6話 『羽ばたきノ刻 結Ⅱ』
メイの左手にはめたリングが光を帯びる。
「飛翔せよ――FEZER」
メイの周りを光の粒子が覆い、包んだ。
ビリビリと電撃音を響かせながらメイは禍々しいフルドレススーツ《FEZER》を身に纏い、光の中から現れた。
顔は骸骨を摸した鋼のマスクで覆われ、スーツのそこかしこには薔薇の棘のような物が施され、スーツの全体には赤いラインのリジェクターが張り巡らされている。
「上に立つ者の使命というのはね、下の者達を淘汰する事では無いわ。下の者達を守り、成長させる事よ」
メイは胸の前に左腕を掲げる。
「装備、エリミネイトソード」
紫色の火花を咲かせ、魔法陣からより漆黒の大剣が出現した。
「フォースD、展開」
胸にあるリジェクターが一際大きな輝きを放つと、増幅された魔素がFEZERの装甲を突き抜け、背部から半透明の結晶となり露出する。
その結晶の形はアルファベットの『D』と酷使していて、それを覆うように無機質な紫色の翼が空間に浮かんでいた。
「悪しきを葬る死の烙印をあげる。本当の上位種がどちらなのか、その身に刻み込みなさい」
FEZERの全身に張り巡らされたラインリジェクターが、メイの魔素に反応し赤く輝くと、身体強化の魔法を発動させる。
群れの中にいる一体のジーヴァが、開戦の兆しとでも言わんばかりに不快な叫声をあげると、一歩前へと飛び出した。
刹那、メイは一回の踏み込みで十数メートルはあったジーヴァとの距離を一気に詰めた。
大剣を下段に構えると、力を込め一気にジーヴァを斬り裂いた。
絶命したジーヴァは、断末魔をあげる暇も無く、赤黒い血を噴き出すと灰となって消滅した。
「弱い犬ほど、何とやら」
大剣についた血を振り払うと、跳躍し、メイは自らジーヴァの群れの中に割り入る。
着地すると同時に、全体重を乗せ一気に目の前のジーヴァを斬り伏せる。
ジーヴァが消滅するのを確認し、メイはすぐに目の前にいる次の標的へと視線を向ける。
「メイさん!後ろから!」
サナキが叫ぶ。
前方に気を取られるメイを好機と言わんばかりに、数体のジーヴァが背後から襲いかかっていた。だが――
メイの背部装甲から生えた翼が音を立てて、その姿を変化させる。
「な、何あれは?生きてるの?」
変化した翼は、鬼のような怪物の頭部となると、その巨大な口を開ける。
そして――そのままジーヴァを食いちぎった。
肉の潰れる音が響く。
口からジーヴァの血を滴らせ、食べ終えると満足したのか怪物は元の翼の形へと戻った。
「あら、わざわざこの子に直接魔素を供給してくれるなんて、どうもありがとう」
メイは翼を撫でると、マスクの下でくつくつと笑う。
「――――‼︎」
メイの圧倒的な力を前に、勝てないとふんだジーヴァ達は翼のような巨大な腕を広げると、空中へと浮いて逃げる。
「そこは、貴方達だけのものじゃないのよ」
背部の翼が広がる。
メイはそれを羽ばたかせ浮き上がると、空中にいるジーヴァの群れを斬り裂いていく。
メイが一つ羽ばたけば、大量のジーヴァの血が地面へと落ちる。
返り血を浴び、紅く光るメイの姿は――死神のようにサナキは感じ、恐怖した。
やがて――
「魔力反応完全消滅……これで終わりか」
マスクの内側に映るモニター――そこにジーヴァの反応を示す赤い点が消えた事で、メイは安堵の息をつく。
メイはフォースを解除し、地面へと着地する。
「機密情報保護のために、通常一般人の前では闘わないことになっているの。だから今日のこと、他の人には内緒にするようにね」
マスクを外すと、メイは二人に向かっていたずらっぽくウインクした。
「口外すれば、きっと明日貴方達の机の上には花が置かれてると思って」
普段怒っている顔が当たり前な分、逆に笑うメイの笑顔は少し怖かった。
