1−20 金花繚乱、悪鬼顕現
「『金花繚乱──』」
金色の野、星が輝く薄明の空、舞い踊り開いていく絢爛な鳥花。
光り輝く煌びやかな世界の中で、一際強く輝く少女が、世界を呪う。
「『我が野は燃えず』」
言葉と同時に、金色の野すら燃やそうとしていた|女妖炎の火勢が弱まり、あっさりと消える。
困惑し、同時に脅威度の判定を変えたのだろう。火炎で出来た長槍を逆手持ちに変え、見事なフォームで投げつけてきた。
だが──
「『槍は我が手で舞い踊る』」
シャーロットを貫こうとしていた軌道が曲がり、超高温でありながら主人を傷つけない槍としてその手に収まった。
それどころか、同じように逆手に槍を持ち替え、
「『妖精は野原では動きにくいだろう?』」
無造作に投げ返す。
軌道こそ合っているものの、誰でも避けられそうな勢いの槍を前に、なぜか|女妖炎は避けるどころか、動くことすらできずそのまま直撃してしまった。
同じ火であり魔力体だからだろう、ほとんど効いた様子は無いが、その表情は憎悪と困惑で塗りつぶされている。
これがシャーロットの金呪の魔眼だ。
己が支配者の空間を作り出し、神話伝承の存在のように思うがままに呪いを振り撒く。視線が、指先が、ただの一言ですら凶悪な呪いと化して相手を襲うのだ。
魔術がまだ表舞台だった時代。神や魔神の視線一つで人が呪い殺され、罵詈雑言や悪意ある動きがそのまま相手へと作用したという、原初の呪いを扱えるようになるのだ。
「ウォーミングアップは終わったか?」
俺の質問に声では答えず、微かな頷きのみで答えた。ただの返事ですらどこまで肯定してしまうのかシャーロット自身にも分からないから。
そしてシャーロットの準備ができたのなら、次は俺の番だ。
「『我が従者よ、真の姿を取り戻せ──』」
「が、ァ……ッ!」
──アーサー・トラヴグルトラヴグルは吸血鬼だ。
世界に、生物に憎まれるべき存在として世界に産み落とされ、後付けで吸血鬼の役割を当てはめられた、最古の吸血鬼。
その存在の核たる論理は吸血ではない。生物に憎まれることだ。そこに居るだけで、在るだけでありとあらゆる生物に憎まれ、その命を狙われる。多少身を隠したところで追撃を避けることなどできない。
そんな存在が潜伏など、できるはずがない。
ではどうやっていたのか?
「『その魂を縛る鎖から、今一度解き放とう』」
魂そのものが、存在の意味が色褪せるまで、幻想の呪を扱える魔眼で、幾重にも魂を締め付ける封印を施していた。
吸血鬼の真祖すら超える原初の罪人が普通の人間に見えるように──!
アーサーの灰髪灰眼に色が戻っていく。塗れば二度と戻らなさそうだった灰色が艶を取り戻していく。
それと同時に、シャーロット以外の全員が、女妖炎でさえ視線を俺に向けてきた。
特に魔術師たちの顔は印象的だった。目の前に意識を逸らすことを許さない暴虐の主が居るのに、そんな危険など無視して思わず意識を向けざるを得ない、生理的な衝動としての嫌悪と殺意に襲われているのだろう。
そう、アーサーが一人いるだけで人類はまともに戦うことができない。ついさっきまでどのような関係だったとしても、真の姿を見せた瞬間から共通の敵だとしか認識できなくなってしまうから。
そのせいで女妖炎の攻撃でうっかり死んでもしらねぇぞ、と警告していたのだ。
