変化した「日常」
それからしばらく経ったある日、さっそく俺たちふたりはレンタカーを借りてドライブに出掛けた。まずは可奈子さんがハンドルを握る。俺は助手席に。
「まずはどこに行こうかな」
「やっぱり、夏だから……、一応まだ夏みたいもんだから、海でしょ!」
可奈子さんが海に行くことを提案してくれた。
「うん、いいねぇ。どのへんに行くの? やっぱり湘南あたりかな」
「うん、まぁ、そのへんは任せて。帰りは美里君が運転ね」
「ちょっと自信ないけどね……」
「もぅー、免許取れたんだから大丈夫なの!」
一時間余りはドライブしただろうか。運転する可奈子さんの左隣、助手席に座っている俺。つい、可奈子さんの脚元に目が行ってしまう。長身でスリムな可奈子さんは脚もほっそりとしている。
「ねぇ、美里君?」
そこで可奈子さんから声が掛かった。彼女の脚元に目をやっていた俺はあわてて、可奈子さんの顔に目を向ける。
「あ、はい?」
俺は思わずそう返事した。可奈子さんが更に言う。
「もうすぐ海辺に着くよ。あと十分もないかも」
「うん、楽しみだね。海」
海辺の街に入る。おしゃれなビルや、観覧車などが見える。晴れわたった青い空にうみねこがキューキュー鳴きながら羽を伸ばしている。いくつかあるうち、ひとつの海水浴場のほうに向かう。もう九月になったので、海水浴場の営業も終わっている。海水浴場の駐車場に車を停めて、砂浜の方に歩いて移動する。海の波打ち際から数メートルの距離に迫る俺たちふたり。可奈子さんはそこで言葉を投げる。
「手、つなごっか」
「え、ええ?」
俺は戸惑いを見せつつも、右手を可奈子さんの左手とつなぐことにした。俺は緊張でドキドキしつつある。しばらくの沈黙。可奈子さんがささやく。
「美里君、ふたりで海を見に来たって、どういうことかわかるかな?」
「えっ? 何だろう?」
俺がそう答えたあと、しばしの沈黙の後、可奈子さんが口を開く。
「……美里君、あたしと、……付き合ってくれないかな?」
可奈子さんのさりげなくも突然の「告白」に対して、俺は心を撃ち抜かれそうになった。
「……うん、ドライブに付き合ってるよ……」
俺は照れ隠しのつもりで、可奈子さんの「告白」にとぼけて答えたつもりではあったが、やはり心拍数は急上昇してきている。果たして俺は自分の台詞を、素で言ったのか、とぼけて言ったのか。そんなことはお構いなしに、可奈子さんは続ける。
「ううん、そうじゃなくて……、ずばり言うとね、これからは……、あたしを、……恋人として認めて欲しい……」
俺たちふたりのほうに波が押し寄せてくる。うみねこが高く鳴く声がきこえる。いきなりの告白に対しての返事に戸惑う俺。今まで恋人なんて出来たことのなかった俺だけど……。可奈子さんからの求愛とあらば。
「うん……、いいよ。こちらこそ、よ、よろしくね……」
九月の陽はすっかり傾いていて、黄昏時が迫りつつある。砂浜に俺たちふたり、恋人同士の影が作られていた。可奈子さんがおいでというポーズを俺の方に向け、可奈子さんと俺は距離を近づけていく。
更に傾いていく陽は抱擁している俺たちふたりの影を砂浜に長く作り出そうとしていた。
九月の午後の砂浜から始まった、可奈子さんと俺との恋人同士としての「日常」。
十月初めに二学期が始まってからは、フランス語の授業のときのみならず、キャンパス内でもふたり仲良く一緒にいることが多くなった。念の為にいうが、もちろん授業中はふたりとも真面目に授業を受けていた。
四月に入学したとき早々からぼっちを覚悟していた俺、高校まではパッとしなかった俺も、とりあえずは図らずとも彼女のおかげで「大学デビュー」らしきことはできたわけである。もっとも、彼女との交際以外ではとくに人間関係が広がったわけではないが。
さて、ふたりが知り合うことになった、そもそものきっかけのフランス語の授業。そこでは学年末には試験の代わりに最終発表というのが課されることになった。二人ないし三人で一組になり、フランス語について独自のテーマでプレゼンテーションせよ、という課題である。内容はフランスについてなら、言語の母国であるフランスの文化についてでもよいし、言語の歴史的な背景などについてでもよいということであった。
年末年始の休みに入る前の最後のフランス語の授業で、グループ構成とそのグループの発表する内容についてを決めるミーティングの時間が持たれた。当然、俺は可奈子さんとペアになり、フランス革命がもたらした近代科学への影響についてレポートすることになった。
その下調べや準備のために何度か図書館などで、ときにはお互いの部屋で勉強会などもしていた。フランス革命に伴い、それまでの単位系や暦などが見直されて、今おなじみのメートルだとかリットルだとかグラムだとかいう単位系が生まれた、要はヤードポンド法からメートル法への転換が提案されたということ。また暦についても新たなものに置き換わろうとされていたが、そちらのほうは簡単には普及しなかったこと。また週の廃止なども含まれていたため、大きな反発を喰らい十数年でその歴史を閉じたということ。新しい暦には一日一日に文学的にも美しいと思われる別称が付いていたことなどがレポートの要旨であった。
彼女と俺のふたりで学期末の発表日までにレポートを仕上げ、フランス語のクラスの皆の前で発表したこと。そのことはそこまでの過程をも含めて学生時代のよい思い出のひとつとなった。