ダメだよ、おじさん。順番だ。待ってる人たちがいる」

「金なら出す」

「金の話じゃない。信義の話をしてるんだ」


 ルシェオスは笑いが込み上げてくるのを我慢できなかった。

 小娘と言ってもいい年恰好の少女が、倍ほどの歳の男相手に啖呵を切っている。それも、屋台の飯屋が信義(・・)とは。


「……なるほど。分かった」


 答えを聞いて、少女が小さく息を吐いて弛緩するのをルシェオスは見逃さなかった。精一杯の虚勢だった、ということだろう。つまりこの少女は、本当に信義なんてものを信じているのだ。


「分かったなら、列の最後に並んで」

「いや。そのつもりはない」


 懐から革袋を出すと、ルシェオスは銀粒を無造作に掴んで掌を行列へ突き出した。


「オレは順番を買う。譲ってくれれば銀一粒だ。どうか?」


 ズイと突き出した手から、行列に並んだ有象無象が恐る恐る銀粒を受け取っていく。

 銅銭で支払うのが当たり前の人々にとって、列の順番を譲るだけで銀粒が貰えるのであれば、これほど嬉しいことはあるまい。


 その様子を苦々し気に、しかしどこか愉しそうな表情で少女は見つめている。


「というわけで、オレの番になった。この肉挟み麦麭(パン)をくれ」

「ハンバーガーだ」


 じうじうと肉を焼きながら、少女が呟くように言った。


「ハンバーガー。変わった名前だな。オレはルシェオス。〈壁穿ち〉のルシェオスだ」


 名乗ったルシェオスの顔を、少女はまじまじと見つめ、それから破顔する。

 咲くような笑みだった。


「私の名前じゃないよ。料理の名前だ」


 笑われて、ルシェオスは自分が勘違いしていたことに気が付く。紅潮しつつ周囲を睨みつけると、群衆の中で噴き出しかけていた連中が慌てて口を押さえた。


「小早川まもりが私の名前。小早川が姓で、まもりが名前。二つ名は無し」


 ふぅん、と応じながらルシェオスは顎を撫でる。

 やはり遠方の世界の出身なのだろう。

 蒼天に無数の世界が浮かぶこの多島界(アーリスフィ)では、飛空艇や飛竜を使って、思いもよらぬほど遠くから人がやって来ることがあるのだ。


 きっと、コバヤカワ・マモリもそういった人々の一人に相違あるまい、とルシェオスは見当をつける。

 コバヤカワ・マモリ。舌の上に転がしてみるが、呼び慣れぬ名だからか、どうにも座りが悪い。


「マモリは発音しにくい。マモ、と呼ぶ」


 同意を求めるのではなく、宣言だ。相手のことをどう呼ぶかは、好きにする。少女マモも、異論はないというより、諦めたように小さく肩を竦めた。

 お好きにどうぞ、ということだろう。料理以外のことにあまり頓着しない性格なのだろうか。


「お待たせ、ルシェさん」

「……ルシェオスだ」


 名前を略されることには慣れていないルシェオスだが、相手の名前をマモと縮めて呼ぶと宣言したばかりだから、大きなことは言えない。

 それよりも、ハンバーガーだ。


 手渡された麦麭(パン)は見た目よりもずっしりと持ち重りがする。


「食べ方は?」


 尋ねるルシェオスにマモはまた首を竦めた。


「お好きにどうぞ。貴族や大商人みたいに小刃(ナイフ)叉子(フォーク)で切り分けて召し上がってもいいかもしれませんが……」


 マモは手ぶりで、豪快に齧り付く真似をして見せる。


「私なら、行儀悪く齧りつく(・・・・・・・・)、かな」


 そう言って、悪戯っぽく笑った。いい笑顔だ。確かに先ほどの客も、傍目など気にせずに齧っていた。


「では、御免」


 ルシェオスは、覚悟を決めて肉挟み麦麭(ハンバーガー)に齧りつく。

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新作ー!! 続きを楽しみにさせていただきます
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