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日常。  作者: 海凪 悠晴
7/11

俺の名前は『ごーまるさん』

 目が覚めて気がついたときには既に新しい年を迎えていた。というか正月などはとっくに過ぎ去ったようで、既に桜の季節を迎えてしまっていた。部屋を出ていき、満開近い桜並木が見える窓辺に移り、そこに掛けてあった新聞を手元に取る。

 新聞の日付は四月一日。なんだ馬鹿か。馬鹿でなければ、今日は入社式のはずだ。卒論仕上がっていたっけ。今日から会社に着ていくスーツはどこに掛けてある?


 しかし、長く眠っていたせいか疲れたし、お腹もすいた。なんか食べるものでもくれ。

 そこで俺に声が掛かる。

「五〇三号の患者さん。回診の時間ですよ。お部屋に戻りましょうね」

 なんだ、ここでは俺は「五〇三」という識別子で呼ばれる存在なのか。ごーまるさん。どうも俺が寝ていた個室の部屋番号のようだ。



 どうも俺は昨年のクリスマスの夜、学生街の一角の暗い道の高架歩道から身を投げて、路面に全身を強く打ちつけ、重傷を負ったらしい。それで三ヶ月ばかり意識が戻らなかったとのこと。

 そして、一週間前にかろうじて意識が戻ったとのことで、今いるここ、精神科病院の閉鎖病棟の中の個室に移されたらしい。もっとも、この一週間の記憶も俺の中から消えてはいるのだが。今日やっと意識が完全に戻ったのではないか、といったところ。



 主治医が回診に来る。太っていてやる気なさげのだらしなさそうな奴だ。それでも医学部を出て医師免許持っているんだよな。

 意識が完全に戻ったようだということを主治医に確認されると、診察室に呼ばれて改めて主治医の診察がある。

 太っちょ主治医から耳の痛いことを中心にいろいろと言われたあと、入院同意書にサインをして、引き換えにいくつかのアイテムを受けとる。その中には彼女からの預かり文もあった。

「早く病気治して戻ってきてね。かならずなんとかなる。絶対に結婚しよっ!」

 その脇にハートマークが添えられていて「かなこ」と彼女の名前のサインが記されている。


「かなこ」――学生のあいだじゅう俺を支えてくれた、俺の大事な恋人が持っている名前だ。


 地元を離れ、都会で学生生活を送っていた俺は入院するときに一旦地元の街に戻ることになったとのことである。都会に居るはずの愛する彼女・可奈子さんとは物理的な距離を置くことになってしまった。また、大学のほうは休学というかたちになってしまい、内定先からも内定取り消しを喰らったとのことである。要は未遂とはいえど自死を図ってしまったのだし、そのあと三ヶ月も意識が戻らなかったので当然ではある。嗚呼、卒論も就活もゼロからやり直しか。そう思って落胆する俺であった。


 それにしても、あの二本立ての「試練」による忙しさの中で、疎遠になりつつあった彼女にもとんでもない心配と迷惑をかけてしまったであろう今回の件。それでも俺のことを待っていてくれる彼女のことを思い出すと申し訳無さでいっぱいになる。今、せめて彼女に意識が完全に戻ったことの報告と、心配と迷惑をかけたことに対する謝罪など、とりあえず連絡を取りたい。その旨を主治医に伝えるも、「今はしないほうがいいでしょうし、するべきではないでしょう」と拒否されてしまった。


 今は、彼女らしいフォントで書かれた彼女の名前「かなこ」を見るだけで愛おしきことこの上ない気持ちになる。ましてや「結婚しよっ!」なんて言われた日には。

 こんなにも優しくて寛容なガールフレンドが支えてくれていたのになんてことしちゃったのかねぇ。さっきの太っちょ主治医にもほぼ真っ先に言われたようなことを自分でも反芻する。

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