入学前夜
昔から、運自体は悪かった。といっても犬の糞を踏んずけたりだとか、モノが頭の上に落ちてくるとかそんな小さなもので、今回のような大きいものではなかったのだ。ここから先の地獄に対して犯した過ちはただ一つ、これまで生きてきたことだといわれるようなものではなかったのだ
...頭が回らない。いつの間にか眠っていたのだろうか。長く眠っていた時を強制的に起こされたように突発的な苛立ちが感情を支配する。視界もぼやけていて何も見えないはずなのに目の前には何かしら不安と凶器の二つが渦巻いている。少し経つと視界がはっきりと見えるようになり世界がこちらを覗くようになった。見慣れない天井ではあるもののどうしてだろうか、真っ白で汚れ一つない天井に不快感が急速に募っていく。金縛りがほどけたかのような体を起こすと着た覚えない服装で寝かされていたことに気が付いた。学生服だろうか、紺色のブレザーとセーター、白のワイシャツ、鈍色と黒のチェックの長ズボンを着用している。ただしその制服すべてに小さく見知らぬ校章があてがわれている。少なくとも今年入学する高校の制服ではないようだ。そのような考えをできるように冷静さを取り戻すと周りを見渡す。赤色の壁、ところどころに在る木製の柱と扉、この一室に似つかぬ鉄板とボルトとナット。本来窓でも取り付けるところなのだろうか、籠城戦でしようと言うのだろうか非常に大きく硬い鉄板をボルトが繋ぎ止められている。
観察しているとどこからかのバイブレーションがなった。ふと枕元に視線を落とすとそこには制服にあてがわれている校章が背面に描かれたスマートフォン型の電子端末が置かれていた。側面に電源ボタンであろう突起を押して起動させる。起動とともに自分のプロフィールを我が物顔で表示している。上部に生徒証と書いている為、電子生徒手帳なのだろう。こんな学校に入学した覚えがないということを抜かせばよい学校なのかもしれない。そのような生徒手帳にメールボックスに一通の着信が来ていた。残り10分で入学式が行われるとのことで早く体育館へと集合しろというものであった。初めて来た場所の施設がどこにあるかなど知っているわけもなく途方に暮れていると自分の端末で動き回るアイコンが目についた。そのアイコンをタップするとAIにしては表情が豊かな女子生徒がこちらに顔をのぞかせる。
「おわ!?」
滑稽にも突然の出来事に手が滑って頭を壁にぶつける。頭に伝わる激痛は非常にも現実感を持たせる。
「大丈夫?ご主人」
と面を食らう名も知らぬ女子がのぞき込んでくる。
「大丈夫、驚いたとはいえ取り乱しただけだ。」
と頭を抱えながら謝罪をした。こちらを凝視するAIにも慣れてきた。とにかく彼女に今の状況を聞いてみることが先決だろうか。
「ともかく君は自分の置かれている立ち位置が分かるか。今起きたばかりだからかこちらも把握できていないんだ」
「悪いんだけどご主人、この端末にうめこまれたAIだからか今起きたばかりだからか何もわかんないんだよね、体育館に行かなきゃいけないのはわかるし場所もわかるけど」
...今の状況のこと忘れてた。彼女に話して案内してもらいながら互いの自己紹介を進めた。彼女の名前はアイゼルネ。出生、開発者などに関しては覚えておらずところどころうさん臭いところが残るが、今のところこちらにとっては唯一の情報筋だ。そんな彼女がここまで感情を持つとは今のハイテク機器と書く即くらえと言わざるを得ない。彼女から聞いた話によるとこの電子生徒手帳を手足のように使えるようではあるものの、まだすべてを操れるわけではないらしいがカメラやメールなどは使えるらしい。但し独自のネットワークを構築しているのか既存のインターネットへつなぐことができないということであった。だからか多少彼女にはいささか世間知らずの片鱗が話から出てきている。感情は入れられても常識までは入れられなかったらしい。そんなこんなで多少時間はかかったものの時間通りにアイゼルネの案内通りについた。
