第一話 雨の音と桜の花
短いお話ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
「ふぅ…」
思わずため息のこぼれる月曜日の放課後。何の変哲もない帰り道。
しとしとと降り続く雨が地面を濡らす。心地良い雨音に耳を傾けると、とても安らかな気持ちになる。
屋根のついたバス停で、私は空を見あげた。
現在の時刻は午後五時。空を覆う雲はどこまでも広がっていて、雨はしばらく止みそうにない。
私は、雨が好きだ。
降り注ぐ水の粒が、人付き合いであったり、進路の事だとかそういった煩わしいもの、面倒な事を全て、洗い流してくれる気がするから。
もちろん、雨が降っていてもいなくても、問題が解決するわけではない。けれども、少しは、少し位はーー
「休んでも…いいよね……」
目を閉じ、耳を澄ませる。真っ暗な視界。優しい暗黒には、嫌なものは何も映らない。
できることなら、永遠にこうしていたかった。
「心の水面が…穏やかに揺れるねぇ……」
「本当、落ち着く。……誰?」
意識の外から飛んできた声に、つい返事をしてしまった。ベンチに座っていたのは私一人だと思っていたのに、そうではなかったらしい。
私の隣に座っていたのは、昨日うちのクラスに転校してきた女子だった。髪が桜色で、身長は私より少し低い。
「こんにちは、柏木さん」
「こんにちは……えっと…」
まずい。目の前にいる彼女の名前が出てこない。自己紹介を聞いていたはずなのになぁ。
「あ、わたしは天海 桜です。よろしくね!」
「ど、どうも…天海さん」
思い出した、天海だ。
まったく、いくら雨が好きだからといって、記憶まで洗い流されたらたまったもんじゃない。
「天海さんもスクールバスだっけ…?」
「うん。 昨日は色んな人に話かけられたから、帰るのが遅くなって」
「そうなんだ。今日は大丈夫なの?」
「うん」
「へぇ」
転校生も、一日過ぎればただのクラスメイトか。みんな移り気というか、飽き性なのかな。
もっとも、最初から関心の無かった私に比べたらまだ構ってくれるクラスメイトの方が優しい気がしないでもない。
「柏木さんはいつもこの時間に帰るの?」
「まあね。人が少ないから、落ち着くし…」
「あ、じゃあお邪魔しちゃったかな?」
「別に大丈夫」
「そっか、良かった」
未だに降り続く雨を眺め、なんとなく呟く。
「今さら気付いたけど、天海さんは私の名前を知ってたんだ」
「うん。名字は一番に覚えたよ!」
「え、なんで?」
「だってわたし、柏木さんを一目見た時から……」
うん? 一目見た時から…? って何を期待してるんだ私は!
突然のイベントに焦る心を落ち着かせ、言葉の続きを待つ。
「友達になりたいって思ったんだ!」
ですよねー。馬鹿な期待をしてしまった、己の頭を叩きたい衝動に駆られるも、なんとか耐える。
まあ、それはそれとして。友達になりたいという申し出は素直に嬉しかったので、お礼を言っておく。
「ありがとう。そう思って貰えるなんて、なんかうれしいな…」
「じゃあ、友達になってくれる?」
「ええ。喜んで」
「良かった~…!」
私の目の前で、天海さんは思いっきり脱力した。よっぽど緊張していたのか、顔が緩みきっている。
「天海さん、大丈夫?」
「大丈夫! それともうひとつ!」
「ん?」
天海さんはキリッ、と顔を整えたかと思うと、また笑顔に戻った。表情筋がゆるみすぎてないか。
「わたしの事、桜って呼んでよ! わたしも柏木さんの事、下の名前で呼びたいから!」
うっ、いきなりの呼び捨て宣言。高いハードルだけど、断る理由も無い。
なにより、友好的に歩み寄ってくれる人を無下に扱うなんて、私には出来ない。
「わ、わかった……よろしく、桜」
少しばかり気恥ずかしいけど、なんとか言えた…!
そういえば先程、桜は名字を覚えたと言っていた。私が下の名前を教えようとした時、彼女は満面の笑みで言う。
「よろしく! 雨音!」
いや、下の名前知ってたんかい。
しばらくして、スクールバスが到着する。この時間帯はいつも人がおらず、一人悠々とバスに乗っていたものだ。
でも、今日は。今日からは違う。
「あまね、隣に座ってもいい?」
「良いに決まってるじゃん、桜」
私の隣に座る、新しい友人。
もちろん、今までにも友達はいた。時間の経過と共に全員と、縁が切れてしまったが。
彼女が私に、これから何をもたらすのかはまだ分からない。
私は彼女と、いつまで一緒にいるのかも分からない。
でも、
「あまね。見て見て、あやとりの星!」
「はいはい」
「次はコインロール!」
「桜って、意外と器用なのね…」
雨音が響くバスは、いつもより少しだけ賑やかだった。
あらすじにもあるように、このお話は全6話予定です。原則13時に更新いたしますので、何卒よろしくお願いいたします。