ターシャの茶会、及び講和会議
とある三か国が会議に招かれた。いずれも戦争の当事国。代表が一同に会する今日、これまで流した血の結果が決まる......
そう意気込む彼らを迎えたのは敵国の代表者。名前はアナスタシアと言い、大帝国の皇女であった。彼女の周りにはティーセットがあり、会議の主催者は茶会の提案をする。
『本題』の前に、自国の命運を握る者たちが各々、一個人として同じ円卓を囲んだ。
華やいだ茶の香りは彼らに届いているのだろうか?
「味は如何です?」
ティーカップから細く立ち上る湯気。男は滋椀を手に取り、少量含んだ。
「良い茶です。葉は勿論、入れ方にもこだわっていると見えますね」
「あら、分かります? 皆様をお迎えするにふさわしい物として、私自身が見繕ったのよ?」
彼女は目を細めながらそう言った。決して眩しいわけでは無い。
「結構なおもてなし、感謝いたします」
「いいの。レーモンさんがお褒めしてくださるなんて、やりがいがあるわね」
レーモンはカップを置き、他の二人に向かって口を開く。ぶっきらぼうに言葉を放ったようだった。
「ゴッドフリー、レーモンドさん、毒は入っていませんよ。私が保証します」
腕を胸の前で組んだままの二人は黙り込んでいる。いずれもまだ熱いそれを眺めていた。そこにある感情はそれぞれだろうが。少なくとも明るいことは期待できない。
「あら。私が信用できないの?」
彼女の目は細いまま、しかし先ほどとは異なり何かを含んでいる。その念を隠そうともしていない。だが不思議なことに表情は変わらないように見える。
「最も、お前と俺には毒耐性があるからな。そんなこといちいち言う必要もない」
ゴッドフリーは取っ手を掴み、一気に含み、嚥下する。決して多量では無いが相当に熱い。はずなのだが苦しむ素振りは見られない。
「どうして貴方はそれを知り得ているんでしょうね?」
老人はまだそれを飲んではいなかったが、滋椀から香りを味わっている。鼻腔がこれほどというまでに膨らんでおり、確かにこの茶会を楽しんでいた。
白いトーガを纏っていて、留め具は紫色。見た目こそ優しい、普通の老人だが肌は小綺麗に見える。若い時には国一番の美男と称されたらしいが、そんな彼にも弱点が存在する。髪が無いのだ。
「ゴッドフリーさんがレーモンさんに毒を盛ったのは有名な話でしたね」
茶会の主催者は微笑む。窓から差す光は薄く、彼女の可憐さを十分に引き出していた。長い白銀の髪は毛先まで整えられている。乱れという物を一切知らないらしい。凛々しく、品のあるという表現が正しいのだろうか。
「貴方が私にしたように」
声の主はまだまだ冷めないそれを手にして、今だ豊かな匂いを堪能していた。
「その節はどうも。ゴッドフリーさんはそんなに急がなくても、お茶は逃げませんよ」
ポットは独りでに動き、ゴッドフリーのカップを満たす。彼はお茶請けとして出されたサンドイッチを手に取った。注がれた物には関心を示さない。
「アデマール司教。あなたはその際、どのようにして回避したので?」
「レーモンさん。私は回避などしていませんよ。お気持ちを真っ向から受け取らせていただきました」
「じゃあ、あんたは生き返ったとでも言うつもりなのか?」
司教はカップを置き、一間置く。発声の為に空気を食み、
「ええ。神の思し召しでしょう」
これには主催者も開いた口が塞がらなかった。アデマールは笑っているように見えたが、その眼はどうだったか。少なくとも視線は毒を盛った本人に向けられている。
「アナスタシア様。おかわりをお願いします」
一杯目を味わったレーモンは二杯目を要求する。少々茶目っ気があるらしく、服にはベージュのシミができていた。彼はそれに気づき、浄化魔法を無詠唱で唱える。誰かが同じく浄化魔法を詠唱した。結局は重ね掛けとなり、服はより白くなる。
「ぜひ『ターシャ』とお呼びください...... どうぞ冷めぬうちに」
彼女、ターシャは彼を同じ魔法使いとして認めたようだ。無論、この席に着く前からそのような考えを持ってはいたが。
その傷一つない手でポットを取り、客人に供する。白い肌がじんわりと赤みを帯びていた。
「先ほどとは趣向が少々違いますね...... ウガルトからの舶来品でしょうか」
「さすがですね。この花瓶もそこの物でしてよ。さすがはナルコシア第一王子なだけありますね」
「一体何のことか......」
ウガルトとは東方、正確は南東に存在する都市国家だ。ガラス工芸が有名であり、嗜好品の輸出においてその名を知られている。
主な取引先はナルコシア。そのため、他の国に比べてウガルトの商品に詳しいらしい。
「なるほどな、アナスタシア。他の王子様が次々と亡くなる中でレーモンだけが健在だったからな」
ゴッドフリーは滋椀をソーサーに戻した。中身はまたしても空である。不穏な笑みを浮かべた彼は赤い、深紅の髪を後頭部へとかき上げると、スコーンを二つに割り食べ始めたらしい。粗雑で乱暴な食べ方だが、不思議と食べかすはこぼれていない。
