第九話「池袋デート作戦」
“池袋”
新宿・渋谷と並ぶ三大副都心の一角にして、北関東の大動脈を束ねる心臓。
その中心となる池袋駅は、年間でのべ10億人が利用するまさに都会を象徴するターミナルである。
「あわわ、アニキちょっと待ってほしいッス!」
「なんで断らずに全部もらっちゃうかな」
サメっちはポケットティッシュや試供品のシャンプーをもらい続け、駅から5分も歩かないうちに早くも両手が塞がっていた。
「ところでアニキ、今日はどこに行くんッスか?」
「とくに決めてないよ。とりあえずブラブラ歩くだけ」
もちろん嘘である。
林太郎の上着のポケットにはビクトリー変身ギアが入っている。
ヒーロー本部がよほどのバカでなければ、この反応を見逃すはずがない。
あてもなく街を歩いていれば、必然的にヒーロー関係者との接触が図れるという寸法だ。
仲間と合流次第、サメっちの処理はヒーローたちに任せてしまえばいいのである。
そうすれば林太郎は晴れて自由の身となり、安全にヒーロー本部へ復帰できるという算段なのだ。
「アニキまさか、デートなのに行先決めてないんッスか? デートなのに!?」
「いいかいサメっち。場所はそんなに重要じゃあないんだよ?」
無論、人の多い池袋をわざわざ選んだのにも理由がある。
ビルが密集し人通りの激しい市街地ならば、万が一このサメ怪人と対峙することになっても逃走経路は無数にある。
死角も多く、不意打ちを得意とする林太郎にとってはまさにホームなのだ。
「ふたりで一緒に過ごせればどこだって同じさ、そうだろう?」
「男はそう言ってすぐ女をホテルに引きずり込むってお姉ちゃん言ってたッス!」
「はい黙ろう。みんな見てるからね。今日はサメっちが行きたいところに行こうね」
ここにきて林太郎は、自分がとんでもない爆弾を抱えたテロリストであることを自覚するに至った。
相手は怪人とはいえ、いい歳した男が幼女を連れまわしていることに違いはない。
林太郎の邪悪な頭脳は、話を合わせるべきとの結論を導き出した。
「じゃあサメっちあそこに行きたいッス!」
サメっちが指さす先には、池袋でもっとも巨大なビルがそびえたっていた。
“ムーンシャイン水族館”
池袋の名所と言えばまずここを挙げる人も多い、まさに都会の水族館だ。
人の娯楽欲というものは、ときにすさまじいエネルギーを放つ。
たとえば海のない都会のど真ん中、それもビルの屋上に水棲生物の楽園を築くほどに。
「大人2枚ッス」
「大人1枚こども1枚でお願いします」
「ノン。サメっちはもう立派なレディーッス」
「おっとダメだよサメっち。大人料金とこども料金で1,000円も違うんだ。その主張は許容できない」
チケットカウンターで林太郎の袖をひっぱりながらゴネるサメっちを、林太郎は優しくたしなめた。
大人は大人、子供は子供。
たとえ相手が怪人であったとしても、世の理をねじ曲げるなど許されないということを教えてやらねばならない。
「アニキのちんちんだって見たッス!」
「大人2枚でお願いします」
ちんちんに比べれば世の理などねじ曲げてなんぼのカスである。
首尾よく館内に入ったものの、チケットカウンターのお姉さんの笑顔が凍りついていた。
林太郎としては通報されないことを祈るばかりだ。
「わあー! ペンギンッス! アニキ、ペンギンッスよ!」
「走っちゃあいけないよ。転んだら全身の骨がボッキボキに折れちゃうかもしれないからね」
「サメっち、あの太ってるやつにするッス!」
「お寿司屋さんの生け簀かな? アレは食べちゃいけないペンギンさんだよ」
そんな感じでふたりはなんだかんだ水族館巡りを堪能していた。
サメっちはというと、お土産コーナーでサメの形の水鉄砲を買ってもらってはしゃいでいる。
「くそぅ……こんな子供だましのおもちゃで2,000円もするなんて……」
「アニキ、アニキっ」
「なんだいサメっち? 二丁拳銃がやりたいなんて言い出さないでくれよ」
「ガチャポンッスよアニキ! ほら、ガチャポン!」
サメっちが興奮気味に指さす先にはカプセルの詰まったカプセルトイの筐体が置かれていた。
硬貨を入れてハンドルをガチャッと回したらポンと出てくるアレである。
「中身は……世界のかわいいサメシリーズ、全6種+シークレット……?」
「アニキ、デートといったらガチャポンッスよ! お姉ちゃんもそう言ってたッス!」
「やらないよ? サメっち、大人のレディーはデートでガチャポン回さないんだよ」
「むぅぅぅぅぅんッスぅぅ……」
よっぽど回したいらしく、サメっちはガチャポンの筐体にしがみついて離れなくなってしまった。
「……はあ、仕方ないな、1回だけだぞ」
「やったーッス! アニキ大好きッス!」
調子のいい子供だなと思いつつ、林太郎はしぶしぶ筐体にお金を入れる。
