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3話 『羽ばたきノ刻 承』

「はいキミカ、いつものあげる」


「ありがと〜、じゃあこれお返し」


 四時限の終わった後のお昼休み。

 お弁当の交換に卵焼きを渡すと、キミカがそのお礼にとハンバーグをくれた。

 キミカのお弁当にはミニトマトが二つと白飯、そして卵焼きが一切れだけになった。


「ハンバーグなんて、こんなの貰えないよ。これと卵焼きじゃ全然釣り合わないよ」


「いいのいいの〜。サナキちゃんの卵焼きは『卵焼き専門店』を謳ってる割にゲロ不味い店とかと違って、世界一美味しいから〜」


「そ、それは嬉しいな。喜んでいいのか分からないけど……」


 キミカの評価に、若干引きつった笑いが出る。


「うーん!美味しい‼︎流石サナキちゃんの卵焼き!」


 キミカは両手を頬に当て、恍惚とした表情で喜んでいた。

 評価は喜んでいいのかは分からないが、親友がこれ程喜んでくれるのなら、また明日も作ろうとそう思えた。


「サナキちゃん本当お料理上手だよね」


「うちは両親いないからねぇ。ミコトも……今はちょっとあれだから……作るの私だけで自然と上手くなっちゃって」


 雰囲気が悪くならないよう、努めて明るく、空笑いをする。

 だがそれは長年の親友には通用しなかった。


「ごめんね……私平気で人の過去に踏み入るクソアマだったよ……」


 キミカは泣き出しそうな声で頭を下げた。


「そこまでじゃないそこまでじゃない!全然気にしてないから!」


「そう?」


 鼻をすすり、上目遣いでこちらを見る。


「うんうん!今はちゃんと“幸せ”って心から言えるし、ほんとに大丈夫だよ」


「そうなんだぁ……ならよかったぁ……ミンチにされるかと思ったぁ」


 物騒な物言いをしてしばらくすると、キミカが再び口を開いた。


「でも本当大変だよね……ミコトちゃんも……」


 うん……とサナキは頷く。

 大変、そんな簡単な言葉で片付けられない程には、今のミコトは不安定過ぎた。


「仕方ないよ……あんなことがあったんだから……」


五年前の大災(ラグナロク・デイ)だったよね……ミコトちゃんが巻き込まれたのって……」


「うん……」



 そう口にした事で、嫌でも思い出してしまう。

 長年忘れようと、思い出さないようにと努めていた五年前の記憶。自分の記憶の淵に永遠に消し去ろうとしていたその記憶を――



 ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 あの日は、数年ぶりに家族で海に行った帰りだった。

 長期出張で家を空ける事の多かった父が、たまの休みには、と連れて行ってくれた。

 家族全員で車で何処かに行くなんてミコトが産まれた時以来だったので、その前の晩は興奮して眠れなかったのを覚えている。


「ミコト寝ちゃったね」


 遊び疲れ、静かな寝息をたててミコトはサナキの膝にもたれ掛かり眠っていた。


「あれだけ泳いだからな、疲れたんだろう」


 運転席に座る父、それに助手席に座る母が答える。


「最初はあれだけ怖がっていたのにね」


「あぁ、『こんな冷たい水に入ったら凍ってアイスになっちゃう』なんて、子供は想像力豊かで感心するよ」


 そう言って父が笑う。

 たしかにあの時のミコトはあまりにも臆病で、子犬のような可愛らしさがあった。

 片足に水しぶきがかかっただけで、この世の終わりのような顔をするミコトが可笑しくて笑っていたのは、今でもよく覚えている。


「でもサナキのあの『でもそのまま砂場に居たら、暑さで溶けちゃうよ』って言うのは良い脅し文句だったな」


 父の言葉に、母が答える。


「そうね、あれで溶けるか凍るか選んで、ミコトは凍る方がマシだって海に入ったんだもの。頭のキレる子だわ、サナキは」


「脅しなんてしてないよ!本当にミコトなら溶けちゃうかもしれないって、思っただけだもん」


 両頬を膨らませ、両親に抗議する。

 ただ妹の事を心配しただけなのに、あらぬ誤解を受けるのは心外だった。


「ははっ、そうかそうか。それは悪かった」


「むー……本当にそう思ってるのかなぁ」


 思ってるさ、と飄々とした態度で父は笑う。



「ねぇあなた、あれ何かしら」



 トンネルに入ると、母が遠くの方を指差した。

 母の指し示した先を、目を凝らして観察する。