「『行けそうか?』」
「おう、封印できるかは知らん」
金呪と吸血鬼。共に幻想側の住人になって初めて、害そうとしなければ普通に会話ができるようになる。端的に会話を終えながら女妖炎を見れば、さらに火勢を増した長槍を握り直していた。
それぞれの心の内で理性と殺意衝動の葛藤があるのだろう。固まって動けなくなっている魔術師たちの間を抜け、真っ向から女妖炎と向き合う。
「んじゃ、とりあえず普通に殴れるか確かめるか」
魔力を拳に込め、瞬きの間に間合いを詰め素直に打ち出す。常人であれば、なにが起きたのか分からないままに接近され頭を消し飛ばされていたはずの拳撃に、女妖炎はしっかりと反応し長槍の穂先を合わせてきていた。
豪炎を吹き上げる穂先と拳で撃ち合い鍔迫り合いをしながら呟く。
「あー、ギュスターヴさんに呼び出されるくらいの存在でもちゃんと女妖炎なんだな……熱っつ」
戦装束は伊達ではないということだ。追撃で出した拳撃も炎盾で防がれ、一旦引く。
ついでにほとんど炭化しながら倒れていたギュスターヴを拾って後ろへ。多少乱雑でも許して欲しい、目を離した瞬間になにをされるかわかったものではないから。気を抜いた瞬間にあの槍で貫かれたら流石に少し痛い。
ついでに今の一合で分かったことがある。
「まともにやるなら消耗戦になるぞ。ぶん殴ってどうにかできなくはないけど、妖精ってなるとどこまで回復されるか分かったもんじゃない」
「『その間にこの部屋は消し炭だろうな。金花繚乱で覆っていても外への影響を消し去れるわけじゃない。余波は間違いなく伝わる』」
「んで、喰らうにしても、なぁ」
槍は打ち合えたし、盾も殴れたけどさ。
肉体はどう見ても燃え盛ってるし実際熱かった。武術も熟達の域にあるから一発与えるだけで一苦労だし、その攻撃をするのだって、手ならともかく口でいこうってのは流石に怖いっていうか無理。口内火傷で済まない。
「アイツ封印できるアイデア募集、大至急」
「『可能かもしれない方法が一つだけある……が、多少痛い思いをするかもしれない』」
「なにを提案する気だお前」
「『主人にお前と言うな。アーサー、多少の火傷くらいなら男の勲章として受け止められるか?』」
「本当になにを提案する気だお前⁉︎」
再度お前と言ったのが気に食わなかったのだろう。無理矢理数本の髪を引き抜く呪いのせいで側頭部が少し痛い。
「『聖痕だ。火傷を元に無理矢理聖痕に変えると言ったほうが正しいか』」
聖痕。聖なる物の力を宿した場所、あるいは宿していることを示す紋。
形式や実際の形、大きさはそれぞれ異なるものの、傷の形をしているということだけは共通の証。
「『アーサーが火傷を負った瞬間にそこを起点にして呪術的に繋げる。その火傷を聖痕として扱うことで女妖炎の力を持っているものとする』」
「そもそも持ってることにしたら後付けで俺が喰らったことにできるってか?」
「『うむ!』」
「うむじゃねぇ!」
どうやらうちの無茶振り主人は手順を変えると言っているらしい。
俺が喰らって封印をするんじゃない。火傷を負い、そこを起点に俺と女妖炎呪術的に繋げて吸血鬼としての権能を発動することで、今は既に力を喰らった後だということにする。
そうすれば、燃え盛る妖精に喰らいつけないのは問題では無くなる。俺が結局火傷をするということを除いて無問題!
