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第七十二話「真っ白な贖罪の大地」

 桐華(きりか)はひとり、青い空を眺めていた。

 空が好きというわけではない、ただ地上には雪以外なにもないからだ。


「お(なか)へったな……」


 寒さに加え、空腹感が桐華の身体をさいなむ。

 だがその程度で、自分が“死ねない”ということも同時に理解できてしまう。


 生命を拒絶するマイナス30度の世界、南極(なんきょく)に来てすでに3日が経過していた。

 地球上でも有数の極限環境下にあって、少女の肉体はいまだ生命の鼓動を強く刻み続けていた。


 桐華は己の力が隣人を、大切な誰か傷つけることを恐れた。

 そして忌まわしき怪人の宿命から逃げ続けた果てが、この南極であった。



「センパイ……」



 思い出すのは最後に会った彼の記憶ばかり。

 あたたかな胸から聞こえてきた、たしかな心臓の鼓動。


 しかし再会したとき、怪人センサーは反応しなかった。

 いったい林太郎がなぜ怪人のフリをしていたのか、その理由はわからない。


 頭が回る人だ、きっとなにか大きな(たくら)みがあってのことなのだろう。


 黒い鎧のような手のひらに残る、桐華のたったひとつの宝物。

 栗山林太郎と書かれたその緑のネームプレートは、真っぷたつに割れてしまっていた。



 会いたくて、会いたくて、会いたくて。

 ようやく再会できた、師匠であり、敵であり、そして誰よりも大切な人。


 しかし怪人と化した今の桐華には、その優しく温かな手を取る資格がない。


 黒い翼に長い尻尾、頭に生えた角に、血のように真っ赤な眼。

 災厄を体現し、世界に永遠の夜をもたらす闇の化身。


 ――暗黒(あんこく)怪人ドラキリカ――それが現在の桐華の姿であった。



「会いたいよ……センパイ……」



 赤い瞳から流れ落ちた大粒の涙は、頬をつたう間に氷の粒へと変わる。


 ぼやけた視界の中、空の彼方(かなた)にひとつの影が見えた。

 鳥ではない、そのシルエットは人の形をしていた。


「ヒーロー本部……? こんなところにまで来るの!?」


 その影はまさしく、ヒーロー本部が所有する巨大ロボットであった。

 黛桐華……いや、暗黒怪人ドラキリカを始末するため送り込まれたに違いない。


 人類はけして異端を、社会の脅威となる“個性”を許しはしない。

 力が強大であれば強大であるほど、怪人は人の世界から隔絶される。


 山を砕くほどのパワーを持つ者を隣人として迎え入れるほど、世界は優しくないのだ。


 ロボが猛スピードで接近してくるにつれ、桐華の心に灯った黒い炎は大きく燃え盛った。

 なぜ放っておいてくれないのか、どうして何度もこの手を汚さなくてはならないのか。


 それは師の仇討ちを正義の御旗(みはた)に掲げ、ヒーローとして幾度となく怪人を傷つけた、桐華へのあてつけのようにさえ思えた。


 ならば覚悟はできている、ということだろう。



「私に、近寄るなァーーーーーッッッ!!」



 甲殻に覆われた両手に黒いエネルギーが収束し、極太のレーザーとなって放出される。

 それは巨大ロボの胴体をいとも容易(たやす)く貫き、そのボディをおもちゃのようにバラバラに引き裂いた。


 ズドオオオオオオオオオンッッッ!!