サメっちが嬉々としてハンドルを回すと、思いのほか大きな音とともに青いカプセルがひとつ転がり出てきた。
サメっちは小さな手でそれを拾い上げる。
「かしこみかしこみッス……」
「サメっち、いま祈っても中身は変わらないと思うよ」
「こういうのはロマンッス! サメっちこう見えてヒキつよッス」
サメっちはそう言ってカプセルを握る両手に力をこめる。
小さなカプセルの中から出てきたのは、口のまわりを真っ赤に染めたいかにも不気味なサメの人形であった。
どうやらシークレットの“血まみれジョーズ”というらしい。
よりにもよって、かわいいサメシリーズで一番かわいくいないやつを引き当てるとは。
2回はやらないよとばかりに、林太郎は財布をしまいこんだ。
サメっちはじっとサメの人形を見つめていたが、すぐにパッと満面の笑みを浮かべた。
「はい、アニキ」
そう言ってサメっちは“血まみれジョーズ”を林太郎に向かって差し出す。
「デートのお礼にサメっちからのプレゼントッス!」
「それ元はといえば俺の金なんだよね」
「エンリョしちゃダメッス!」
「ああ、わかったよ、わかったから……ありがとうサメっち」
林太郎が礼を言うと、サメっちは満足したように再びむふふんと笑ってみせた。
プレゼントという割には、なんだかハズレ景品を押しつけられただけのような気がするのだが。
なかば強制的につかまされた“血まみれジョーズ”を、林太郎は上着のポケットにしまいこんだ。
なんというか、デートというより家族サービスのようだと、林太郎はサメっちに聞こえないよう小さくため息を吐いた。
数十分後。
怪人っ娘が調子に乗ってサメのぬいぐるみも欲しいと言い出した、ちょうどそのときである。
ピピッ。
小さな電子音が林太郎の耳に届いた。
音の出どころはもちろん“ビクトリー変身ギア”である。
林太郎がサメっちに見つからないようそっと確認してみると、画面には接近する3つの点が表示されていた。
いっぽうそのころ。
『ビクトレンジャー、反応は水族館の中だ。ブルーのこともある、十分に注意しろ』
「ああ、ブルーとグリーンの仇だ。必ずここで決着をつけるぞ」
「姑息に策を弄する敵なぞ、わしのイナズマハリテで真正面から粉砕してやるでごわす」
「アンタたちこんなところでやる気なの? お魚さん死ぬわよ?」
3つの影が憎き怪人を討ち果たすべく、林太郎たちのもとに迫っていた。
そして数分もしないうちに、林太郎とサメっちの前に彼らは現れた。
「見つけたぞ!」
林太郎にとっては聞き覚えのある暑苦しい声。
ビクトレンジャーでは唯一の同期であるレッド、暮内烈人がそこにいた。
続いて黄王丸、桃島るる、頼れる仲間たちが林太郎のピンチに駆けつけてくれたのだ。
「そこまでだ怪人め! そいつを解放しろ!」
ここまではすべて林太郎の思惑通りである。
後はビクトレンジャーがサメっちをボコボコにしてくれれば、計画は完遂する。
「あわわわわ、アニキ! アイツらひょっとして、ヒーローッスか!?」
「そうだよ、彼らはサメっちを始末しにきたんだ。レッド、イエロー、ピンク! 本当によく来てくれた! 信じていたぞ!」
林太郎は極悪な笑みを浮かべながら3人のヒーローに歩み寄る。
ようやく忌まわしき怪人の巣窟、アークドミニオンから解放されるのだと。
シュトトトッ!
しかし希望に向かって踏み出した林太郎のつま先をかすめるように、桃色の矢が突き刺さった。
「アルケミストライクボウ……。今のは警告だよぅ、次は外さないんだからねっ!」
「ぬう、いたいけな女児を人質に取るとは卑怯千万。万死に値するでごわす」
営業モードに入ったピンクと、怒りをあらわにするイエロー。
そして。
「極悪怪人デスグリーンめ! その女の子を解放しろ!」
リーダーのレッドは使命感に燃えていた。
すべては怪人デスグリーンから愛すべき市民、とらわれた人質を守るためにである。
「は? ままま、待ってくれ……俺の顔を忘れたのか?」
そう、誰がなんと言おうが彼はビクトグリーン、栗山林太郎である。
ここ数日ストレスのせいで少しやつれているが、仲間たちが見間違えるはずもない。
しかしその言葉が、逆に彼らの熱いハートを燃えたぎらせた。
「どうやらグリーンを生きたまま貪り食ったという情報は本当らしいな!」
「我が友を殺めるだけでは飽き足らず、その生前の姿までも愚弄するとは……許さんでごわす!」
「みんな気をつけて、デスグリーンは驚異的な擬態能力を持っているわ! 見た目に惑わされないで!」
デスグリーンには、倒した相手に化ける能力があるらしい。
もちろん、林太郎自身初耳である。
敵意剥きだしの元同僚の姿を見て、林太郎は自分の計画が根底から崩れ去ったことを悟った。