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【コミカライズ】極悪怪人デスグリーン  作者: 今井三太郎
第三章「極悪怪人と暗黒怪人」
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第六十三話「汝、聖域を侵すなかれ」

 中野(なかの)タイムズスクエアと名付けられたそのショッピングモールは、正月二日(ふつか)人出(ひとで)でごった返している。

 様々な商店が立ち並ぶ中、林太郎たちはトイレを探していた。


「あったあった。アニキも済ませてくるからさっさと行っておいで」

「アニキぃぃぃ~」

「そんな顔しても一緒には入れないの! アニキがそっちに入っちゃったらちょっとした騒ぎになるからね」


 行列ができている女子トイレと違って、男子トイレは()いていた。

 林太郎はとくに並ぶこともなく、ズボンのジッパーをおろし小便器の前でふぅとひと息つく。


 男ならば誰でもこの瞬間は無防備になるものである。

 ――そう、誰でも――。


 リラックス全開の林太郎の首筋(くびすじ)に、ひたりと冷たいものがあてがわれた。

 それは銀色に輝く抜き身のナイフであった。


「“不意打ちを行うならば最適な瞬間を狙え”……少しでも動いたら頸動脈(けいどうみゃく)を斬ります」

「マジかよ……」


 それは男子の花園ではまず耳にすることがないであろう、氷のように冷たく透き通った女の声であった。


 なにより林太郎はその声に、嫌というほど聞き覚えがあった。

 振り向くまでもない、林太郎の天敵・(まゆずみ)桐華(きりか)がそこにいる。


「私は公安です。振り向かずにゆっくりと両手を上げてください」

「いや待って待って……! いまちょっと手が放せないんだって……」

「そうやって時間を稼ごうとしても無駄です。いますぐにその“凶器”から手を放しなさいデスグリーン!」


 そう叫ぶや否や、桐華は林太郎の手元でもてあそばれている“凶器(●●●ん)”を握りしめた。



 ぎゅむむぅっ!! ギュウウウウウウウウウウッ!!!!



「ヒィヤアアアアアアアアァァァッッッ!!!」



 (きぬ)を裂くような林太郎の悲鳴が、平和な正月の男子トイレに(とどろ)く。

 隣のおじさんたちが唖然(あぜん)と見守る中、林太郎は男子トイレで年下の女の子に生殺与奪の権利を文字通り握られた。


 抵抗する暇すら与えられず便器からグイッと引き剥がされ、“凶器を握られたまま”床に組み伏せられた。

 桐華は太腿(ふともも)を林太郎の腹に乗せてガッチリ動きを封じると、手のひら(だい)の謎の装置を水戸黄門の印籠(いんろう)よろしく突きつける。


「観念しなさい極悪怪人デスグリーン。いくら人間(センパイ)に化けたからといっても私の目は誤魔化せませんよ。この怪人センサーがビヨビヨ鳴っているのがなによりの証拠です!」

