第七十四話「さらば孤独よまた会う日まで」
阿佐ヶ谷のヒーロー仮設本部には、モニターに映し出された南極の地図を眺めるふたりの老人がいた。
ひとりはここの最高責任者、ヒーロー本部長官の守國一鉄である。
もうひとりは筋骨隆々な守國とは対照的に、枯れ枝のような印象を受ける痩せた爺さんであった。
顔には年相応の皺が刻まれているが、背筋はピンと伸びた男である。
白衣の下に着こんだブルーのシャツが、不相応な若さをアピールしていた。
「ったく面倒くせえことになりやがったぜコンチキショウ!」
「そんなにいきり立つな。また血圧が上がるぞ丹波」
「わかってらぁ! これが落ち着いていられるかってんでい!」
江戸っ子気質あふれるこの老人の名は、丹波星二。
ヒーロー本部の研究開発室を取り仕切る、科学部門の長である。
ビクトリー変身ギアやキングビクトリーをはじめ、ヒーローたちの武装の開発にはほぼ全てこの男が携わっている。
また先の戦いで襲撃を受け壊滅した、極秘地下怪人収容施設の責任者でもあった。
ありとあらゆる科学の粋を結集し、非力な人類が怪人たちに対抗しうる力を生み出す。
それが研究開発室の責務であり、丹波という男の理念であった。
「やはり黛桐華は失敗作だということか」
「バカ言っちゃいけねえ! 桐華は研究開発室の最高傑作だってんだ!」
「しかし暴走した。安定を欠く兵器では使いものにならん」
「そこがわっからねえのよ! そう簡単に外せる“鍵”じゃあねえはずだぜ……」
参謀本部のモニタリングルームに置かれた一冊のファイル。
それはかつて神保町のヒーロー本部跡から発掘され、阿佐ヶ谷仮設本部に運び込まれた極秘資料の一端であった。
ファイルに刻まれた計画の名は――『怪人細胞転用計画』――。
怪人覚醒の数日前、黛桐華が目にした、彼女自身に関する真実であった。
10年前、当時から研究開発室長であった丹波のもと、とある計画が始動した。
怪人の強靭な肉体や再生能力を、ヒーローの戦闘力として転用しようという計画である。
「桐華ってのはオメェか。オレが研究開発室長の丹波だ! オメェの爺さんとは、まあ旧知の間柄ってヤツだな!」
「…………」
「愛想がねえなあ! いいぜ、それでいい! ヒーローは孤独なもんだ!」
「…………」
被検体として選ばれたのは、かつて怪人へと覚醒し姿をくらませたクロジャスティス・黛竜三の血を引く孫娘、当時7歳の桐華であった。
富士山爆発災害の直後、両親が行方不明となったばかりの桐華は親戚に引き取られた。
それを知った丹波は親戚を言いくるめ、剣術の稽古をつけると称して桐華を事実上ヒーロー本部の監視下に置いたのだ。
もちろん表向きには、怪人被害遺族のケアという人道的な理由からとされている。
しかし生まれながらにトップクラスの怪人の素質を持つ彼女は、研究開発室が求める“怪人の強さを持った最強のヒーロー”として最適な素体なのであった。
怪人覚醒さえ抑え込めば、桐華の力は逆に対怪人の切り札になりうると丹波は考えたのだ。
黛桐華の実績を見るに、実際その目論見は当たっていたと言える。
旧友の孫娘ということもあり、特別に目をかけたというのも間違いではなかったが。
「桐華よぉ、オメェは立派なヒーローになるぜ。このオレが保証してやらぁ!」
「……そうですか」
「てことで今日からオメェに剣術を教える! オレの無月一刀流をモノにしてみせろい!」
「……はい」
幸か不幸か、被災以降桐華は誰にも心を開くことがなかった。
ただ言われたことだけを淡々とこなす、およそ感情体験とは無縁の子供だったのだ。
それは秘密裏に計画を進めたい丹波にとっては、心配である反面好都合でもあった。
なにより怪人覚醒へと至るプロセスにおいて、“感情”が大きな役割を担うことはすでに解明されていた。
もともと感情が希薄な桐華は、覚醒を人為的に抑える研究においてまさに最適の人材だったのだ。
丹波の想定通り、少女は自覚のないまま少しずつ怪人の力を我が物にしていった。
数年が経過し、数値として現れた結果は丹波の想定をはるかに超えるものであった。
歴代ヒーロー学校の記録を次々と塗り替え、その圧倒的な身体能力は生身にしてあらゆるヒーローを凌いだのだ。