 南極の空で、紅蓮の花火が開いて散った。

 搭乗者は……おそらく空の藻屑(もくず)となったことだろう。

 桐華は祈りを捧げるでもなく、ただ黙って空を覆う黒煙を見つめた。



「うっ……うぅ……!」



 不思議と涙があふれて止まらなくなった。

 もう自分にはどこにも帰る場所などないのだと。


 怪人が憎い。

 怪人である自分が憎い。

 怪人などというシステムが組み込まれた、この世界が憎い。


 世界を覆いつくす不条理(ふじょうり)が自分から愛する人を、すべてを奪い去っていく。



 自分には山を破壊する力はあれど、黒い鎖に繋がれた運命に抗う力などありはしない。


 (あきら)めと(なげ)きと(むな)しさと(くや)しさが、桐華の目からきらめく結晶となってとめどなくこぼれ落ちていった。




 ――だが――。


 彼女自身さえも諦めた“黛桐華”を、けして諦めない男がいた。




「…………ぁぁぁぁぁぁあああああああああッッッ!!!!」




 桐華は思わずその光景に目を見開いた。

 空いっぱいに拡がる黒煙の中から、叫び声とともに人が落ちてくるではないか。



「パラシュートの(ひも)がァーーッ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬゥーーーーッ!!」



 次の瞬間、桐華は無意識のうちに空を駆けていた。

 黒い翼が白い雪を吹き上げ、半分ほど外骨格に覆われた身体は弾丸のように南極の大地スレスレを翔ぶ。


 いまや破壊することしか能のない桐華の腕は、無我夢中で“拾える命”を拾っていた。


 腕の中で、男が呟く。


「いいか黛、先制攻撃は基本だが相手はちゃんと確かめてから撃て」


 人だとか怪人だとか、苦しいだとか悲しいだとか、黒い鎖は砕けて空へと散っていく。

 もはや人のものではない桐華の心臓が、真っ赤になって早鐘(はやがね)を打つ。

 怪人と化した体のすべての細胞が、彼の声に震え、彼の眼差しに焼かれる。


「セン、パイ……? なんで……?」

「なんでじゃないよ。危うくバーベキューになるところだったぞ」


 言いたいことがたくさんある。

 聞きたいことも山ほどある。


 だけど桐華の口からは言葉が出てこなかった。

 羽ばたくことすら忘れて、ただ奇跡のような“3度目の出会い”に(ほう)けた。


「おい黛、落ちてる! 落ちてるよ黛さぁんッ!!」


 桐華は林太郎を抱いたまま、深く乾いた雪の上にドシャッと背中から落下した。

 衝撃で舞い上がった雪の結晶たちが、祝福のようにふたりへと降りそそいだ。


「まったく、俺が言えた義理じゃないけど酷い扱いだ……」


 むくりと起き上がった林太郎は、コートについた粉雪を払い落とした。

 そして、呆然(ぼうぜん)とする桐華に手を差し伸べる。


「それじゃ日本(うち)に帰ろうか?」


 そう言ってニヤリと悪い笑顔を浮かべる林太郎。

 しかし桐華は鋭い爪の生えた手で、その差し伸べられた手を取ることができずにいた。


「センパイどうして……? ここ南極ですよ……!?」


 すると林太郎はじれったいとばかりに、その手を強引に取って引き寄せた。

 あの夜とは真逆に、勢いのまま林太郎の胸元へと抱き込まれる。


「泣いて逃げる後輩を捕まえにきたんだよ。俺は“悪い先輩”だからな」


 その瞬間、桐華の鎧のような腕の甲殻が。


 竜のようなたくましい翼が。

 長く太い蛇のような尻尾が。

 頭から突き出た2本の角が。


 氷のように砕け散り、きらめきとなって南極の空に溶けた。



「センパイ……! ゼンバァァァァァイ!!」



 凍りついた白銀の髪を、その大きな手が優しくなでる。


 どれほど生意気な後輩でも、往生際(おうじょうぎわ)の悪い弟子でも、化け物に成り果てた敵であっても。

 けして疎んじることも、拒むことも、怖れることもなく、真正面から両手で受け止めてくれる。


 それが桐華が誰よりも(した)う、栗山林太郎という男であった。


 正しい人ではないかもしれないが、誰よりも愛おしいセンパイを。

 桐華はその細く白い両腕で、(ちから)いっぱい抱きしめた。


「あー、わかったからもう泣くな黛。それと、これ貸してやるから着てな。見てるこっちが寒くなるから」

「ぐずっ、えっ……あっ!」


 怪人から人の姿に戻れたからといって、破れた服が元に戻るわけでもない。

 桐華は林太郎からおずおずとコートを受け取ると、急いで羽織った。


「さささささ、寒っ! ごめん黛やっぱり返して!」

「ダメですよ! これは私がもらったものです!」


 林太郎の香りとぬくもりが残るコートの裾を、桐華はギュッと握りしめた。



 ――その時であった――。



「……ァアニキィィィ……!」

「むぐぅっ!?」


 ふと空を見上げた桐華の顔に、どう見ても小学生ぐらいの子供がガシッとしがみついた。

 大きなパラシュートが、フッサァと雪の上に覆い被さる。


 それは林太郎と同時に、爆風で空高く放り出されたサメっちであった。


「わぁ! アニキヤバいッス! ビクトブラックッスぅ!」

「落ち着けサメっち、それは安全なビクトブラックだ。噛んだりしないから放してやれ」


 林太郎は桐華に逆肩車状態でバタバタ暴れるサメっちの両脇を掴むと、ゆっくり南極の大地に降ろしてやった。


「ハァッ……ハァッ……! センパイ、なんですかこの子!?」

「あー、その、なんて言ったらいいのか……」


 林太郎が答えに(きゅう)していると、サメっちがフォローとばかりにドンと自分の胸を叩いた。


「サメっちはアニキの一番舎弟ッス!」

「しゃ……しゃてい……ですか?」


 桐華の疑問はサメっちよりも、むしろ林太郎に向けられていた。

 それはそうだろう、少し会わない間に敬愛する先輩が小学生にしか見えない女児を子分にしていたら疑問も抱くというものだ。


「……一応、そういうことになってるんだよね」

「一応じゃないッスよぅ! サメっちは昼も夜もアニキのサポートを欠かさない“いいおんな”ッス!」

「……夜も? 夜もサポートしてるんですか?」


 南極のマイナス30度の空気が、さらに温度を下げる。

 これはマズいと気づいた林太郎は慌ててサメっちに駆け寄ろうとするが、深い雪に足を取られて前のめりにすっ転んでしまった。


「サメっちさん。夜について詳しく聞かせてもらえますか?」

「アニキとサメっちは毎日同じベッドで寝てるッス! この前はミナトと一緒に三人で足腰立たなくなるまで“遊んだ”ッスよ! サメっちがもうやめようって言ってもアニキがムキになって許してくれなくて、結局朝までコースだったッス!」


 林太郎の背筋(せすじ)が凍りつくように冷たいのは、きっとコートを脱いだからというだけではないだろう。


「…………センパイ?」


 林太郎は顔を上げることができなかった。

 うつぶせに倒れ込んだ状態から、林太郎は静かに手足を折り曲げて土下座の姿勢をとった。


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