第十一話 法器の山
翌日の朝六時に大牛と多米は読み書きを習うために演習場に向かった。
晧と聖はお互いに自分の部屋に閉じこもり四形を始めた、一つの型を十五分ずつ続けるのは思った以上に難しかった。
二時間後、晧は四形で疲れた体をほぐしながら部屋を出た、聖の部屋は扉がしまっていて、まだ頑張っているようだった。「ふんっ」と小さく漏らし、晧は宿舎を出て大牛達の様子を見に行こうと演習場に向かって行った。道中畑で働いている者達を観察しながら歩いていると前方にふらふらと歩いている者がいた。
「ん?」
見覚えのあるような後ろ姿に興味を持って近づいてみると趙さんだった。
「ちょ、趙さん?!」
「ん?おお、晧じゃねーか、なんだこんなとこで何してんだ」
晧の声に反応して振り向いた趙さんは昨日と同じように二日酔いがまだ残った顔をしていた。
「いや、大牛達がどうしてるかなと思いまして、趙さんの方も今読み書きを教えてる時間帯じゃなかったんですか」
「いや~、ちょっと用事があってね、江里のやつに頼んでちょっと代理してもらってんだよ」
「は、はあ」(この人絶対飲みすぎただけだ)と内心呟く晧。
「お前演習場に行くのか、じゃあ一緒だな」
「あ、はいそうですね」晧がそう答えた時ブバッっと趙さんが放屁した。
「おっと失礼」ポリポリ掻きながら軽く謝罪する趙さん。
(失礼と思ってないだろ)
「ところで、どうだ今日はもう四形を二時間分やったのか」
「あ、はい、二時間頑張りました、四形って結構きついんですね」
「まあ、最初のころはな、そのうち慣れてくる」
「そうですね、でもきつくても一年後に本格的に弟子になれると思うと全然大したことないです」
「ん?一年?」なにか不思議な事を聞いた様な反応をする趙さん。
「え?はい、一年此処で四形を続ければ正式な弟子に成れるんですよね?」
「あ、いや、一年は最低限の労働の時間な、一年そこらじゃあ十分な霊力を手に入れられないよ」
「え?!!!、じゃあ弟子入りまでどれぐらいかかるんですか」
「まあ、五、六年ぐらいかな」
「ご?!! 五、六年??!!」
晧は耳を疑うほど震駭された、五、六年の月日は十三歳の少年にとって恐ろしいほど長く感じられた。
「まあ、人によっては短くも長くもなるが大体それぐらいだな」
「じゃあ、あの四形を二時間以上やればもっと早くなれるってことですか」
「そうだね、個人の努力次第で大幅に短縮できるよ。江里のやつも四年弱で柳の試験を突破して本堂入りしたからな、まあ頑張るこった」
他人事ではあるが趙さんのいつもの軽い口調でそう晧に呟く。
震駭な事実を教えられ内心焦りが募る晧、彼は今でも宿舎に籠り四形をやる衝動に駆られた。
そうこう話している内に演習場が見えた、皆が解散する時だった。晧に気が付いた大牛が走り寄って来た。
「あれ、晧に趙さん、二人そろって何してるんですか」
「ん?ちょっとくる途中に晧とばったり会ってな」
「ああ!趙さん、もう二度と手伝いませんよ、僕も自分の事が有るんですから」
趙さんが来たのにきづいた江里が文句を言いながら近づいてきた。
「おお、有難うよ、お礼は弾むからさ又今度頼むよ」
「この前約束してくれた物まだもらってませんが」
「大丈夫だって、俺が約束を破ったことがあったか、今度一緒に渡すからよ」
「なるべく早くお願いしますよ、それじゃあ僕はこれで失礼します」
そう言って江里は走り去っていた、それを見た晧は(江里さん走るの好きなんだろうか)と心の中で呟いた。
「よし、じゃあ俺も皆の様子を見て回るか、お前らは言われた通りもっと勉強しとけよ、そんでその後倉庫の掃除な」
趙さんはそう言って、大牛と晧を後にして去っていた。
「晧どうしたの、なんか浮かない顔をして」
「え? ああちょっとね、又後で話すよ、それより多米は一緒じゃないの?」
「ん?さっきまでいたんだけどな、どこ行っちゃたんだろ」
演習場の方を見渡しながらそう答えた大牛、晧と一緒に多米の姿を探していたら遠くから聖が見えた。
「あ、聖だ」
その声に晧も大牛が眺めている方角に顔を向けた、聖が先ほど晧と趙さんが来た道からやってきた。
「おーい、聖、こっちこっち」
「おい大牛、そんな大声で呼ばなくても来るって」
大牛の呼びかけに応じて聖も手を振る返して、駆け足で傍までやってきて晧と視線が合い、お互い無言でそっぽを向いた。
「おう、大牛、多米はいないのか、これからもっと読み書きの勉強するんだろ」
「うん、僕たち、いま多米を探してたんだ」
「おい、あれ多米じゃないのか」
晧が聖が来たのと反対の方角を指さしながらそう口にした。大牛と聖がその方角を見ると多米がこっちに向かって走り寄ってくるのが見えた。近くに来た多米がが息を切らしながら、
「はあ、はあ、ごめん皆。ちょっと用を足しに行ってたんだ、我慢できなくてさあ」
「なんだ、何処に行ったかと思ったよ」と大牛。
「これで揃った事だし、さっそく始めようぜ」と聖。
「張元達はどうする? 待った方がいいんじゃないか、あいつらも趙さんに読み書きを教える任務を言い渡されてんだから」と晧。