「ななな、鳴ってないじゃん!」

「…………あれっ?」


 桐華の顔がみるみるうちに、耳まで真っ赤に染まっていった。




 …………。




 数分後、駆けつけた警備員たちにより、桐華と林太郎は守衛室に連行された。


「いくら公安のかただからってねえ、新年早々ナイフ振り回して誤認逮捕ってのはちょっと……。それに場所だって考えてもらわないと、他のお客さんもいるんだから……」

「申し訳ありませんでした……」


 桐華は塩をかけられたナメクジのように、シュンと小さくなっていた。

 その隣では二十六歳の男が、両手で顔を覆ってしくしく泣いている。


 とはいえ悪の秘密結社に(せき)を置く林太郎としても、(こと)を大きくして他のヒーローや警官に駆けつけてこられるのは厄介である。

 年明け早々心に傷を負った上で、泣き寝入りするしかない。


「もうこんなことしちゃダメだよ」

「……はい、ご迷惑をおかけいたしました……」

「しくしくしくしく……」


 林太郎がその場で和解を申し入れたことで、ふたりはあっという間に解放された。


「本当に申し訳ございませんでした……」

「い、いいんですよ、そんな気にしなくても。それにこうしてすぐ解放していただけたことですし、やっぱり公安さんは強いなー……あはははは」


 深々と頭を下げる桐華に対し、林太郎は引きつった笑顔で応える。

 なんとか“そっくりさん”ということで収まったものの、林太郎としては一刻も早くこの場を去りたい気持ちでいっぱいであった。


「私の知人によく似ていたもので……つい大事なもの(・・・・・)まで握って」

「そのことはお互いに忘れましょうねえー、悪い夢でも見てたんですよー」


 あまりに衝撃的すぎて、林太郎自身もう思い出したくない。

 あといくら知人だからって、いきなり握るのはやめたほうがいい。


 それよりも林太郎はさっさと話を切り上げて逃げ出したいのである。


「じゃあ僕はここらへんで失礼しますねー、学業(がくぎょう)頑張ってくださいねー」

「はい……あ、ちょっと待ってください。ひとつだけお(うかが)いしたいことが」


 この()に及んで、桐華は林太郎に食い下がった。

 林太郎は焦りつつも冷静に状況を分析(ぶんせき)する。


(ここで走って逃げるべきか? いやそんなことしたら逆に怪しまれるし、あの(まゆずみ)相手に逃げ切れる保証もない。ここは話を合わせるべきか……)


 少し考えたのち、林太郎は桐華の問いかけに応じることにした。


「ええ、なんです? 僕にお答えできることであれば、なんなりと」

「私は公安だと名乗ったはずですが……なぜいま、学業と?」


 空気がカチンと凍りついた。

 林太郎のこめかみを大量の汗が流れ落ちる。


「確かに私はヒーロー学校に在籍し、いまは実地研修中の身ですが……なぜあなたはそのことをご存知なのですか?」


 いやいやいや、ここで焦ってはいけない。

 黛桐華は一部界隈(かいわい)では有名人である、まだ挽回(ばんかい)は可能だと林太郎は自身に言い聞かせた。


「ほら、有名人じゃないですか、黛桐華さんでしょ、ビクトレンジャーの? はは、叙勲(じょくん)とかされてるじゃないですか、ニュースとかでたまに、ねえ? ねえ!?」

「いま、ビクトレンジャーと(おっしゃ)いましたか? 私が勝利戦隊ビクトレンジャーに所属するメンバーだということは、一般には公開されていない機密情報です。あなたはそれをどこでそれを知ったのですか?」


 ダメだ! 取り(つくろ)おうとすればするほどにボロが出てしまう!

 このままでは(いも)づる式に正体がバレてしまう!


 林太郎はまるで不倫の証拠を突きつけられた夫のようであった。


 ここで『栗山林太郎です』と正体を明かした場合、いままで他人のふりをしていたことに言及されるのは想像に(かた)くない。

 そうなれば当然、嘘を()いていた理由を問い詰められジ・エンドである。


 それにいまさら正義の味方に戻ろうというのはあまりにも虫の良い話だ。

 林太郎は目の前にいる黛桐華に対してのみならず、あまりに悪行を重ねすぎた。


 かといって『デスグリーンです』と名乗り出るのは論外である。

 そんなことをしたら今すぐこの首を()ね飛ばされる。


 林太郎の邪悪な脳に設置された、言い訳の引き出しが次々と開かれていく。

 あくまでも第三者を貫くための方便として、林太郎が行きついたのはあるひとりの人物であった。


「あー、えっと、栗山林太郎は僕の兄なんですよー。あははー、僕は森次郎(しんじろう)といいますー。内定の話とかほら、兄から色々(うかが)ってたんですよねーあははー、ではそういうことでサヨウナラー」