史上最強のヒーローを、人為的に作り出すという計画が成就した瞬間であった。
「桐華ァ! すげぇ数値だぜ! やっぱりテメェには素質があらぁな!」
「……そうですか」
「ところで最近元気ねぇみてぇだが、なにかあったか? 学校でいじめられてんのか?」
「……なにもありませんよ、なにも」
丹波の懸念をよそに、予定通りビクトレンジャーでの実地研修をおこなうまではなんの問題もなかった。
しかしいざ本格的な実戦投入に向けて着々と調整が進む中、今回の怪人覚醒が起こったのである。
むろん怪人覚醒に至らぬよう、細心の注意を払っていたにもかかわらずだ。
丹波からしてみると、厳重に鍵をかけた金庫の中から大事な宝石を盗み出されるようなものであった。
そして“鍵を開けた泥棒”は、間違いなくあの極悪怪人デスグリーンだ。
丹波は桐華が栗山林太郎という男を慕っていたことも、林太郎がデスグリーンによって殺されたことも把握している。
しかし丹波には、桐華が“怒り”の感情だけで覚醒に至ったとは到底思えない。
なにかしらのキッカケを作った者が“ヒーロー本部側”にいる可能性は、極めて高いように思えた。
「守國長官、丹波室長、お疲れ様です。コーヒーが入りました」
「気が利くじゃねぇか! ……って甘ァッ! 甘すぎるぞこのコーヒー!」
「我々内勤にとって糖分は必要不可欠かと存じます」
「カァーッ! 俺を糖尿病で殺す気かってんだ! そういうところは昔から変わってねぇな鮫島ァ!」
元長官付き補佐官の経歴を持つビクトレンジャー司令官、鮫島朝霞はクイッと眼鏡をかけなおした。
「申し訳ございません、甘党なもので」
モニターの中では、赤い点が南極大陸の上空に差し掛かっていた。
………………。
…………。
……。
ヒーローの一日は半袖から始まる。
「さすがに南極はちょっと肌寒いな!」
暮内烈人は白い息を吐きながら、己の引き締まった二の腕をパチンとはたいた。
烈人が降り立ったのは南極の地、外気温は摂氏マイナス30度である。
バナナで釘が打てるどころか濡れたタオルでホームランが打てる寒さだ。
驚愕すべきことに、南極でも彼は半袖であった。
「さて、このあたりのはずだが……あまり時間をかけるのはよくないな! おーい! まーゆーずーみーーーッ!!」
烈人は今回“人捜し”の任務を帯びて、この南極までやってきた。
しかし搭乗機である赤い相棒は、早くも薄い氷に覆われつつあった。
ここで説明しよう!
これぞビクトレッドの新しい愛機、その名も“ビクトリーファルコン”である!
その真っ赤な機体はマッハ1で空を飛び、不整地であっても離着陸滑走が可能なのだ!
次々と新しいメカを開発するヒーロー本部研究開発室が、その技術の粋を注ぎ込んだまさに傑作機なのである!
そんなビクトリーファルコンを、遠くから見つめる三つの影があった。
「なあ、あれ乗ったら帰れるんじゃないか?」
「んじゃサクッと強奪するッス」
「けど近づこうにも、こうひらけてちゃ隠れる場所がないな……」
彼らは秘密結社アークドミニオンの怪人たち、ずばり烈人の敵である。
そして一行の中には烈人が捜し求める少女、黛桐華の姿もあった。
「暮内先輩は私を捜しています……。ここは私に“説得”させてください」
「説得ったって黛、お前の命を狙ってるかもしれないんだぞ」
「その点については任せてください。私に考えがあります」
捜し人・黛桐華はそういうと、林太郎の制止も聞かずに雪原を歩いて行った。
この一面の銀世界において、動くものはよく目立つ。
烈人は桐華の姿を発見すると、大きく手を振った。
「おーい、黛! ここだ! こっちだぞーっ!」
桐華は呑気で無警戒な烈人に、ずんずんと近づいていった。
表情を変えずに歩み寄ってくる後輩に、烈人が駆け寄る。
「いやー、すぐに見つかってよかった! 朝霞さんに頼まれて迎えに……ヴォエッ」
鋼のごとく握りしめられた桐華の拳が、烈人の無防備なみぞおちを的確に射抜いた。
烈人の身体は“く”の字に曲がって3メートルほど浮くと、そのまま南極大陸の重力に引かれて頭から雪に埋まる。
林太郎とサメっちが追いついたころには、烈人はピクリとも動かなくなっていた。
「センパイ! “説得”に成功しましたよ!」