「……他の案は?」
「『代案が思いついているのなら聞くが?』」
「無いです……」
じゃあやるしかないか。
不幸にも吸血鬼だから頑丈だし、死線をくぐり抜けてきた数も多い。治すのが難しそうな点を除けば、火傷以上の怪我は何回もしている。
仕方ない。覚悟を決めようじゃないか。
「何秒耐えたらいい?」
「『合図するまでだな。完全に喰らえるまでを考えると十数秒は掛かるだろう』」
「思ったより短いじゃねぇか」
虚勢を張り、短く息を整え、突っ込むために腕を引き絞る。
瞬間、二合目の激突。金属同士が打ち合わされるような、それでいて肉体を叩くような鈍い轟音と共に、拳と長槍が打ち合わされた。
今度は鍔迫り合いにならず、連続で武器と拳を打ち合っていく。ぶつかる度に音が鳴り響き、余波で迸る熱波が金色の世界を揺らす。
超高速の猛攻を交わす中で、ついに焦れたのか、女妖炎が全身の炎を強く滾らせた。赤を超えて白くなりそうなほどに熱を高め、左手を天に掲げながら集約させていく。大人一人くらいであれば悠々と飲み込んでしまいそうな小太陽だ。
「おいおいおい洒落にならねぇぞ⁉︎」
「『吸血鬼が火に弱い伝承など無い』」
「『水神の加護よ!』」
「『火は火を好まず……!』」
同じく脅威を感じたらしいシャーロットと魔術師たちが一斉に火除けの魔術を展開する。シャーロットは俺に火炎耐性を、アレットは属性の相性を活かした加護を、ダレンが火の性質を生かした火除けの呪いをかけてくれた。ターレスは飛んでくる炎弾を撃ち返して皆を守っている。リルはいくつもの魔道具を取り出して同時に発動し、数種類の防壁を作ってくれた。
どれほど防護魔術を展開しようが、どれほど加護を重ね掛けしようが人間では妖精が放つ本気の魔法を受けることなどできはしない。それなら、俺が全て受け止めて食い尽くすしかない──!
「『あれほどの魔術であれば呪術的な繋がりもまた作りやすいはずだ。なんとかあの魔法の核に触れてくれ、そうしたら私が即座に呪う』」
目を開けるのが難しいほどの白炎に照らされながら、その中心を見据える。
掛けられた加護を歪め、右手に集めていく。まともな魔術を使えない俺が魔法に対抗する方法など正面突破の一つだけだ。気持ち丈夫な右手でぶん殴る、それだけを考えろ。
「うぉぁああああああ!」
熱いのかうるさいのか眩しいのか分からない。ただ、見据えた魔法の中心へとひたすらに手を伸ばす。
一番熱が濃い場所にたどり着いた気がした、その瞬間。
「──?」
「消え、た?」
閉じていた瞼を開けてみれば、未だに白炎の影響でチカチカする視界の奥で金色の世界が消えようとしていた。
女妖炎は消え、余波で全体的に焦げが見える第三号室が帰ってくる。
そして。
「痛だだだあだだだだ⁉︎」
「聖痕は刻まれる瞬間に激痛を伴うというが、本当だったようだな」
「火傷だ! ただの! ってかそういうこと黙って提案したな⁉︎」
激痛に苛まれる右手を押さえて叫ぶ。
いそいそと眼帯を直しながら所感を言われたけど発案したのお前だからな! お前って言うと次はどんな呪いが飛んでくるか分かったもんじゃないから言わないけど!
どうやら魔眼を閉じる前に封印も簡易的に施し直してくれたらしく、周囲の生物に無差別に振り撒かれる不快感は消えているらしい。他の魔術師たちの視線は、困惑と驚きこそあれど、基本的には安堵で染まっていた。
そして。
「あっぶね」
「……むう、この感覚は慣れん」
魔眼を解放していた時に魔力を大量消費したからだろう。魔力切れになったシャーロットがその場で崩れ落ち、床にぶつかる寸前でなんとか抱き上げる。
四肢に力は入らず、最低限の会話のために意識を保つので精一杯なのだろう。
「……本当に迷惑を掛けてしまったな」
シャーロットとは対照的に、休んでいる時間に僅かに魔力の回復ができたらしいリーティアが立ち上がっていた。
女妖炎戦で直接なにも出来なかったこと、乗客の手を借りてしまったことに悔しさを感じているのだろう。乗客全員の無事を確認し、ほとんど死にかけのギュスターヴを抱え上げ。
「本件に関する補償などは追ってお伝えする。皆様は自室にてお休みください。なにかあれば、使用人に申し付けてくだされば最優先で対応致します」
「とりあえず肉食いてェ、肉!」
ターレスの叫び声でようやく終わったことを実感したのだろう。
全員が張り詰めていた緊張を解き、大きく息をこぼす。
ようやく、やっと、この事件が終わった気がした。




