第七十六話「羽田包囲網」
阿佐ヶ谷のヒーロー仮設本部では、研究開発室の丹波星二室長が羽田の様子をモニターしていた。
「はーっはっはっはァ! これでもうどこにも逃げられねぇって寸法よぉ!」
「さすがに、東日本のヒーローを総動員というのはやりすぎでは……?」
丹波の要請で南極にビクトリーファルコンを派遣した鮫島朝霞司令官は、その光景を見て眉をひそめた。
しかし丹波は朝霞に、まるでわかっていないという風に声を荒げる。
「いいか鮫島ァ、桐華は最高の試作品だ! アイツの卵細胞を研究すりゃあ、怪人のパワーを持ったヒーローの量産も夢じゃねえ! 今ここで桐華を取り逃がしたら研究はまた10年以上遅れることになるんだぞ!?」
「このことが明るみに出たら、国際ヒーロー連盟が黙っていませんよ」
「だーかーら、ここで捕まえるしかねえってわけよ! 日本の外に情報が漏れちまう前にな!」
「場合によっては口を封じる可能性もある、ということですか?」
丹波はその皺だらけの口元をニィッと吊り上げた。
「そうはならんように、ちゃあんと手は打ってあるってんだよ」
…………。
水平線の彼方から、まばゆい朝日が人工の大地を照らす。
羽田空港には、東日本中の名だたるヒーローたちが集結していた。
いずれも劣らぬ超人たち、その数およそ1,000人。
彼らの目的はただひとつ、黛桐華・暗黒怪人ドラキリカの“討伐”である。
林太郎たちの視界を、正義の炎が端から端までみっちりと埋め尽くしていた。
「はわわわわ……アニキぃ! これヤバいッスぅ!」
「ご当地ヒーロー大集合かよ……まったく大人げない連中だヒーロー本部ってのは」
林太郎はデスグリーンギアを構えるが、変身についてはためらわざるをえなかった。
とてもではないが、10分間というタイムリミットでどうこうできる数ではない。
巨大ロボを隠し持っていることも考慮すると、正面突破は愚策であった。
桐華がヒーロー本部にとって、相応に重要な存在であることは理解していたつもりだ。
しかし東日本中からヒーローを大集結させるほどの価値があるとは、完全に想定外である。
「いいか、臆するな戦士たちよ! 正義は我らにあり!」
「そうだそうだ! 一致団結して悪の怪人どもを断罪するんだ!」
じりじりとにじり寄る包囲網の輪。
三人の怪人たちとヒーローたちの間を、張り詰めた静寂が流れた。
林太郎はサメっちを庇うように“ニンジャポイズンソード”を構える。
「今なら……」
重苦しい沈黙を破ったのは、桐華であった。
彼女が裸足で一歩踏み出すと、輪を形成しているヒーローたちがわずかにたじろぐ。
「センパイがどうして極悪怪人なんてものになったのか、わかる気がします」
黛桐華、それは全国のヒーローたちの間ですでに伝説として語られる存在である。
17歳にして、ヒーロー学校第50期首席の肩書きを持つ若き天才。
歴代記録をことごとく塗り替えた、まさにヒーローになるべくして生まれた女。
実力、才能、容姿、その他すべてにおいて神々に愛されすぎた最強のヒーロー。
圧倒的すぎる彼女の身体スペックは、並のヒーローが100人束になってかかろうが太刀打ちできるようなものではない。
「この中に、私とやりたい人はいますか?」
南極の風よりも冷たい、澄んだ氷のような声が1,000人のヒーローたちから急速に熱気を奪う。
彼らはお互いの顔を見合わせるも、勇み足を踏もうという者はいなかった。
「ひ、怯むな! 研究開発室からの優先武器供与がかかってるんだぞ!」
「そうだ、ビビッてる場合じゃねえ! 俺たちがビビッときめるぜ!」
最初に動いたのは、いつぞや林太郎に叩きのめされた粒子戦隊レーザーファイブであった。
五人で同時にレーザー銃を構え、照準を桐華に定める。
「う、撃つぞ! 俺は撃つぞ! 本当に!」
「ややや、やってやる! 汚名を返上するんだ!」
照準器の中で、少女がゆっくりとその手を構える。
――チュビンッ――!