「惜しい姉弟を亡くしたものです。それに私は第二王子ですから......」
「そこまでお前の順位は繰り上がっていたのか。まったく知らなかったな」
この情報は誰も知らない。確信も無い。いわばブラフであり、彼の言葉は間違いなく皆の耳に入った。一同はひとしきりに笑い、そして静まる。
薄光は雲に覆われ、さらに部屋は薄暗くなった。対談に支障は無い程度だが。
「......アデマール様。その葉が気に入ったのなら少々分けましょうか?」
「いえ、結構。遠慮させていただきます」
「蜂蜜も御座いますよ」
「では」
アデマールは最初の一杯を愛でるようにして飲みたがらなかった。見かねたターシャが催促したようで、司教はそれを飲み始める。甘党という噂はあったが、よもや『甘くないと飲めない』達であるとは誰も知らなかった。
事実、老人は勢いよく内容物を飲み干した。そして二杯目を望む。勿論、蜂蜜付きで。
「ゴッドフリーさんの髪は素敵ね」
「......ありがとう、ございます。これは母親譲りの物で」
輝く胸の防具はそれを映す。確かにその赤は引き込まれるほど美しい。深紅としようか、粗野な彼らしく整えられた跡は無いが、それがかえって深みを与えているのかもしれない。
その色も特徴的。しかし、彼らしさを引き立てているのはそれだけでは無い。つけている髪留めにもあった。
「少し、聞きたいんだが」
「お聞かせください」
赤髪は主催者に正対する。彼はまるで、忘れ物の所在を問うような、たどたどしい口調で切り出す。
「母は、私の母はどのような人だったのですか?」
アナスタシアはカップを置いた。極めて、静かに。残りの二人は各々、菓子や茶を食している。が、その耳は確実に二人に向いていた。
「そうね。貴方のお母さんについては知らないことも多いわ。話せる限りだけど......」
少し間が開く。彼女は聞き耳を立てている者に対し、一通りの考えを巡らせていた。ただ、それ以上に頭にあったのは、彼にどこまで話すべきかという物だ。
「私の父から聞いた話だけど...... 魔法に秀でた方だったわ。その才覚はこの地域でも随一だったそうよ。貴方の髪は確かにあの方の物。目の色も同じ」
「魔法か...... 聞いたことないな」
ゴッドフリーは首を傾げた。当然、そんな腕前なら彼の耳にも届いているはずである。
「でしょうね。彼女はそれを隠していたらしいから」
「どうしてか分かるか?」
「いいえ。そこまで聞いたことが無いから何とも」
「ただ。予想としては...... 恐らく過去を忘れたかったのでしょうね」
そう言い終えるとターシャは再び滋椀を口へ運ぶ。保温魔法の機能でまだまだ熱いはずだが、一息に飲み干した。
「知っているのはここまでね」
「そうか...... ありがとうな、ターシャさん」
「詳しいことは大森林のケンタニアが知っていると思うわ」
ゴッドフリーはその名前を繰り返す。髪留めを外し、そして付け直す。
雲の間から零れた薄光が、窓を通って彼を照らしている。
「貴方からその名前を聞くことになるとは思いませんでしたね」
レーモンが切り出す。彼の口にはクラッカーのカスが付いていたが構わないようだ。
「ウガルトの討伐隊が全滅した事件、あれ貴方がやったことでしょう?」
「ええ。気まぐれでね」
表情は確信を掴んだいるように見える。しかしその真意は......? 彼がどこまで知っているかを知るものはこの中にいない。
「違いますね。本当はあのドライアドに唆されたのではありませんか?」
彼女は答える。薄く、笑いを含んだ表情だった。
「さあね」
彼は追撃をかける。強攻とも言える。
「とぼけないでくださいよ。この書状の限りでは、あなたは森の主と相当つながりがあるようですが」
彼がそう発し、虚空から一枚の羊皮紙を取り出す。顔は自身に満ち、意図は先の意趣返しといったところか。
そこには、森の主であるケンタニアが帝国に保護を求める旨が述べられている。求めた先は彼女の祖国、ロマン帝国だった。
「貴方は森の主に働きかけ、援軍を送ることによってその勢力を伸ばそうとしていた。間違いありませんね? その選択はナルコシアだけでなく他の国まで危険を及ぼすことはお分かりですか?」
ゴッドフリーとアデマールは茶を飲み干してしまった様だ。今は円卓の中心に置かれた菓子に手を付けている。
それより彼らの関心はその紙の真偽だ。停戦中の敵が自らの勢力を伸ばそうとしているなら気が気ではないだろう。
「そのような書類に見覚えはございません。バレンタイン、あれをお願いします」
その名前はターシャが連れた従者の物だ。片目が開いていないのは恐らく刀傷の為だろう。主と同じ銀髪だがそれは白髪と言った方が正しい。隠しているが何か所もの痣と傷。刺傷、切り傷、矢傷、刀傷。火傷の痕、凍傷で変色した所も見受けられる。