多少重いスライドの扉を開けると、14人の生徒だろうか、少年少女が怪訝な相好でこちらを注目する。注意深く見ると奥の方に16人分のパイプ椅子が規則的に並んでいる。もう一人来るのだろうか、それとももう一人はアイゼルネのことだろうか。あとでわかることだろう。もっと引っかかることは、他の生徒が良くも悪くも有名人ばかりということである。入学式もどきが終われば後で自己紹介する時間が来るのだろうか。そのようなばかげた話をしているとどこからか声が聞こえる。備え付けのスピーカーからだろうがしゃべっている本人が見当たらない。
「貴様ら、初めましてだな。おいらはこのゲームのゲームマスターである!」
とエコーのかかったどこか不気味な少し高い声が体育館を包み込んだ。こちらから姿かたちが見えないことが不安感を加速させる。体育館には似つかない監視カメラでこちらだけは相手方に見ることができることが性が悪い。
「喋っているの誰なんです」
と間の抜けた口調で話してくれるアイゼルネが居てくれるからこちらは楽だが他の人からしたら不安が多いことだろう。
「あれこっちの姿見えてないのか、どうしよう」
と素っ頓狂な声とともに変な間をあいた変な空気を展開させる。バカバカしいような状態のはずなのに少しの油断が命取りになりそうなぴりついた雰囲気が嫌な汗と口の中の渇きを引き寄せる。少しの間を置いたのちに何か黒いものが壇上のマイクスタンドの前へと飛んできた。
「...人形?」
そう、黒い体毛の羊が鋭い牙と目つきを持っている少しいびつな人形だった。継ぎ接ぎだらけの今にも形が崩れそうなはずなのに軽快なステップを壇上で踏んでいる。ただ、訳の分からずこの施設に来させられている側には突拍子のない状況に目が開いたまま微動だにできない。ただ本当に訳の分からない状態にあっけにとらわれているのか、それともそれよりも深いところにある訳の分からぬ恐怖感がそうさせているのか。そのような状況を壊したのはある男子のひとこえであった。
「ゲームだぁ、ふざけんじゃねぇ!てめぇの暇つぶしに付き合ってやるつもりはねぇぞ!」
と背丈の大きくガラの悪そうな男がこちらの気持ちを代弁してくれている。ただ、やはり緊張感があるのか強く握られた拳には震えていることが見て取れる。知ったこっちゃないようにそのマスターと呼んでいた人形は続いて
「貴様らの中に裏切り者がいる。俺たちの高校生生活を邪魔する奴がこんな課にいるってわけだ」
とほざいた。裏切り者、この中に拉致を働いた奴らの仲間がいるのだろうか。そんなことを考えていると
「だからお前らにはその裏切り者を殺してもらおうと思って読んでみたのさ」
...は?たかだか15人ほどの高校生の中に裏切り者がいるというだけで頭が追い付いていないっていうのにそいつを殺せって?馬鹿馬鹿しいにも程がある。自分の頭は理解することを拒むかのように今置かれている状況に適用できずにいる自分をおいていくかのように話は進んでいく。
「要するに貴様らで殺し合いをすればいいってわけだ。後は学生証にルールが書かれているからよろしくー。後なんか困ったことがあったら言って。ここから出るとか裏切り者の正体を吐けとかゲームが壊れること以外なら何でも答えるから」
とマスターはどこかへ消えてしまった。残ったのは疑いの視線で周りを見回す15の視線と重い空気だった。正体も何も知らない高校生が集められているのだ。疑って当然だ。そこで一人気品の高そうなスタイルの良い女学生が手を挙げて話し始めた。
「いったん自己紹介でもしましょうか、自分の身分や正体を明かしておいて協力して脱出方法でも論じてみるほうが良い気がします。」
と落ち着いた声音で話し始めた。彼女の発言力の高さゆえか現状整理に最もいいからなのかみんな首肯し、足並みそろえて自分の個室のある別館の食堂へと足を運んだ。
しんがりを務めた自分に誰もいないはずのこぎれいな体育会館がこちらに訴えるような重い空気を残していた。お前が起きさせしなければこんなことにはならなかった。ここから先は地獄だと。