「「は、はい!絶対言いません!」」
サナキとキミカは声を揃え、メイに敬礼した。
「よろしい」
メイはそう言うと、胸いっぱいに空気を吸った。
「じゃあ――帰りましょうか」
「「はい!」」
メイのその言葉に、自然とサナキ達の声は弾んでいた。
どうにか命を失わずに済んだ――心からの安堵だった。
今頃ミコトはどうしているだろうか、もう眠ってしまっているのだろうか。
心に余裕が出来ると、そんな事を考えてしまう。
「…………⁉︎」
衝撃――空間ごと揺らされたようなその衝撃に、サナキ達は地面へと倒れた。
「な、なんなのぉ、これぇ!」
「な、なに⁉︎地震⁉︎」
慌てる二人の横で、メイが奥歯を噛み締める。
その顔には焦りの色が滲み出ていた。
「地震じゃ無いわ。この滅茶苦茶な揺れ――自然でこんな物はありえない‼︎」
縦、横、斜め――自然の摂理を無視した現象に、メイは全てを察した。
そして――それが現れたのは、メイがその事に気付いたのとほぼ同時だった。
突然、輝く天使の輪の紋章が出現する。
その紋様が先程の物の何十倍も大きく、眩い光を放っていた。
「扉――この波形はタイプⅢ⁉︎」
マスクのモニターに表示される視界には、ジーヴァの魔力を測定する機構が存在している。
メイはその画面に表示されたデタラメな数値に恐怖した。
今まで見た事もない――桁数は無限大を示していた。
揺れが更に激しくなると、地面に向けて紋様から光線が放たれる。
無数の紋章が一際大きな光線を発すると、ジーヴァを地上へと産み落とした。
一寸の歪みも無い卵のような形をした、見上げる程の巨体。
その体は血のように紅く塗られ、威圧的な雰囲気がひしひしと感じられた。
「タイプⅢが出るなんて情報は、無かったはずだけれど……」
今にもトンネルの天井を突き破りそうなその巨大なジーヴァに、メイは焦りの表情を浮かべた。
今回与えられた任務は、トンネル内に出現したタイプⅠ型のジーヴァの掃討。
数こそ多いが、相手はただのタイプⅠ――簡単な任務のはずだった。
だが今目の前にいるのは、モニターで異様な魔力の波形を生み出しているタイプⅢ型のジーヴァ。
幾千の戦場を乗り越えてきたメイだが、タイプⅢと遭遇したことが無い。
それ程までに希少な存在だった。
「薬師町さん、任務には無いジーヴァが出現。魔力の波形からタイプⅢと断定します。至急敵データの解析を……」
魔法を介しGRADの本部へと通信を試みたが、脳内に声は返ってこない。ただ無音が続くだけだった。
「なるほどね、本当にジャミングを喰らったと――」
恐らくジーヴァの魔力が妨害しているのだろう。
使い物にならないと判断し、魔法回線を切る。
――不安だ。勝てるかどうかは、正直なところ分からない。
タイプⅢのジーヴァは、今まで数多のFEZER適合者を葬ってきた敵――《神殺し》との異名を持つ程の存在だ。
いくら戦闘を積んだ自分といえど、勝てるかどうかはフィフティーフィフティーと言ったところだ。
「サ、サナキちゃ〜ん……どどどうしよ〜」
「泣かないのキミカ。大丈夫だから。私が付いてるから」
だがメイは背後にいる二人を見て、悪い考えを打ち消した。
ここで自分が諦めてしまえば、この二人は自分よりももっと簡単に残酷に殺されてしまう。
この二人に未来を与える事が出来るのは、神である自分だけだ。
「貴方達、まだ生きていたいと願うなら絶対にそこから動くんじゃないわよ」
マスクの内側で深呼吸し、気持ちを落ち着ける。
左手に持つ大剣を強く握ると、メイは巨大ジーヴァへ飛翔した。
「あっ、六条先輩!」
メイは全身全霊の一撃を、巨大ジーヴァへ攻撃する。
だがその攻撃は火花と衝撃音を放つだけで、無慈悲にもジーヴァに弾かれただけだった。
