二本立ての『試練』
可奈子さんと恋人同士としての「日常」をおくってゆく中で、いろいろな思い出をひとつひとつ重ねていくうちに、あっという間に時間は過ぎていってしまった。
そして、お互いに最終学年、四年生になってしまっていた。そのあいだずっと継続してきた俺と可奈子さんとの恋仲。もちろん恋仲であれど、恋仲である以上、意見のすれ違いやちょっとしたケンカなんかもごく「日常」ではあったのだが。
学生生活も終盤を迎えるときには、さまざまな試練が待ち受けている。
ひとつに、研究室に卒研生として所属した上での卒業論文の執筆である。しかも、俺の所属していた研究室は工学部でも屈指の厳しさを誇るともいえるところだった。
それまでの三年間でとくに興味を持って勉強してきた内容のひとつが研究室での研究テーマに含まれていたからというのもあるが、その研究室を選択したのも俺自身である。
その選択の理由には、社会人になったら学問に励むことはそうなくなっていくであろう、だから学生最後の年には厳しくても学問に励んだという思い出も作りたい、というようなものもあった。
ただ、そういう見方はどうも甘かったようではある。
そして更に、研究室での拘束時間やそこでの卒業論文の執筆の合間を見て、就職活動もしなければならない。
卒論と就活という二本立ての現実を突きつけられ、それに対して四苦八苦する「日常」。学部の違う可奈子さんとは当然別の研究室であったし、彼女も卒論と就活を控えているので、彼女と会う機会も四年生になった頃から少なくなってきた。
真夏でもスーツを着て会社まわりをするのは、まるで灼熱地獄のなかのことであった。しかし夏の暑さも峠を越え、秋の虫の音が聞こえるようになる頃になると、せっかくの学生最後の夏には結局彼女とデートらしいこともできなかったなぁ、などとちょっとした後悔を覚えていた。
ただ、そんなセコい後悔なんて吹き飛ばすかのような卒論と就活という二本立ての現実が突きつけられていたのだ。
元々、鈍くさい俺は就活というものが大の苦手で、しかもあいにく景気のよい時期ではなく、苦労しながら一社一社をまわっていた。しかし、どこからも不採用を叩きつけられる始末。教授からは卒論の進捗に苦言を呈せられる。そんな「日常」。卒業を前に少しずつノイローゼ気味にはなってきた。
可奈子さんのほうはというと、さすがといいたくなるほどに、早いうちに彼女の希望でもあった大手の化粧品メーカーから内定をもらい、卒論もスムーズに書き進めていたようだ。そのことはかえって俺に「彼女に捨てられるのではないか」という不安を生み出させるファクターにもなってしまっていた。
実際に「俺のこと捨てたりとかしないよね」と彼女に質問したことも幾度となくあったかもしれない。ときにはそういう質問がもとでかえって嫌われる可能性があることも頭に置くべきではあった。
だけれど、彼女はいつものように「美里君は美里君のままでいい。あたしはありのままの美里君が好きだから」とささやいてくれてはいた。窮地に追い込まれつつある俺にはその言葉は月並みな台詞にしか聞こえなかった。しかし、俺も彼女のことを好きではあったので、その言葉を信じていくしかなかった。
ノイローゼ気味なのは、学生時代の終了までの残り時間に反比例するかのように次第に加速していく。
――いや、俺には気心知れた大事な彼女がいる。お互い一緒に卒業して、就職して、かねてよりの二人の約束である「結婚」という目標へとコマを順調に進めるんだ。
つらいときにはそう自分に言い聞かせていた。俺にとって彼女の存在は大きな心の支えではあったが、就職も決まらず卒論の進捗もやばいことからのノイローゼの脅威は、そんな未来の夢から得られる原動力をも上回ろうとしていた。
学生時代最後の冬が迫る、木枯らしが吹く日。俺もようやく無名のIT関連会社から内定をいただくことになった。
しかし、やはり卒論が追いつきそうにない。もう卒論の提出期限までの猶予はない。そんな緊迫した「日常」。
それなのに、教授からの強烈な駄目出しを食らい、もう全文をも書き直すことすら覚悟した、学生として最後になるはずのクリスマスイブ。結局彼女と会えさえしなかったクリスマスイブ。あの日を境に学生としての記憶も最後になる。