第九十一話「新たなヒーロー本部」
Tシャツを選ぶ基準は人それぞれだ。
色であったり柄であったり、『肌ざわりのよさ!』であったり。
ではそんなアピールポイントを胸に言葉で堂々と描いたTシャツが、かつてあっただろうか。
驚くなかれ存在するのである、そうムッチーランドならね。
「なにこれ、市中引き回しの刑?」
不景気そうな顔の下に、『肌ざわりのよさ!』の文字が躍っていた。
文字の隣にはこのランドのマスコットキャラクター、“ムッチー”が申し訳程度に描かれている。
林太郎はそのあまりの趣味の悪さに、はやくも脱いでしまいたい衝動にかられていた。
不幸な事故により、頭から水をひっ被ってしまった栗山林太郎。
当然のことながら着替えの用意など、持ってきているはずもなし。
致し方なくランド内のショップにて1着7,000円という、まるで夢の無い価格設定の限定Tシャツを購入し現在に至る。
「アニキ、ぜんぜん似合ってないッスね!」
「ありがとうサメっち、これ以上ない誉め言葉だよ」
林太郎と並んで歩くサメっちのシャツにも、同じダサ文字プリントが施されていた。
2着セットなら1万円で買えちゃうよという、悪質な商法に乗っかった結果のペアルックであった。
よくよく考えればセットにしたところで一着あたりさして安くはないのだが。
「えへへ……アニキとおそろいッス。なんだかコイビトみたいッスね」
「そうだねえ、あと5年ぐらいすればそう見えるかもしれないねえ」
ふたり同じシャツを着て手を繋いで歩く姿はまさに――。
恋人というよりは仲のいい兄妹、あるいは父娘に見えなくもないのではなかろうか。
林太郎はそんなサメっちを軽くあしらいながら、小さな頭にポンと手を置いた。
頭ふたつ低いその背丈は、なでるにはちょうどいい高さなのである。
いまだ子供としか言い表しようのない少女は、顔を赤らめて照れ臭そうに笑った。
シャツについては想定外の出費であったが、サメっちの笑顔を買ったと思えば悪くない買い物だ。
そんな様子を遠くから見守る影があった。
長髪長身の乙女、剣山怪人ソードミナスこと剣持湊である。
彼女はまるでおもちゃ売り場で押し黙る少女のように、羨ましそうに自分の頭をなでた。
そして自嘲的な言葉を吐きかけた唇から、かわりに湿った溜め息を漏らす。
湊は親の教育が厳しかったこともあってか子供の頃から気が小さく、大きな大人を見るとすぐに逃げ出していた。
加えて発育がすこぶる良かったため、同年代でも彼女より高い上背を誇る者は皆無であった。
結果として湊は、生まれてこのかた“頭をなでられる”という経験をしたことがない。
アークドミニオンでも百獣軍団長ベアリオンに次ぐ背丈を誇る彼女にとって、それは夢のまた夢なのであった。
はやく大きくなりたいという子供たちの願いは、いずれ叶う。
それと同様に、いやそれ以上に。
湊は小さくなりたいと願っていた。
もちろんいくら自分で自分の頭をなでたところで、その願いが叶うはずもない。
「……なにをやってるんだ私は……」
『閉園のお時間となりました……お忘れ物のなきよう……』
ムッチーランドに、夢の終わりを告げるアナウンスが流れる。
太陽はゆっくりと薄い影を伸ばし、やがて西の空へと消えていった。
………………。
…………。
……。
初代ヒーローにして、半世紀もの永きにわたり日本の平和に寄与した守國一鉄長官。
彼の突然の退任劇は、日本全国に衝撃を与えた。
頭の薄い作戦参謀本部長をはじめ、守國体制下の重鎮はことごとく解任・異動となった。
マスコミに向けられた情報によると、羽田決戦において“善戦し怪人を撤退せしめたものの多大なる被害を出した”ことに対する引責辞任であると発表されている。
それと同時に、後任として30年のキャリアを誇る51歳の風見正行が指名された。
「風見長官! 今後のヒーロー本部の方針をお聞かせください!」
「いやあ……今後と申しましても、敵性組織の動向もありますので一概にはねえ……」
「風見長官! ヒーロー本部始まって以来の大損害についてはどうお考えですか!?」
「うーん……それについてのコメントは、報告がまとまり次第日を改めて……」
「風見長官! 一連の事件の首謀とされる極悪怪人デスグリーンの対処についてはどうお考えですか!?」
「えー……詳細な資料が手元に届いていないので、僕のほうからはなんとも……」
絶対不動であった守國の後任として世間の注目度は高かったのだが、風見はまるで風にゆれる柳のように頼りなかった。
そんなマスコミであふれかえる阿佐ヶ谷ヒーロー本部前に、ひとりの派手な女が立っていた。
黒いスーツの胸元からは真っ赤なシャツが覗き、首からぶら下げている職員証には『参謀本部長』の文字が躍る。
「ンフフフーッ! ついに、ついに我が世の春が来ましたわーッ! 正義はこの私、小諸戸歌子を必要としているのですわ!!」
マスコミ対策として念入りに化粧をしてきた歌子は、報道記者たちに聞こえるよう高らかに笑ってみせた。
