第五十六話「極悪反撃大作戦」
桐華は人っ子ひとりいない市街地で、林太郎の姿をしたデスグリーンと向かい合っていた。
サングラスに黒のロングコート姿という奇抜な出で立ちの林太郎は、まるで桐華を見下すように下卑た笑みを浮かべる。
「覚悟しろよ黛ぃ、お尻ぺんぺんじゃ済まねえぞー?」
「……よく……気づきましたね」
「そりゃあ、あれだけ派手に暴れてくれたらな。どこに拠点を出すかってのは、本来アークドミニオンの上層部しか知らない情報だ。内通者の存在を疑ってかかるのが道理だろうよ」
林太郎はサングラスを外すと、それを指でくるくるともてあそんだ。
「それがまさか、この“俺”だとは思わなかったけどな」
林太郎はここ数日、行く先々で、まるで示し合わせたかのようにビクトレンジャーたちの襲撃を受けた。
黛桐華による最初の襲撃は、大宮郊外にある極秘の闇診療所。
そしてザゾーマとの会談のため秘密裏にセッティングした調布の植物園。
これらに加えて、桐華による畳みかけるような各拠点の襲撃。
これらは遊撃部隊として全軍のバックアップを担う立場の林太郎以外では、けして知り得ない情報であった。
もちろん林太郎自身は情報を外部に流してなどいない。
ではビクトレンジャーは、いったいなにから情報を得ていたのか。
林太郎が最初に違和感を覚えたのは、関東制圧大作戦が発令される直前。
暗黒議事堂でタガラックと会話したときのことである。
『林太郎、ゆうべはお楽しみじゃったのう。おぬしがソードミナスと朝チュンしたと話題になっとるぞ。うひゃひゃひゃ……』
『ちょっと待ってください。なんでそんな噂が広まってるんですか?』
『そりゃーおぬし。クリスマスの朝っぱらにおぬしの部屋から一緒に出てきたら噂も立つじゃろ。しかもお互いに寝不足で、ソードミナスはおぬしの服を着ておったそうではないか。いっぱい慰めてもらった尻が痛いとか言ってたらしいのーう?』
『そこまで詳しく広まってるんですか!? いったいどこから見られてたんだ……油断の隙もありゃしない……』
まるで見ていたかのように正確に言い当てたタガラック。
だがよくよく考えてみれば、その日の朝の出来事がわずか数十分後に上層部の耳にまで届いているというのも不思議な話である。
考えられる可能性はひとつ。
タガラックは林太郎の行動を実際に“見ていた”のである。
そしてその方法について、タガラックには前科がある。
かつて世界中に公開され、ビクトレンジャーを救った大貫元司令官の告発動画。
それを撮影したのは、林太郎の眼鏡のフレームに仕込まれた超小型隠しカメラであった。
もちろん林太郎とタガラックは動画を拡散するにあたって、ヒーロー本部に追跡されないようあらゆる手立てを講じた。
相当な腕と時間と労力をかけない限り、動画の発信元であるタガラックのPC、ひいてはアークドミニオンにハッキングを仕掛けることなど不可能である。
だがそれをやったのだ、この黛桐華は。
才能と、努力と、打倒デスグリーンに燃える驚異的な執念で。
「よく、気づきましたね」
「正直驚いたよ。ほんとなんでもできちゃうのな、お前。まあ、おかげさまで果たし状を書く手間は省けたわけだけどさ」
林太郎はそう言って自分の、泥沼のように澱んだ瞳を指さした。
黛桐華とビクトレンジャーは、タガラックのPCを経由し、この林太郎の“目”を通して情報を得ていたのである。
そうしてハッキングで得た情報をもとにすべての襲撃計画を立てていたのだ。
「だから逆手に取って偽の情報を流せば、こうやって餌に食いついたバカを一本釣りできるってわけだ。いいか黛、敵から与えられた情報に頼るヤツは、秒で足下をすくわれるんだぞ」
余裕ぶって講釈を垂れる林太郎に、桐華は食って掛かった。
「そのバカに、あなたは駆逐されるんですよ。司令部応答せよ、例のバックアップをただちに出動させてください」
『こちら司令部、了解しました』
…………。
「くっ、一旦状況を立て直さないと……」
自分たちが仕掛けたハッキングを逆に利用され、静かに拳を震わせていた朝霞司令官は、急いでパソコンの画面を司令用のコンソールに切り替えた。
いざという時のために、もはや数少なくなってしまったが動けるヒーローをバックアップ要員として待機させていたのだ。
というのも、デスグリーンに随伴して多くの怪人がさいたま新都心に集結しているという情報を得ていたからである。
それを一網打尽にすべく、今回の作戦を実行に移したのだ。
ヒーロー本部総力を挙げての大捕り物である。
だが考えてもみてほしい、その情報源がどこにあったのかを。
神保町のヒーロー本部庁舎。
その一室にあるビクトレンジャー秘密基地から、朝霞は埼玉郊外に控える全部隊への連絡を試みていた。
