第六十九話「警告」
アークドミニオン地下秘密基地は広大である。
溶岩の流れる滝や、猛吹雪が吹き荒れる雪原など。
これらの極限環境は怪人の特性に応じて、最適な居住空間を整えるために存在する。
そんな秘密基地の一角に、駐屯地なみの広さを有した軍事演習場があった。
アスファルトで固められた地面を、一糸乱れぬ動きで走る怪人たち。
「俺たちゃ怪人海兵隊ッ♪」
『俺たちゃ怪人海兵隊ッ♪』
「無敵の怪人戦闘員ッ♪」
『無敵の怪人戦闘員ッ♪』
「イッイーッ!」
『イッイーッ!』
「ウィッウィーッ!!」
『ウィッウィーッ!!』
軽快なリズムに乗せられて、ランニングを強いられる怪人たち。
先頭を走るのは“教導軍団”の旗を掲げる狼男、バンチョルフである。
立派だったリーゼントはすっかり刈り取られ、目からはハイライトが消えていた。
それもそのはず、もうかれこれ18時間ぶっ通しで走りっぱなしなのだから。
「はぁっ……はぁっ……もう無理オラァン……」
「貴様ァ! 誰が勝手に死んでいいと言ったァ!!」
「キャインッ!!」
少しでも休もうとすると、並走するウサミミ軍服教官からムチが飛ぶ。
一緒に走っているはずなのに、ウサニー大佐ちゃんは息ひとつ切らしていなかった。
「マッマがパッパに言ってたよッ♪」
『マッマがパッパに言ってたよッ♪』
「毎日お仕事大変ねッ♪」
『毎日お仕事大変ねッ♪』
「マッマァ!」
『マッマァ!』
「マンマァーッ!!」
『マンマァーッ!!』
ウサニー大佐ちゃんが歌うと、団員たちも続いて歌う。
でたらめな歌詞は、ほとんど意味を為してはいなかったが。
そんな教導軍団演習場に、ひとりの男が現れた。
カミキリムシのような顔をした男、奇蟲軍団のナンバー2・ミカリッキーである。
ウサニー大佐ちゃんは彼の顔を見ると、団員にあと一周だと告げて隊列を離れた。
「ミカリッキーか、見ての通り私は忙しい。用件ならば手短に話せ」
「ええ、ゆっくりお茶を飲んでいる暇もなさそうですねえ。……じつは我が主ザゾーマ様より、ぜひお耳に入れたい話がございまして……」
ミカリッキーはその大きなウサミミに、もしょもしょと耳打ちする。
ウサニー大佐ちゃんは顎に手を当てしばらく考えると、おもむろに口を開いた。
「なるほど興味深いな」
「そうでございましょう、そうでございましょうとも!」
「それで予算はこちらでもてということか。ふむ……まあいいだろう、甘言に乗ってやる」
「ほほほ。このミカリッキー、感謝感激のきわみでございます! それではワタクシはタガラック将軍のもとに参りますゆえ、これにて……」
ミカリッキーが去ると、ウサニー大佐ちゃんはすぐに団員たちに向き直った。
死屍累々と倒れ伏す元ヤンキー怪人たちを、ムチでひとりずつ整列させる。
「よぉし貴様ら、よく走った! “第1工程”はクリアだ!」
クリアという言葉に、団員たちから安堵の溜め息が漏れる。
「十分休めただろう? 喜べ、次は貴様らの大好きな断崖絶壁上り500本だ! 嬉しいだろう、もっと喜べ! 了解しろ!」
安堵の溜め息が、一瞬にして絶望の嘆息に変わった。
しかし不平や不満を漏らす者は、誰ひとりとしていない。
漏らせばどうなるか、みんなこのわずか数日で文字通り身体に叩き込まれたからだ。
「すべての工程をクリアしたとき、貴様らは晴れて一人前の戦闘員となる! ちなみに第27工程まであるぞ、せいぜい命を落とさぬように!」
地下演習場に、乾いたムチの音が轟いた。
………………。
…………。
……。
いっぽうそのころ、林太郎は地下とは真逆の空の頂。
東京で最も高いビル、タガデンタワーの最上階にいた。
「うげっ、また着信がきてる……!」
スマホの画面には“まゆずみ”と表示されていた。
最後に会ってからもう数日経ったが、このところ毎日である。
林太郎は黙ってスマホの電源を切った。
桐華と顔を合わせれば、前回のように縛り上げられて餌にされかねない。
ちょうど同じタイミングで、部屋の主が姿を現した。
「いやー、待たせちゃったのう。わしのかわいさに免じて許しとくれ」
「かわいさに免じなければ許していたところです、タガラック将軍」
タガラックに呼び出されこうして待たされるのも、もはや慣れたものだ。
彼女も“表の顔”が日本最大企業グループ会長の孫娘では、なにかと忙しいのだろう。
「それで今日はなんのご用です?」
「おうそれよ。おぬしには話しておいたほうがよいと思うてな」
タガラックは会長の席に座る“多賀蔵之介会長”にどくよう命じると、その数百万円はするであろう椅子にドッシリと腰かけた。
そして大きな机の引き出しから、手のひらサイズの機械を取り出す。
「林太郎、おぬしに取ってきてもらったギアじゃがな。これヤバいぞ」
タガラックが手にしたのは、Vのエンブレムが光り輝く黒いビクトリー変身ギアであった。
現在アークドミニオンには三つのギアが存在する。
林太郎が持つ、魔改造されたグリーンのギア。
湊が回収し、ザゾーマに譲渡されたレッドのギア。
そしてこのタガラックが研究のために入手した、ブラックのギアである。
「ヤバい……というのは?」
「おぬしのギアと見比べてみい」
そう言うと、タガラックは黒いギアを林太郎に投げて寄越した。
林太郎は言われた通り自分のギアと黒いギアを見比べてみるも、色以外はまるで違いがわからない。