「硬い――ッッ‼︎」
硬い鱗と魔法でコーティングをしたジーヴァの体には、メイの重い一撃といえど、まるで効かなかった。
のけぞり、空中で体制を崩したメイに、ジーヴァは体から無数の黒い腕を生やすと一斉に捻り潰そうと襲いかかった。
「装備、魔素変成三式ガン!」
魔素変性三式ガン――魔素を致死性の高い光弾として練り上げ、射出する高科学兵装の内の一つ。
魔法陣からメイはそれを取り出すと、襲い掛かる腕々へとトリガーを引く。
魔力放出された光弾が発射され、次々と悪魔のような紅い色をした腕を爆ぜる。
だがメイの予想を超え、襲い掛かる腕の数は多かった。
「数が多いッッ――」
捉え切れない量の腕に、メイは体を覆われる。
まるで一つ一つが意思を持っている生き物のように、その腕は動くと、一瞬で羽交い締めにされ体の自由を奪われた。
装甲をもぎ取られ、冷たい鱗が頬へと触れる。
艶かしくひやりとしたその冷たさが、自分の死を強く感じさせた。
無数の腕が、メイの華奢な体を蹂躙していく。
――息が……このままじゃ潰される……。
首を締め上げられ、か細い息が喉から漏れる。
だんだんと、視界が黒く染まっていく。
もう駄目だ。腕には抵抗を促す程の力も残っていない。
全てを諦め、死へと身を委ねる。
走馬灯のように、今までの人生が流れては消えていく。
――もういいんだ……私は頑張った。神として、頑張ったじゃないか。
『メイ――諦めてはだめよ。六条の者として、常に誇り高くあり続けなさい』
「――ッッ‼︎」
死の刹那、頭に流れた懐かしい母の言葉。
その言葉にメイは意識を覚醒させる。
――そうだ……私はまだ死ぬわけにはいかない‼︎
体内で急激に生成された魔素が、装甲を突き抜け翼となって背部から飛び出す。
翼は形状を変化させ、鬼の頭となるとメイを拘束する腕々を噛みちぎり、拘束を解いた。
「流石タイプⅢ……そう安易とは倒れはてくれないわね」
所々装甲は砕かれ、マスクの半分はもう防御スーツとしての意味は成していなかった。
メイは肩で荒く呼吸をしながら、息を整える。
「残念ながら、私も易々と倒れてはあげないんだけれどね!」
再び大剣を構え、メイはジーヴァへと猛攻を掛ける。
「ね、ねぇサナキちゃん……六条先輩、押されてない……?」
サナキと共に後方で見守るキミカが、そう不安そうな言葉を口にした。
「そ、そんなことないよ!大丈夫だよ!だって六条先輩なんだから!」
内心、キミカと一緒だった。
だがサナキはとかく明るく務め、キミカへと微笑む。
「装備、魔素変成三式ガン!」
魔法陣から銃を出現させると、メイはそれで襲い掛かる腕を撃ち抜き、隙をついて大剣による一閃でジーヴァの体を叩きつける。
だが硬いジーヴァの体は、それをもろともせずに弾き返した。
「状況は最悪……劣勢中の劣勢ね」
呟き、言葉とは裏腹にメイは口の端を吊り上げ笑った。
「つまり――最高に燃える展開だわ」
六条メイは、由緒ある六条家の令嬢として産まれ、育てられてきた。
出し惜しみの無い学習環境は、元より才能のあったメイの能力を育て、十歳の誕生日を迎える頃には世界中の学者が、評論家が、芸術家が、彼女の事を欲していた。
けれど彼女の幸せは、ある日突然崩れ去った。
メイの十一歳の祝賀会が行われている会場を、巨大なジーヴァが襲った。
抵抗する術など無く、ただ逃げ惑う人々をジーヴァは貪り、食い尽くす――
GRADが到着した時には、生存者はクローゼットの中に隠れていたメイだけだった。
GRADに保護されたメイは、そこでFEZERの適合性を指摘され、“神”として戦う事を決意した。
やれと言われた訳では無い。
いつ死ぬかも分からないその環境に身を置く事を、多くの人が危惧をした。
