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日常。  作者: 海凪 悠晴
9/11

風化していた『おもい』

 八月。お盆休みに入る手前あたりで保護室から出ることになった。次は別の大部屋に入ることになった。

 たった三日のお盆休み、外出・外泊してお盆を家族らと過ごす患者さんが多く、閉鎖病棟内も閑散とする。保護室から出たばかりの俺は外出すらできなかった。だが、ここで初めて家族という存在との再会を果たすことになる。それまで俺に対する呆れと情けなさで面会にすらも来なかった俺の家族。それでも最近になってようやく俺に理解を示してくれ始めたとのこと。閉鎖病棟入院中の俺をお盆の墓参りにやらせたいとのことだったということだが、病院側が外出・外泊を認めないということで、初めて面会に来たとのことだ。


 両親の弁によると、大変申し訳ないが俺にはもう大学への復学はあきらめてもらいたいとのこと。何せ、留年が決定した上に、多額の入院費用がかかったので、もう俺に大学を卒業させてやる費用はないからだとのことである。近いうちに退院となるであろうが、その後は療養しながらでも、新たな人生の進路を共に考えていこうということである。

 大学に復学できないこと。それは俺にとっても涙を飲むことになるはなしではあるが、仕方がない。自業自得であるのだから。それに、戻ったところでまた、卒論と就活という試練が待っているのだし。



 お盆休みが終わり、病棟にもいつものようなざわめきが戻ってくる。作業療法も再開される。残暑は厳しくとも、立秋を過ぎてからしばらく時が経った。ともなれば、どこか秋めいてくるものである。


 その頃には、彼女へのおもいもいつの間にやら不思議と風化しつつあることに気がついた。

 ああ、なんだ、俺は結局彼女のことをそう本気ではおもっていなかったんだ、と思えるようになってきたのだ。

 俺は、同室というか病棟の中でも、いちばん若い年齢層に属する者であれど、年長の患者さんのほうが余程日々規則正しい入院中の日常生活を送っていた。

 俺も、彼女のことをほんとうに愛しているのなら、彼女のもとに返るためにも、日々のリハビリにしっかりと取り組んで、病気を治すことに専念してもう退院しているか、それに向けて何かしら動いていなければならぬ頃であろう。

 それなのに作業療法がつらいだのなんだの言っていた俺。入院生活というものを甘く見ていたようではある。俺に野次を飛ばしてきた腹の出たおっさん患者の言う通り、今更俺なんかが彼女のことを思ってももう叶わぬの話なのかもしれない。



 夏の終わり、そろそろ俺にも退院に向けての準備をしましょう、という声がかかるようになる。病院に入院患者としてそう長居するのも迷惑な話であるのだから。

 そのひとつとして、作業療法に加えてグループセラピーというものに参加することになる。それは週に二度、火曜日と金曜日の午前中、一時間ほどの時間を、心理士や看護師の監督のもと、所属病棟や老若男女の壁を超えて、入院患者同士で過ごし、そこでコミュニケーションを取り合う練習などをするというものである。男性閉鎖病棟では最年少に近い俺であったが、グループセラピーの参加者の中には俺と同年代らしき者が何人かいた。その中には女性の患者も含まれていた。開放病棟にはちらほら若年層の患者もいるとのことである。

 だからといってグループセラピーに参加している若い女性患者に情を抱くようなことがあったわけではない。それでも、別の男性患者たちの中には若い女性患者の気を引くような話題を振ろうと躍起になる者もいた。それはそれで人間らしい心理なのかもしれないが、それも度を過ぎようものなら、心理士のストップがさりげなく入っていた。


 グループセラピーも火曜日と金曜日では参加者の顔ぶれが違ったが、俺のように両方に参加している者も何人かいた。どちらかといえば、金曜日のグループのほうが平均年齢は低く、病状も軽そうな者が多く、また和気藹々とした雰囲気ではあった。


 何週間か経って、金曜日のグループのみに参加している中林(なかばやし)弘実(ひろみ)という男と少し親しくなることになる。中林君は俺と同い年、つまり今年で二十三歳であり、今年の春に大学を卒業したものの、大学時代よりメンタルが安定せず、精神科を受診しながら大学に通っていたという。就職活動にも消極的であったので、卒業は出来たけれど、就職先は決まらず、この春から無職となってしまったらしい。いわゆるニートである。そして、今年六月のある日に近所とトラブルになることを起こしてしまったという。その直後にかかりつけの精神科医院で、入院して少し休みたいといった本人の希望を表明したことで入院が決まり、開放病棟に入ったとのことである。とはいえど、中林君はそう重篤な症状というわけでもないらしく、もう直に退院となるらしい。

 彼の名前も「ひろみ」で女性名と間違えられやすい、ということが、俺「みさと」と同年齢であるということ以外の共通点であった。彼の場合、親が郷ひろみと太田裕美の大ファンで、生まれてくる子供にも、男でも女でもとにかく「ひろみ」と名付けたかったとかなんとやら、ということだ。

 とにかく、グループセラピーのときに中林君をはじめとする他のメンバーと会話らしきことをする。そういったことすらも、これまでのしばらくの間は「日常」のことになっていなかったことだった。

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