 すると、遠くの方に黒く丸い動く点があるのに気付いた。


「なんだろ、サッカーボールか?」


 その点は徐々に大きくなっていき、やがて気付いた。

 それはサッカーボールなどでは無く、巨大な一台のトラックだということに。


「――――⁉︎」


 フロントガラスの割れる音。

 絶叫と轟音が響く。 

 周囲の車のエンジンの一つが爆発すると、それが引火し、ドミノのように次々と他の車も誘爆し、燃え上がる。

 宙に飛んだ車が回転し、どちらが地面なのかも分からなくなると、そこでサナキは意識を失った。




 ガソリンの匂い。吐き気を催す血と肉の燃える匂いが鼻腔を刺激し、途絶えていた意識が覚醒する。

 目を覚ますと、私は薄暗いトンネルの中で、ただ一人生きていた。

 薄暗いのは電灯のおかげでは無く、トンネルの中で悠々と燃える炎のせいだった。

 その炎は車から流れるガソリンと、人間の脂とを糧にし、どんどん大きくなり、燃え広がっていた。

 地獄――これほどこの場所に適した言葉はないだろう。

 何があったのか、ぼんやりとバラバラだった記憶が繋がっていく。

 幸せだった家族との思い出――トラック――爆発――

 自分の身に何が起きたのか理解したことで、遅れて恐怖を理解する事が出来た。

 辺りを見る。

 瓦礫の山と、死体の山――

 皆死に絶え、あれほどうるさかった轟音は消え、車のサイレンと炎が燃える不気味な静けさだけが残っていた。

 だがさっきまで乗っていたはずの車は辺りには無い。

 家族の姿も見当たらなかった。

 ホッとした。

 その言葉が正しいかは分からないが、サナキは家族が見つからないというその事実に安堵した。

 見つからないという事は、生きているという希望的観測に縋り付くことが出来るから。


「お父さん……お母さん……ミコト」


 幸いにもサナキは、周りの惨状に比べれば軽症だった。

 車から投げ飛ばされた時に打ったのか、体中には青痣が無数にあり、動かすと鈍い痛みが走ったが、どうにか立ち上がる事が出来た。

 一歩……また一歩……ゆっくりとサナキは歩を進める。


 家族に会わなければ。


 その想いが原動力とり、足を動かしていた。

 痛い。苦しい。

 燃え上がる黒い煙が肺に入ると、焼けるような熱が私の体を蝕んだ。

 ひゅー、ひゅー、と乾いた細い息が漏れる。

 それでもサナキは前へと進んだ。

 歩くたびに剣で刺されるような鋭い痛みが走るが、我慢した。

 私がいなくなれば、きっとミコトが不安になって泣いてしまう。

 妹の泣き顔は見たくない。妹にはいつも笑っていてほしい。

 だから前へ進むことをやめなかった。



 どれくらい歩いただろう――

 重い足を引き摺ってしばらくした頃、サナキの瞳に眩い光が映った。

 その光は身を焦がす熱とは違う光――暖かく身を包んでくれる太陽の光だった。


「出口だ……」


 助かった。

 そう思うと、もうとっくに枯れてしまったと思っていた水分が、サナキの瞳から落ちた。

 ようやく家族に会えるんだ。

 優しい父と母――可愛い妹――

 またみんなで暮らせるんだ。

 そう、喜びで胸が包まれた瞬間だった。


 ――――


 後方で何かが崩れ落ちる轟音と、女の子の悲鳴が聞こえた。


「ミコト⁉︎」


 意識せず、その名前が口から溢れる。

 その声を間違えるはずがなかった。

 ずっと隣にいたその声を……。

 それは紛う事なき、妹であるミコトの声だった。

 その声を聞いた瞬間、痛みも忘れサナキは駆け出していた。

 生きていた。

 本当に生きていた。

 その喜びがサナキの心に満ちると共に、それが消えてしまうかもしれないという恐怖に心は苛まれ、足を動かしていた。


「お母さんッッ‼︎」


 悲鳴の聞こえた方に向かうと、そこにいたのはミコトでは無く、母だった。

 母は頭や腕から赤色の血を流し、必死に重い崩れたアスファルトを持ち上げようとしていた。


「サナキ⁉︎」


 こちらに気付いた母がサナキと同じように声を上げる。


「お母さん……お母さんッッ‼︎」


 ついさっきまでずっと聞いていたはずの母の声――だがその声を聞くのはとても懐かしく感じられた。

 視界がぼんやりと霞むと、悲鳴に近い声を出しサナキは母へと抱きついた。


「泣くのは後にしてサナキ、ミコトがこの瓦礫の下にいるの!」


「ミコトが……」


 目の前にあるのは、サナキの体よりも一回り大きいアスファルトの破片。

