昭和とレイワ
正直僕は昭和とかレイワ、気にならないかな。
今が1番だと信じたいから。
僕は最近、ある行事を通して大人と話す事が多々ある。
その中で経験した。不思議な体験を話したいと思う。
「昭和は暴力が凄かったんだぞ〜!」
「レイワはちょっと問題があるだけですーぐネット」
「はぁ…昭和だったら鉄槌じゃ」
そう言いながらその人はわざとらしくため息をついた。
僕はそれを頷きながら聞き流していたが、ある点が以上に引っかかった。
なぜここまでも自慢気に話しなぜそんなにも今を否定して話すのだろう?なぜ今を否定できるのだろう?
彼の中ではそんなに"カッコイイ"のだろうか?
正直、僕は"ダサイ"と思った。
ダサイと思う理由は3つほどある。
それは、
暴力はしてはいけない事
しても意味がないと思う事
反復するが単純にダサイ事だ。
暴力はしてはいけない、それはレイワ世代だったら
知っているはずだ。
そして暴力した所で良い所がほとんどないという事。
暴力した所でプラス要素と言えば
ストレス解消、強さの証明くらいだろう。
マイナスが大きすぎる。
単純にダサイのは僕の意見だ。暴力にかっこよさを感じない。
ここまでの意見をまとめると僕は暴力否定派だ。
でも彼は暴力をあくまで自慢かのように話す。
それをなぜなのか考えてみた。
まず、僕が考えたのはこれだ。
自分の時代を美しいものしたい。という気持ちだ。
この気持ちが彼はとても強いのではないかと思った。
こう考えた理由は、彼はレイワを否定すると共に
今のニホンの在り方を否定していた。
昔の日本は良かったらしいのだ。
なぜなのかを聞いたが、昔はとにかく輝いていたらしい。とにかく自分が生きた昭和はすごいのだ。自分が生きた日本はすごいのだ。
彼は言葉の裏で本当は暴力はよくないと分かっているのでは無いか?
その憶測を肯定する言葉を彼は放った。
彼は1つだけ昭和を否定した。
「教師はクソ、俺は教師と拳で戦っていた」
ここで僕はピンと来た。
暴力を自慢したいのではない。
自分の今までの人生を肯定したいのだ。
暴力をして来た自分の人生を正当化したいのだ。
レイワを馬鹿にするのもこれで分かった。
僕を否定する事で自分を肯定しているのだ。
彼は誰がどう言おうと昭和>レイワなんだろう。
そう考えてしまう心は狭く、"ちっちゃい"と思った。
彼は今を受け止めて昔の自分を前に進めることはできないだろうか?
彼は昭和から令和に彼は歩き出すことは出来るだろうか?
僕は今を今までの1番だと信じたい。
そう信じておきたい。
最後に言っておきたい、僕は昭和が令和より優れているとは思っていないが劣っているとも思っていない。
それは誰かが生きた時代を馬鹿にしたくないと思ったからだ。