という鋭い音とともに、自慢のレーザー銃がドロリと溶けた。
桐華の手のひらから放たれる細いエネルギー光線が、次々とレーザー銃をただの溶けた鉄へと変貌させる。
「私はセンパイと一緒に“帰る”んです。邪魔をしないでください」
桐華の周りを黒い旋風が吹き荒れ、コートがはためくやその姿があらわになった。
半身を包む黒い鎧のような甲殻、爬虫類を彷彿させる太くて長い尻尾。
翼竜のような巨大な2枚の翼に、頭から2本生えた鋭い角。
怪人態へと変身した桐華の眼が真紅に光る。
「センパイ、正面は私が潰します。サメっちさんをよろしくお願いします」
「黛、お前……さすがにこの数は無茶だろ……」
「心配いりませんよ、“たかが1,000人”です」
桐華は己に問いかける、守りたいものは秩序か、それとも世界か。
否、桐華が守りたいもの、それは桐華自身が決めることだ。
それがたとえ独善的な正義だったとしても、もう迷わない。
目の前に立ちふさがるものはすべて、穿ち抜くと決めたのだから。
桐華はその黒く鋭い爪の生えた手で、ヒーローたちを手招きした。
「さっさと終わらせましょう。ひとり0.1秒なら2分で片付きます」
秩序の名のもとに敵を倒すためでも。
優しくない世界を破壊するためでも。
ましてや己の孤独と安寧を守るためでもない。
ただ大切な人を守り愛するため、いびつな正義を貫き通すため。
怪人としてその力を振るうという、桐華の決意表明であった。
「ちくしょうがーッ! みんなで一斉にかかれーーーッ!」
武器を手にしたヒーローたちが、桐華改め暗黒怪人ドラキリカに向かって殺到する。
その彼らを、鞭のようにしなった長い尻尾が軽々と弾き飛ばす。
10人弱のヒーローが、たった一撃でビクビクと痙攣しながら滑走路に転がった。
それと同時に林太郎とサメっちの元にも、ヒーローたちが殺到する。
林太郎は身体をひねって迫りくる攻撃をかわすと、ニンジャポイズンソードでその首筋に一撃を加える。
気絶したヒーローを“人間の盾”にして、生身でありながら次々と舞うようにヒーローたちを墜としていく。
「くそっ! なぜだッ! なぜ攻めあぐねるのだッ!」
「地方からはるばるご苦労さん。俺、これでも東京本部所属の元エリートなんだよね」
林太郎は拾い上げた銃で、立て続けに五人の顔を撃ち抜いた。
顔面に激しい衝撃波を食らったヒーローたちが、もんどりうって転げまわる。
「おもちゃみたいな銃使ってるのな。やっぱいらないや、返すよ」
「……おわっととと! こら大事に扱え! 貴重なエネルギー銃なんだぞ!」
ヒーローのひとりが、投げつけられた銃をかろうじてキャッチする。
次の瞬間、その銃がヒーローの手の中で大爆発を起こした。
「ウギャアアアーーーーーッ!!」
「一度敵の手に渡った武器を無警戒に受け取るのは素人以下だぞ。だがその貧乏性は悪くない、俺にとってはな。あっはっはっは、それじゃそろそろ本気出そうか」
林太郎の体が緑色に光ると、たちまち禍々しき緑の鎧に包まれる。
黛桐華とならび噂され、いまや東日本のヒーローたちが名を聞くだけで恐れおののく極悪怪人。
日本ヒーロー界の頂点に君臨していた勝利戦隊ビクトレンジャーを、単身で壊滅させた地獄の使者。
「“平和”を愛する緑の光、デスグリーン。さあて、道をあけないヤツはひとりずつ“平和”にしてやろうじゃないの」
「センパイ、初めて見た時から思ってましたけど、その恰好あんまり似合ってないですね」
「そういうのは思っていても言っちゃダメなの!」
「アニキはカッコいいッスよ! イカしてると思うッスよ!」
サメっちを中心に背中合わせになった林太郎と桐華は、お互いに正面のヒーローたちを睨みつけた。
いずれも1,000人ものヒーローたちに、退くどころか押す勢いの大怪人である。
普段は地方でパトロールがてら平和を満喫しているヒーローたちには、あまりにも荷が重い相手であった。
ダメ押しをするように、暗黒怪人ドラキリカの全身から天を衝くほどの黒いオーラが立ちのぼる。
空気がビリビリと震え、空港の端っこで羽を伸ばしていた海鳥たちが一斉に飛び立つ。
「まとめてかかってきなさい。優しくなれるまで“愛して”さしあげますよ」
若いヒーローたちにとってこれほど強大な敵というものは、当然のごとく経験したことのない相手であった。
歴史を遡ってみても、この規模のヒーロー軍団とまともにやりあった大怪人などそう多くはない。
いくら東日本全域からヒーローを集めたとて、ひとりひとりは人間である。
怪人のあまりの迫力に、1,000人規模のヒーローたちでさえも迂闊には動けないでいた。
――ただひとりを除いて――。
「それじゃあ俺の愛の拳を受け止めてもらおうかい」
ヒーローたちの人垣を割って、弾丸のように飛び出した男の拳が桐華に襲い掛かった。
頭の上から叩きつける隕石ような重いパンチを、桐華は両腕の甲殻でガードする。
「アカパンチ!!」
「うっ……グゥゥゥゥッッ!!」
爆撃のような衝撃が桐華の身体を伝わり、両足を中心に滑走路が陥没した。
真っ赤な拳と、少し色あせたマスク。
たなびくマントを羽織った、始祖にしていまだ頂点に立ち続ける英雄。
最古のヒーロー・アカジャスティス。
ヒーロー本部長官、守國一鉄はその拳を固く握りしめた。