 そんな物に押し潰されては、ミコトがどうなっているか分からない。

 泣いている場合では無い。

 涙を拭き、母と共にアスファルトを持ち上げる。


「せーの――ッッ‼︎」


 ざらざらとした割れ目が食い込むと、サナキの柔らかな手を切り、血が流れる。

 だがそんな事はミコトを失うという痛みに比べれば、どうでもいいことだった。

 ゆっくりと重いアスファルトが持ち上がると、瓦礫の山の下に倒れるミコトの姿が見えた。

 服の所々は焼け、頬には(すす)が付いていた。


「お姉ちゃん……?」


 虚な瞳で、ミコトが見上げる。


「ミコト!今の内に!」


 母がそうミコトに叫んだ時だった。


「――ッッ⁉︎」


 ミコトの顔が急に苦痛に歪む。


「い、痛いよ!離して!離してッッ‼︎」


 ミコトが必死の形相で自分の右手の方を見て狂乱し、絶叫していた。


「どうしたのミコト⁉︎何かいるの⁉︎」


「いやああぁぁあ――――ッッ!離してよ‼︎嫌だよッッ‼︎嫌だよぅッッ!」


 錯乱状態なのか、バタバタと暴れ、壊れたラジオのように同じ言葉を叫んでいた。

 訳の分からない状況に、恐怖を感じたサナキはただ呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。


「ミコトから手を離しなさいッッ!」


 母が瓦礫の中に体を埋めると、何かを蹴り飛ばす動作をした。

 その時、何か肉が潰れるようなぐちゃりとした粘っこい音が聞こえた。


「サナキ‼︎ミコトをお願い‼︎」


 母は瓦礫の中からミコトを引き摺り出す。

 ミコトは意識を失ったようで、全体重がサナキの細い腕にのし掛かった。


「私は後で行くわ。あなたはミコトを連れて早く行きなさい」


 母は瓦礫に体を埋め、こちらに背を向けたままそう言葉を投げた。


「何で……?どうしてお母さんも一緒じゃないの?」


「お母さんはまだやることがあるから、サナキ達と一緒には行けない。後で必ず追いつくわ、だから行きなさい」


 母の顔こそ見えないが、それが嘘を言っているんだろうという事は、何となく理解が出来た。


「嫌だよ!私一人じゃ怖くて行けないよ!足も痛いんだもん!」


「早く行きなさい!」


 その時が、最初で最後の母に怒鳴られた瞬間だった。

 幼い頃から両親に褒められ育ってきたサナキは、その事に恐怖した。


「あなたが、ミコトを守るのよ。お姉ちゃんでしょう」


 握り潰したような、切実な声だった。

 あの時の母が何を考えていたのかは分からない。

 けれどもう、自分にはこうするしかない。

 サナキは頷くと、ミコトを背中に担ぎ、出口へと歩みを進めた。

 もう後ろを振り向く事は無かった。 

 振り向けば、きっと自分は歩みを止めるだろうと思ったから。



 後日、自宅に届いた薄い茶封筒の中には、両親が大災(ラグナロク)による地震の影響で起きた落盤事故に巻き込まれ死んだ、という簡素な事後報告文が添えられていた。



 ※  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「サナキちゃん、大丈夫?」


 気が付くと、目の前に心配そうに顔を覗かせるキミカの顔があった。


「あっ、ごめんごめん。大丈夫大丈夫。ちょっと五年前の事、思い出しちゃって……」


「うぅ……本当にごめんねぇ、私が畜生の空気読めない雑魚女で……」  


「だからそんな気にする事ないって、全然平気だから」


 泣きじゃくるキミカに、笑顔で語りかける。


「さっきも言ったでしょ?私は今“幸せ”だって、心の底からそう言えるの。だから大丈夫」


 本当?と聞き返すキミカに、優しく微笑む。


「本当だよ。今日だって、ミコトが朝から学校に行けるようになって、超幸せだったんだから」


「えぇっ!そうなの⁉︎」


 そう目を丸くして驚くキミカに、サナキは今朝の出来事を話した。

 そしてその後、この五年間であった幸せな事を沢山語った。

 そうして語れば語るほど、本当に自分は幸せなんだと気付く。

 だが、それが少し怖かった。

 この幸せが、またあの時のように壊れてしまうのではないかと。

 だから少し考えてしまった。

 幸せが壊れてしまうぐらいなら、このまま死んだ方が良いのではないのかと。

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