「とくに違いはないみたいですけど?」
「おぬしアホじゃのぅ。違いがないからヤバいんじゃろがい」
タガラックの言葉に、林太郎はハッとした。
林太郎のギアはタガラックが魔改造を施し、リミッターを解除したものだ。
いうなれば人間の肉体に過剰な負荷をかける、非人道的な代物である。
本来であれば、使用者の身体を守るためリミッターが設けられていて然るべきなのである。
林太郎は思わず何度も自分のギアと見比べた。
しかしどれほど見直しても、ビクトブラックのギアにはリミッターが設けられていなかった。
「言っておくが、わしはやっとらんからの。この黒いギアには、最初からリミッターなんてもんは存在しとらん。おぬしのものと同じ、人を使い潰す呪いのギアじゃ」
「じゃあ黛桐華……ビクトブラックは……」
「その名を聞いたときにピンとくるべきじゃったのう。いやあ歳を取ると物忘れが多くなって困るわい。わしピチピチの10歳じゃけど」
金髪碧眼幼女のタガラックは、おじさんのように頭をぼりぼりかいた。
しかしすぐに真剣な顔で林太郎に鋭い視線を向ける。
「おぬし最近、黛桐華と会っとるじゃろ」
「知ってたんですか!? まさかまたカメラを!?」
「はっ、おぬしの行動なんか筒抜けじゃい。東京都内にどれだけのカメラがあると思っとるんじゃ」
タガラックが指を鳴らすと壁面モニターに映像が流れた。
画面には桐華に押し倒され、悲鳴を上げる林太郎の姿が映っていた。
というか男子トイレの映像である、プライバシーもデリカシーもあったものではない。
一通り林太郎の恥ずかしいシーンを流し切ると、タガラックはいつになく真面目な顔で言った。
「もしおぬしが黛桐華のことを“敵”だと思っておるなら、もう会ってはならん。これは警告じゃ」
………………。
…………。
……。
部屋に戻り、林太郎はスマホの画面をぼんやり眺めていた。
タガラックに言われるまでもなく、桐華は林太郎にとっての“敵”だ。
会えと言われたところで、もう会うつもりはない。
林太郎自身はそう心に決めていたのだが、いざ引き留められると心残りが頭をもたげてくる。
1年とはいえ同じ学び舎ですごした先輩後輩の仲だ。
寂しくないと言えば嘘になるがそれ以上にリスクが大きすぎる。
林太郎=デスグリーンであると確信している桐華の存在は、下手に扱うと素性を偽っている林太郎にとって致命的な結末を招きかねない。
「そもそも埋めるとか言われるほど嫌われてたからなあ……」
出会った当初から、なにかと突っかかってくる後輩ではあった。
桐華にとってはきっと、林太郎は今も昔も敵であることに変わりはないのだ。
では、栗山林太郎にとっての黛桐華とは、いったい何者なのだろうか。
スマホの電話帳から着信拒否してしまえば、すべてが終わる。
だが林太郎の指は、どうしてもそのたったひとつの決断ができずにいた。
――そんな矢先――。
ムーンムーンムーン!
「おわぁーーっ!!」
手の中でいきなりスマホが震え、林太郎は思わず取り落としかけた。
ディスプレイに踊る“まゆずみ”の文字。
林太郎は自分の気持ちとは裏腹に、通話のボタンを押してしまっていた。
『もしもし……』
消え入るような声が、林太郎の耳に届く。
林太郎は跳ね上がる己の心臓に、鎮まってくれと念じた。
言わねば、もう会えませんと。
「あの、もしもし?」
『とても大事なお話があります……』
聞こえてくる声は、これまでの桐華からは想像もつかないほど弱々しい。
まるで今にも灰となって散ってしまいそうなほど儚げであった。
『あなたと会って、話がしたいです……場所は……』
………………。
…………。
……。
2時間後、東京高尾山。
かつて烈人がキャンプをしていた、西東京随一の登山スポットである。
冬場ということもあり、日はすでにどっぷりと暮れていた。
ケーブルカーもリフトも動いていなかったため、林太郎は夜の登山道を歩いて上るしかなかった。
すでに正月休みも終わり、観光シーズンもピークを過ぎていた。
そんな人っ子ひとりいない夜の展望台に呼び出すとは、常識外れもいいところである。
「ああ、ちくしょう降ってきやがった」
小さな雪の粒が、林太郎の指先に触れて溶けた。
天気予報では、夜半から明日の早朝にかけて初雪が降るという話だった。
だが林太郎とて、もう雪ではしゃぐような歳でもない。
億劫という言葉が林太郎の脳裏をよぎる。
しかし来てしまったものはしょうがない。
これで最後にしなければならない。
重くなった足取りを無理やり押し進め、林太郎は展望台へと急ぐ。
白い結晶がちらちらと空から舞い落ちる中、林太郎はその後ろ姿を見つけた。
見間違うはずもない、白銀の髪をゆらし、少女は街の灯りを静かに眺めていた。
「あのさあ、もうちょっとアクセスのいいところにしようよ」
林太郎が声をかけると、少女はゆっくりと振り返った。
色とりどりの夜景を背負い、雪の中傘もささずに、ただ小さく頭を下げる。
「ごめんなさい。どうしてもひとつだけ、お伺いしたくて」
ふたりの間に強い風が吹き、銀の花びらが舞い踊る。
少女のブルーの瞳が、林太郎の澱んだ目と交わった。
言葉がその薄い唇から、降り積もる雪よりも静かに紡がれる。
「あなた、本当は誰なんですか?」