もともとは傭兵でもしていたのだろうか。
彼女が何の防御策も講じていないわけがないのだ。勿論、そのことはレーモンも把握していたが、提示されたものは予想していなかった。
先ず、主張を崩すためにはドライアドの約束を反故にしないといけない。彼女自身が討伐隊を壊滅に追い込んだのは、ここの四人と従者にとって既知の事実だ。約束は果たした訳である。
そして、この件について行方不明になった書簡は、把握している中では存在しない。不審な動きもない。それだけ厳重に管理していたのだ。漏洩しているはずなど無かった。
ただ、そこには『ナルコシアは討伐隊の撃退を支援する』とある。
「貴方たちお三方の国境は大森林と切通によって遮られていたはず。森に手を出したいのはどこも同じようですね」
傍聴者は二枚の紙を穴が開くほどに見つめていた。書式、文字、書き手の癖、花押、紙質まで観察している。
「その真偽、私が確かめましょうか? 仕事柄、筆跡を見分けることは得意でね」
「ありがたいお言葉ですが...... お互いの利益のために詮索はよしましょう」
「......ええ、そうしましょう。アナスタシアさん」
結局、双方ともそれ以上は進まなかった。資料をどこで入手したのか、露見することを恐れたのだろう。本拠地に帰還すれば調査は始まるのだろうが、それはこの場ではないと判断したようだ。
「どうせどちらも正しいので。いかにもケンタニアがやりそうなことです」
彼女はどこか呆れたような表情をした。ふと、持ち上げたカップが空だったことを認知する。口元まで上がった手は机まで降り、ポットに向かう。茶の入った白い陶器は魔法陣によって温められている。術はテーブルクロスに施されていて、それターシャのお気に入りの一つだ。
「これで用意した茶葉は最後ですね」
空になっていた椀は四つ。中央のお茶受けも確実に減っていた。ちょうどいい頃合いだろう。薄く、柄の少ない滋椀に茶が注がれる。各々の動作がひと段落した後、揃って茶を口にした。
「......不思議な味です」
「香りが無い?わけではないんだが......」
「甘いのか...... 苦味もあるようだな」
三人は首を傾げる。先ほどまでの物は大変に美味であった。しかし、今出されたものが最後を飾るものとして適切なのかどうか。
「皆さんはどのような味に感じましたか?」
「酸味が強く、すっきりしていたと思います。はい」
「俺は無味無臭、強いて言うなら枯れた薔薇の匂いがしたぜ」
「私は甘く感じましたが...... お二人とは違うようで?」
一同は互いの顔を見合わせた。同じポットから注がれたことを全員が確認している。それなのに味が異なるとはどういう事か。
しばらくして三人はその意図に気づく。
「人によって味の変わるお茶。珍しいでしょう?」
ターシャは続けた。
「各個人の思い出、体の状態で味が変わるのよ。体調が悪い人には不味く感じるらしいわ」
声のトーンには色が無い。そこにいたのは『ロマン帝国代表』だった。先ほどまでの『アナスタシア』では無い。
「この中では誰が飲んでも、同じような感想になると考えますね」
「ここだけじゃないな。この戦に参加した者、全てがそうだろう」
彼らの顔も又、『ゴッドフリー』でも『レーモン』でも『アデマール』でも無い。それぞれが一国の代表としてそこにいた。
「バレンタイン、片づけを」
茶の華やかな香りは途絶え、ただ無機質な重い空気が空間を満たしている。
徐々にテーブルが片付いてゆき、いつの間にか何枚かの紙が配られていた。
「タンク。ペンを用意してくれ」
ゴッドフリーは使者に筆記用具を用意させた。他の者も用意し始める。
それまで姿を見せていた太陽は雲に隠れる。辺りは陰に満ち、景色の彩度が下がった。それでも雲の切れ目が現れ、光は草原の一部を照らしている。草花はその度に色づき、華々しく映えた。仮に再び闇に飲まれても、記憶の中では美しいままだ。
アナスタシアの、固く結ばれた唇から言葉が零れる。
一同が何年もの間待ち望んだ言葉だ。そのために多くの血が流れ、本が失われ、廃村が生まれた。残った都市では人口密度が増加し、人々は不衛生な城壁の内で不安に怯えている。
「さて、この戦争を終わらせましょう」
「それで、結果は?」
「ああ、これを。すぐにでも本国に伝えないとですね」
「貴方の母親の事ですが...... 伝言がありまして」
「誰からだ?」
「......森の主からです」
「司教。本当にこれでよかったのですか?」
「民が飢えなければよい。それに...... 蜂蜜に免じよう」
「皇女様。お疲れさまでした」
「ありがとう、バレンタイン。貴方こそお疲れでしょう、仮眠でも取ったらどうです?」
「......いいえ。帝都までは職務を果たしますよ」
戦争は終わった。これからは戦争を終わらせる為に、各々が各々の戦いを続けるのだ。安寧の地は未だ遠いが、人々は進み続けるしかない。