「いまの一連の流れで説得って言い張るのやめない? 考えがあるってなんだったの?」
「“否定する隙を与えなければ、必然的に肯定を得ることができる”……センパイの言葉です」
「えええ……俺そんなこと言ってたっけ……?」
林太郎は頭をかきながら、接収したビクトリーファルコンの機体を見上げた。
ヒーロー本部がよほどの馬鹿でなければ、帰りの燃料も十分にあるだろう。
林太郎は白目を剥いた烈人を機内に担ぎ込むと、そのコックピットをひと通り見渡す。
幸いにもざっと見た限りでは、キングビクトリーとそう変わらないようだ。
「よし、こいつなら動かせそうだな……」
「思ったより早く日本に帰れそうッスね! けどアニキ、その赤い人も連れて帰るんッスか?」
「置いていってもいいんだけどね。ストーブのかわりぐらいにはなるだろう」
「ほんとッス! なんかこの人の周りだけ暖かいッス!」
林太郎がスイッチを操作すると、ビクトリーファルコンの巨大なエンジンが始動する。
コックピットから身体を乗り出した林太郎は、桐華に向かって手を伸ばした。
桐華はそんな林太郎を見ておずおずと腕を伸ばすが、なかなかその手を掴めずにいた。
「本当に、私も行っていいんですか……?」
「おいおい黛、南極まで来て今さら手ぶらで帰れると思うか?」
「でも私、怪人たちにかなり色々酷い仕打ちを……」
「だいじょぶッス! アークドミニオンのみんなはいい人たちばっかりッスよ!」
ためらいがちに目を伏せる桐華を見て、林太郎とサメっちは顔を見合わせニッと笑う。
ふたりは同時に桐華の両腕を掴むと、強引にビクトリーファルコンへと引っ張り込んだ。
「アニキぃ! 確保しやしたッスよぉ! ぐへへーッス!」
「よくやったサメっち! すぐに出すぞ!」
林太郎はハッチを閉めると、すぐさま操縦席に座った。
基盤にたくさん付いたスイッチ群を手際よく操作し、操縦桿を握る。
すぐさまビクトリーファルコンは雪煙を上げながら、真っ白な平原を滑走し始めた。
そして十分に加速したところで、その赤い翼は大空へと飛び立つ。
巨大なエンジンが唸り、あっという間に加速するビクトリーファルコン。
桐華はそのコックピットの窓から、どんどん遠のいていく南極の大地を見つめていた。
白いキャンバスの真ん中に、割れた緑のネームプレートだけが残されていた。
それはもう、いまの桐華にとって必要のないものだ。
桐華が操縦席に目をやると、キョトンとした林太郎と目が合った。
「なんだ黛、操縦したいのか?」
「いえ、あの、そういうわけじゃ……ないんですけど」
「じゃあサメっちが操縦するッス! サメっちこう見えてゲームじゃエースパイロットッス!」
「よおし、おいでサメっち。そのかわりアクロバット飛行は禁止だぞ」
サメっちは林太郎の膝の上にちょこんと座ると、ビクトリーファルコンの操縦桿を握る。
林太郎はその小さな手の上から覆い被せるように操縦桿を握った。
桐華はまるで仲の良い兄妹か親子のようなふたりに、声をかけられずにいた。
するとそれを知ってか知らずか、林太郎のほうから桐華に話しかける。
「黛、日本に戻るのは嫌か?」
「そんなことは……ないですよ。どうせもう、世界のどこにいたって同じですから」
林太郎は少し考えると、不器用に笑ってこう言った。
「いいか黛、世界ってのは不条理だ。どれだけ俺たちが“こうなってほしい”と願っても、ちっとも変わってくれやしない。はっきり言って腹が立つし、泣かされることだってある」
窓の外を見ながら、林太郎はまるでヒーロー学校でそうしたように、桐華に向かって語り掛ける。
いまはだいぶ私怨がまじっているようにも思えるが。
「世界は全然優しくないが……だったら世界が優しくなるまで愛してやれ。お前なりの“正義”でな」
「……それは、いつもの訓辞ですか?」
「平和を愛する極悪怪人からのアドバイスだよ」
笑みを浮かべた林太郎の横顔は、桐華の知るヒーロー学校時代よりも少したくましくなったように見えた。
窓の外では、白く孤独な大地が遠のいていく。
自分の居場所を手にした桐華が、再びこの地を訪れることはないだろう。
どんどん小さくなる南極大陸は、いつしか水平線の彼方へと消えた。