けれどメイは決意を変える事は無かった。
命を賭ける程の理由を見つけた。
「私は誓ったんだもの。この世界を護る神となるって」
もう誰も、自分のような傷を負わせないために六条メイは剣を持つ。
「フォースD!展開!」
Dの文字と共に翼が出現する。
無数の腕を、翼が形状を変化させ捻り潰していく。
メイは今まで、闇雲に攻撃を続けていた訳では無い。
幾重にも連ねた攻撃で、敵の脆い部分を炙り出していた。
そして――
「やはりここか――ッッ‼︎」
巨大ジーヴァのちょうど中央――楕円型の頂上付近への攻撃は、刃が通り易く、中が空洞で脆い事が分かった。
「最大出力でいく!もう手加減などしてあげられないわ!」
他を蹴り、メイは一気に宙へと跳躍すると、大剣を天へと掲げた。
紫の瘴気が立ち込め、巨大な剣の像が浮かび上がる。
けたたましい程の魔力が大気を揺らし、轟音と共に衝撃が空間を揺らす。
「ダージュ・デマイズ・デスペラード‼︎」
大剣は極光を纏い、周りのアスファルトをえぐり取りジーヴァへと放たれた。
「きゃあああぁぁ⁉︎」
魔法の威力に耐えられず、トンネルのそこかしこに亀裂が走る。
後方にいるサナキは爆風に耐えかね、吹き飛ばされた。
やがて風が威力を弱め、岩が軋む音が無くなった後――
「終わった……の?」
サナキはゆっくりと目を開ける。
霞んだ視界は徐々に焦点を定めると、チリ埃の中に一人立つメイの姿を映した。
「全く……手こずらせてくれる相手だったわ――」
「「六条先輩!」」
最大出力で魔法を放った反動で、メイの体はボロボロだった。
だが彼女は、笑顔でいる二人の顔を見て安堵した。
彼女にとって、人の笑顔は何よりの治療薬だった。
「さっ、帰りましょう貴方達。うちに来なさい、ハーブティーの一杯でもご馳走するわ」
微笑み、メイがサナキ達へと歩を進めた瞬間だった。
立ち込める白い霧――サナキの目はその霧の奥から伸びてくる腕を捉えた。
「ぁ…………」
霧から出現した赤い腕は、メイを空中へ放り投げた。
一体何が起こったのか、そんな事をメイが把握する時間すら与えさせなかった。
メイの下に存在する巨大ジーヴァ――今まで一つのシワも無かったジーヴァの体に、一筋の線が入る。
その線は弧を描くように開かれる。
口だ――それはジーヴァの巨大な口だった。
サナキの耳に、金属の砕け散る音が響いた。
FEZERの装甲は防御魔法を幾重にも重ね、たとえ100tトラックに突進されようと傷一つ付かない未知生命体であるジーヴァの猛攻にも耐え得るよう頑強な魔法陣が組まれている。
だがそんな事など何の意味も無さない、と嘲笑うかの様にそのジーヴァは、メイの下半身を食い潰した。
鮮血が噴水のように噴き出すと、鮮やかな血の花火を咲かせた。
食べ損ねた上半身が地面に叩きつけられ、轟音を立てる。
「ぁ…………たすけ……」
恐怖の色を灼きつけた瞳が、サナキを見た。
先程までの憎しみも怒りも誇りも、何も無い。
悲痛な瞳だった。
そして――
メイが二人へと手を伸ばした刹那――
ジーヴァがその巨体でメイを踏み潰した。
肉の潰れる音がトンネル内に反響する。
「ろ、六条先輩…………」
涙は出なかった。
あまりにも呆気なく、あまりにも簡単に、怪物は大切な先輩の命を奪った。
「ああぁぁぁぁああああ――ッッ‼︎」
誰かの叫び声が反響する。
それが自分の絶叫だと気付いたのはしばらく後だった。
ジーヴァは再び、ゆっくりと無数の腕を這わせ移動する。
その姿に先程までと変化があるとすれば、楕円型の体の真ん中に多少ヒビが入った程度だ。
メイの命を捧げた一撃は、擦り傷しか与える事が出来なかった。
その事実が、とかくサナキの心を抉り取った。
負ける傷と書いて、負傷と読みます。