しかし話題の新長官に殺到する報道陣は、誰ひとりとして彼女にカメラを向けていないのであった。
…………。
阿佐ヶ谷の仮設ヒーロー本部は、新体制に向けて大忙しであった。
先ほども仮設ヘリポートに、ヘリが一機到着したばかりである。
これまた仮設の長官室では、風見新長官が現場からの報告を受けていた。
報告書を読み上げるのは、東京本部所属ビクトレンジャーの鮫島朝霞司令官である。
「とくに東日本全域で各地下組織の動きが活発化しています。ヒーロー組織の再編は急務かと存じます」
「なるほどねえ、そうなんだ。それで、僕はどこにハンコを押せばいいのかな」
「ではこの書類と……ここにお願いします」
こんな具合で、あまりの頼りなさと存在感のなさから、風見新長官は早くも職員たちから“昼行燈の風見鶏”と呼ばれていた。
風見がハンコをぽんぽこ押していると、長官室の扉がバーンと乱暴に開かれた。
黒いスーツに赤いシャツという派手な格好の女が、ずかずかと入ってくる。
威風堂々とした佇まいと妙な自信に満ちあふれた笑顔、新参謀本部長の小諸戸歌子であった。
風見とは対照的にアグレッシブで見た目もそこそこ美人である彼女は、職員の間でも評判は悪くなかった。
――――その性格を除いて。
「あらァー? 鮫島司令官もいらしてたんですわねぇ。偶然ですわぁ」
「……失礼します」
「待ってくださいまし鮫島司令官、同期の間柄ではありませんか。確かに私のほうがだーーーいぶ出世しちゃったみたいですけど、私はそういうこと気にしませんわ、ンフフフフ!」
鮫島朝霞と小諸戸歌子は、ともに10年前ヒーロー学校を卒業した同期である。
なにかにつけて要領がよく成績優秀だった朝霞に対し、一方的にライバル心を燃やし続けていたのがこの歌子であった。
当時17歳という若さで首席の座を射止めた朝霞に対し、みっつほど年上の歌子は意地で次席につけたほどだ。
その執念たるやすさまじく、3年ほど前に朝霞が長官付の補佐官に任命されたかと思えば。
すぐさま自分も作戦参謀本部入りを熱望し、強引なやりかたでその末席に尻をねじ込んだほどである。
もちろん根性以外に取り柄のない人間が使い物になるはずもなく、作戦参謀本部としても歌子を持て余していたのだが。
上の人間が片っ端から解任の憂き目にあった結果、繰り上がりで彼女に参謀本部長の椅子が回ってきてしまったという次第である。
つまり歌子の出世は実力によるものでもなんでもなく、ただの悪運の結果だ。
しかしそんな経緯を気にする様子もなく、歌子の鼻は伸びに伸びていた。
「ンフフフフーッ! 若く、美しく、そして優秀な私がいれば、秘密結社アークドミニオンなんて1ヶ月でクシャクシャのポーイですわ!」
「うん、期待しているよ小諸戸くん。情報分析室あがりの僕には、現場のことはよくわからないからね」
「お任せくださいましー! ンフッ!」
異様に押しが強く、ヒーロー学校時代は“小者でウザ子”と呼ばれていた歌子である。
いまいち影の薄い風見長官では、おそらく彼女の暴走を止めることは不可能であろう。
朝霞は大きなため息をグッとこらえ、長官室を後にしようとした。
そんな彼女の背中を“小者でウザ子”が呼び止める。
「あらあらあら待ってくださいまし鮫島司令官! あなたにもひとつ大事なご報告がありましてよ!」
「……なんですか?」
ほとんど無表情で尋ねる朝霞に、歌子は平坦な胸をドーンと張って答えた。
「あなたが担当するビクトレンジャーの新メンバーを、作戦参謀本部で用意しましたの。パーソナルカラーは“赤”と“緑”ですわ」
その名の通り歌うように意気揚々と紡がれる歌子の言葉に、朝霞の眉がピクリと動く。
自身が管理するビクトレンジャーの人事を、事後承諾で済ませたことに対する不満もある。
しかしそれ以上に、朝霞にとって聞き逃せない言葉が含まれていた。
「赤……? ビクトレッドは暮内さんでは……?」
「使えないから左遷しましたわ……岩手のオンドコ沢支部に!」
普段感情をまったく顔に出さない朝霞だったが、その目が大きく見開かれる。
朝霞の驚く顔を見て、歌子はンフフフフーと満足そうに笑った。
「さきほど迎えのヘリが到着したところですわ」
朝霞が急いで長官室の窓を開くと、外ではちょうどヘリコプターが飛び立ったところであった。
どこぞの戦隊の搭乗機なのであろう、鮮やかな青色をしたジェットヘリから身を乗り出す半袖の男がひとり。
下高井戸のマンションに居候していたはずのその男は、大声でルームメイトの名を呼んでいた。
「朝霞さぁん! 朝霞さァーーーーーん!!!!」
「暮内……さん?」
朝霞と烈人の目が合うのと同時に、ジェットエンジンが炎を吹き出しヘリがグンと加速する。
機体は暮内烈人を乗せたまま、あっという間に北の空へと消えていった。
呆然とする朝霞を尻目に、歌子はまるで別れを惜しむかのようにハンカチをひらひらと振っていた。