コンソールに彼らへの出動要請用のコマンドを打ちこむと、エンターキーを叩く。
その瞬間、パソコンの画面にかわいらしい金髪碧眼の少女のイラストが映し出された。
「なっ……!?」
『はろはろー。カワイイわしが見れてラッキーじゃのー、ほほーい』
「なんですかこれは……?」
『わしの大事なサーバーちゃんにハッキングを仕掛けるとは、まったくけしからんやつらじゃのー。まっ、わしのほうが一枚上手じゃったがの! そいじゃー美少女のわしがタイムリミットをお知らせするぞい。さーん、にー、いーち、ほいや!』
カウントがゼロになるのと同時に、パソコンがボンッと爆発しヒーロー本部庁舎すべての電源が落ちた。
真っ暗な部屋に差し込む外の灯りが、小刻みに揺れる。
ズシン……ズシン……。
地鳴りのような音が、徐々に近づいてくる。
朝霞がおそるおそる窓から外を見ると、巨大な丸い瞳と目が合った。
「さ……サメ……?」
「あっ、お姉ちゃぁぁん。さっさと逃げたほうがいいッスよぉぉぉ」
“東京千代田区神保町”のヒーロー本部庁舎は、数えきれないほどの巨大化した怪人に囲まれていた。
虎の子のヒーローチームはみな、埼玉郊外に出払っている。
彼らを呼び戻すにしても、1時間はかかるだろう。
つまりいま現在、本部を守るヒーローは、いない。
「ガハハハハ! おーいお前らあ、ブロック崩しやろーぜえ!」
「では不肖私めが一番槍をつけさせていただきます。フルパワードロップ蹴兎!」
直後、ヒーロー本部庁舎が大きく揺れた。
………………。
…………。
……。
「司令部!? 応答せよ! 司令部ッ!!」
『…………』
桐華がいくら呼びかけても、インカムからの返答はない。
いきなり司令部との連絡が取れなくなったのは、けして偶発的なトラブルではないと、桐華は確信した。
「残念だったねえ、ここにいるのは“俺ひとり”だよ。やられた分はちゃんとやり返しておかないとねえ。神保町はそろそろ更地になっているころかな?」
「デスグリーン! 正義の中枢にこんなことをして、ただで済むと思っているんですか!?」
「おおこわ。黛の言う正義ってのは、虫にホウ酸団子食べさせることなんだねえ。ヒーローやめて害虫駆除業者にでもなったらどうだ? あっはっはっは……」
林太郎は笑いながら両手をひろげ、勝ち誇ったように夜空を仰ぐ。
桐華は極悪怪人デスグリーンという男を見誤っていた。
そもそも彼は最強のヒーロー・黛桐華ひとりなんかに照準を定めてはいなかったのだ。
「さあ、もうわかっただろう? お前さんたちはデスグリーンという囮にまんまと引っかかったんだよ。ふたりっきりじゃなくて悪いね。だがパーティーはみんなで楽しむもんだ、そうだろう黛?」
桐華本人ではなく、母体であるヒーロー本部を木っ端みじんに打ち砕けば、いくら最強のヒーローとて活動を継続できなくなる。
ヒーロー本部に偽の情報を掴ませ、桐華をはじめとするヒーローたちを本部庁舎から遠く離れた郊外に集結させる。
それによって空になったヒーロー本部を数の暴力で襲撃するという、実にシンプルな作戦であった。
「いいか黛、潰しやすい敵から潰すのは兵法の基礎だ。たとえそれが王将でもな。肝に銘じておけ」
「ぐっ……ぐぬぬ……っ!」
桐華はマスクの下で唇を噛んだ。
こんな男に栗山林太郎は敗れ、命まで奪われたのか。
そう考えるほど、己の中にたぎる血を抑えきれなくなる。
「無月一刀流、紫燕!」
桐華が“クロアゲハ”を真横に振るうと、真空の刃がすさまじい速さで林太郎を強襲した。
そして林太郎の身体を真っぷたつに分断した、かに見えた。
斬り裂かれたコートがはらりとアスファルトの上に落ちる。
だがそこに林太郎の姿はない。
カンッという乾いた鉄の足音と共に、緑のスーツを身にまとった人影が歩道橋の欄干に降り立った。
マントをたなびかせ、竜を彷彿させるその異形のマスクが月光を照り返す。
極悪怪人デスグリーンと化した林太郎がそこにいた。
「80点といったところだな黛。そうだ、相手の話にわざわざ乗ってやる必要はない。ちゃんと予習復習してきたようで先生は嬉しいぞ」
「ほざくな! あなたの首はこの私が叩き落とします!」
桐華はスゥと小さく息を吸い込むと“クロアゲハ”を八相に構え直した。
その真っ黒な刀身は月さえも映さず、ただ鋭く仇敵の首筋を狙い澄ます。
対するデスグリーンも、桐華を見下ろしながら緑色に毒々しく輝く剣“ニンジャポイズンソード”を抜き放つ。
最強のヒーローと最凶の怪人による最終決戦の火蓋が切られようとしていた。
「闇を斬り裂く黒き光、ビクトブラック。正義の名のもとに、我が師の仇を斬る」
「“平和”を愛する緑の光、デスグリーン。かわいい後輩を手にかけるのはじつに心苦しい、が――
――俺の平和のためにくたばれ」