 あまりにも苦しい言い訳であった。


 林太郎は心の中で、すまない森次郎と呟いた。

 なにを隠そう林太郎の弟・栗山森次郎は実在する人物である。


 林太郎もとい森次郎は、じゃあそういうことでと全速力で逃げ出した。


 しかし相手はヒーロー学校五〇年の歴史を塗り替えた女である。

 すぐに追いつかれてしまいガッシリとその腕を掴まれた。


「あなたがセンパイの言っていた弟さんでしたか。なるほど確かに似ているのも道理です。(くわ)しくお話を伺ってもよろしいですか」

「……いや、あの僕は」

「よろしいですね」

「…………はい」


 拒否権などというものは存在しなかった。




 …………。




 ショッピングモール内の喫茶店で、森次郎くんもとい林太郎はぎこちない笑顔を浮かべていた。

 その対面には白銀の髪をそわそわと揺らし、空色の瞳を爛々(らんらん)と輝かせた美少女が座っている。


 強引に連れ込まれ、すでに連絡先の交換まで()いられてしまった。

 (はた)から見ればなんとも(うらや)ましい光景であろうが、当の本人は生きた心地がしない。

 まるで伝説の怪物に生贄(いけにえ)として差し出される生娘(きむすめ)のようだ。



 桐華が苦しい嘘を信じ込んでくれたのは林太郎にとって幸いであったが、そうなってくると当然のことながら今度は質問攻めを受ける羽目に(おちい)るわけで。


 林太郎は思い出せる限りの思い出話を、“又聞(またぎ)き”したていで桐華に語って聞かせた。

 そのたびに少女は一喜一憂(いっきいちゆう)し、喜びに目を輝かせたり涙を浮かべたりしている。


「はぁ……センパイ……そんなにも私のことを……」


 顔を真っ赤にした桐華は、胸に手をあて少し寂しそうに微笑(ほほえ)む。

 まるで恋する乙女のような桐華の仕草を、林太郎は不覚にもちょっと可愛いと思ってしまった。


(少し話しすぎたか……。けど黛ってこんなに表情豊かなヤツだったっけ……?)


 (だま)していることを思うと、心がチクリと痛む。


「なるほど、ご兄弟はとても仲が良かったんですね」

「ええ、まあ……そうですね」


 林太郎は遠く離れた弟の顔を思い浮かべた。

 仲は良かったというほどでもないが、悪くもなかったように思う。

 そしてこの悪夢はいつまで続くのだろうかと、林太郎はコーヒーに口をつけた。


「森次郎さん。私と一緒にお兄さんの(かたき)、デスグリーンをブチ殺しましょう!」

「ンッフ!」


 林太郎は思わず鼻からコーヒーを吹き出しかけた。

 いい笑顔でなんということを言い放つのだこの娘は。


「じつはもういくつか作戦は考えてあるんです。首都高(しゅとこう)を落としてその下敷(したじ)きにするというのはどうですか?」

「いやぁ……それは復旧が大変だから、やめたほうがいいんじゃないですかねえ……?」

「じゃあこれなんてどうですか? 潜伏予測地点の上水道(じょうすいどう)に猛毒を流しこんで……」

「待って待って! そもそもそんなの聞いたところで、僕にはなんの協力もできないんですよ!? それに言わせてもらっちゃあ悪いけど、まゆ……あなたがやろうとしてることはただのテロだ!」


 林太郎が制止すると、桐華はまたシュンと肩を落としてうなだれた。


「そう、ですよね……」


 林太郎としては、桐華の極悪非道な作戦が実行に移されないことを祈るばかりである。

 やはり“肉”程度で済ませておくべきではなかったかもしれない。


 いっそ今ここで桐華の飲んでいるコーヒーに下剤でも入れようか。

 林太郎がそう考えながらコーヒーを口に運んだ、そのときであった。


『ご来場中のお客様に迷子のお知らせをいたします。品川区(しながわく)からお越しの鮫島(さめじま)冴夜(さや)ちゃんのお兄さん。冴夜ちゃんがお待ちです。一階、迷子センターまでお越しください……』

「ンッフ!」


 林太郎はその放送を耳にして再び鼻からコーヒーを吹き出しかけた。

 衝撃展開の応酬のせいで、サメっちのことをすっかり忘れていたのだ。


「どうしました森次郎さん?」

「ごめんなさい! 連れを待たせてるんです! 今日はこれで失礼しますね! お(だい)はここに置いておきますんで!!」

「あっ、待って……!」


 林太郎は追いすがる桐華を尻目に、脱兎(だっと)のごとく喫茶店を後にした。

 残された桐華は仕方なくコーヒーを口にして、ドッと椅子の背もたれに身体を預けた。



「そっか、弟さんか……やっぱり、センパイが生きてるわけないですよね……」



 桐華はいまや唯一の形見(かたみ)となった林太郎のネームプレートを握りしめ、静かに目を閉じる。



 上着のポケットで、怪人センサーがビヨッと鳴った。


 これもしょせん試作機かと、桐華は大きなため息をこぼした。




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