「いいじゃねーか別にあんな奴らいなくても」少し苛ついた口調で答える聖。
「張元達なら、別に待たなくていいよ、あいつら今朝俺と大牛に勉強も倉庫掃除もやらなくていいと趙さんから許しを貰ったって言ってた」と多米。
「そっか、あいつら昨日趙さん見つけて賄賂に成功したんだな」と晧
それを聞いて何かを言いそうになる聖を覆いかぶす様に大牛が先に口を開いた。
「いいじゃん、あの人達が居なくても、一対一で勉強できるじゃん」
「それもそうだな、どうする何処でしようか」と多米。
「なあ、皆、先に倉庫に行こう、そこでちょっと話がある」
「話ってなんだよ?」と聖。
「詳しい内容は倉庫に着いてから話す、でもこれは俺とお前に大いに関係する話だ」
聖と目線をぶつけながらそう告げた晧。彼の目線から何か深刻な事を感じ取ったのか聖は何も反発しなかった。
大牛と多米も晧に賛成して四人は倉庫に向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「五、六年??!!」
話を聞いた聖は晧と同じように衝撃に打たれた。
「ああ、趙さんは人それぞれ差はあるが大体が五、六年だと、それと江里さんも四年近くだったらしい」
「あの飲んだくれそんな事俺たちにはなんも話さなかったじゃねーか」
「でも確かにあの人一年で本格的に弟子入り出来るとは言ってないな」
趙さんが話した内容を思い出しながらそう呟く多米。
「あの人重要なことは余り伝えてないよね、というより必要最低限のこと以外は何も説明してくれないよね。考えたら彼の名前でさえまだ知らないよね」
大牛の一言に皆まだ趙さんの本名を知らないことを気づかされた。
「大牛も知らないのか、彼の下に連れてこられたんだろ」と多米
「うん、僕も知らない、詩月様は酔っ払いって呼んでた」
詩月はクソ酔っ払いと呼んでいたが「クソ」の部分は大牛が省いた。
「やっぱ飲んでんのか、あいつ昨日絶対に二日酔いで遅れたよな」と聖。
「そうだと思うよ、皆が来た日もさあ、趙さん僕が傍にいるのが邪魔だったんだろうね、外に行って誰も取り残されないように確認して来いって言われてさ、それでみんなの後についていって帰ってきたらあの人寝てたもんな」
「今朝も道で会った時二日酔いだったよ。でも今はそんな事よりこのままじゃ僕らが本堂で弟子入り出来るのは五年先の事になる、それをなんとか一年に出来ないか何か考えはないか」
「うーん、こればっかりはどうしようも無いからな」と多米。
「なあ、大牛、趙さん言ってたよな、本堂で習った方法を使って霊力を高めればいいって、その方法僕たちにも教えてくれないか、実は今朝趙さんからの話を聞いた後ずっと考えてたんだどうやったら霊気を集めて霊力を一年以内に高めるか、その時思いついたのがもし本堂の方法が有るのなら四形より早く霊気を吸収できるかもしれないってな」
「本堂で習った方法は教えてもいいけど、たぶん今の晧と聖にはまだ無理だと思う」
「なんでだよ」と聖。
「本堂で教わった方法は仙術の一つで『霊貼掌』と言って体内の霊力を掌に出してその霊力で空気中の霊気を集めて又体内に戻す術で、確かに四形よりは効率的だと思うけど今の晧と聖の霊力量じゃあこの方法は使えないよ」
「そうか、今の僕たちには十分な霊力がないって事か、じゃあ地道に四形で霊気を集めるしかないか」
「じゃあ、こんな我楽多詰めの倉庫掃除なんてしてる場合じゃねーだろ」と聖。
「でもここで修行する条件が一日七時間の労働、それは昨日趙さんが言ったように必ず守らなくてはならない事だろ」と多米。
「僕に考えがある。趙さんに賄賂が通用するだろ、だから今度趙さんに会ったら賄賂を渡して僕たちも張元みたいに労働を免除してもらうか労働時間を減らしてもらおう、そうすればもっと四形に費やす時間が取れるだろ」
「はあ?!賄賂なんて絶対やだね」晧の提案に憤慨する聖。
(そう来ると思った)と内心で考えながら晧は、
「じゃあ、お前は李墨ちゃんだっけ、に差をどんどん開かれてもいいのかよ?」
「ぐぅ....」
「このままだと本堂に入るのは五年後、その時李墨ちゃんはもうどんだけ先に行ってんだろうな~」
晧は聖が賄賂に関して絶対反発するだろうと踏んで、聖が李墨に対する競争心を煽り、彼に妥協させようとした。
聖が内心葛藤している時に趙さんがふらっと現れた。
「あれ、お前ら何さぼってんだ、仕事しろよ」
「あ、はいごめんなさい」と四人は突然の趙さんの登場に慌てふためき、咄嗟に床に山積みになっている我楽多から適当なものを掴んで拭き始めた。
乱雑な倉庫を見回して趙さんが唐突に呟いた。
「こんだけ法器を片付けるにはもっと棚が必要だな」
「え?今なんて言いました」趙さんの独り言を耳にした晧が聞いた。
「もっと棚が必要って言ったんだ」
「いや、その前の一言ですよ、この我楽多が何ですって?」
「ああ、言ってなかったけ、それ全部法器だよ」
「えー!!??」
趙さんの一言に他の三人も驚きの声を上げた。厚い埃をかぶりながら床に乱雑に積まれていたのは法器の山だった。