第五十四話「決戦前夜」
夜の国道をフルスロットルで駆け抜ける一台のバイクがあった。
真っ黒なカウルにVのエンブレムが輝くその鉄馬に跨るのは、ヒーローの少女・黛桐華である。
黒いジャケットを冷たい風にたなびかせながら、車の間を縫うように走り抜ける。
最近、桐華は林太郎のことを思い出すことが増えた。
殺しても殺しきれない憎き仇敵、デスグリーンの顔や態度が亡き林太郎そっくりだからだろうか。
「デスグリーン……! よくも、よくも私の……!」
黒く燃え盛る怒りの炎が、夜風にたなびく。
桐華にとって、栗山林太郎という男は周囲が思っているよりもはるかに特別な存在であった。
ほんの1年間、同じ釜の飯を食っただけの間柄と言えば、深い関係にあると考える部外者はいないだろう。
だが天才ゆえ常に孤独と隣り合わせにあった黛桐華にとって、自身の傲慢と正面から向き合ってくれたのは、後にも先にも栗山林太郎ただひとりであった。
林太郎だけは、他の者たちのように期待や憧れの目を向けることもなく、黛桐華というひとりの“人間”を真正面から受け止めてくれた。
アクセルを回すとバイクはさらにグンと加速する。
全身で風を浴びながら、桐華は去年の夏のことを思い出していた。
「センパイ、今日こそ勝つので私と手合わせをしてください!」
「よしわかった。ただし武器・防具の使用は一切禁止だ。いますぐ身に着けているものをすべて脱げ」
「そ……そんなのできるわけないでしょう! いったいなに考えてるんですか!?」
「いいか黛、戦う時と場所は必ずしも選べるわけじゃない。時には風呂場で急に怪人に襲われることだってある。常に万全ではいられないということを肝に銘じておくんだ」
「……はい、センパイ……!」
常在戦場の言葉を胸に、その後はひと時たりとも刀を手放したことはない。
そのせいで訓練教官にめちゃくちゃ怒られてグラウンドを200周走らされたこともあるが、桐華は後悔したことなど一度もなかった。
林太郎は傍から見ればけしていい先輩ではなかったかもしれない。
だが秘密基地でいまは亡き彼のネームプレートを見たとき、自分でもどうしようもないぐらい涙があふれて止まらなかった。
そのときはじめて気づいたのだ。
黛桐華はきっと、生まれて初めての、恋をしていたのだと。
ドルルルルルン、ドルン……。
目的地に到着しエンジンを切ると、その少女は黒いヘルメットに手をかける。
頭の上から足の先まで宵闇色に染まったその怪しい立ち姿から、新雪のような輝きがこぼれた。
桐華は白銀の髪をかき上げると、そのスカイブルーの瞳で郊外の雑居ビルを見上げる。
そしてその目を、磨き上げられた刃のように鋭く尖らせた。
雑居ビルの一室ではスーツを着た男たちが、せっせとダンボールを荷解きしていた。
「まったく誰ですか、カブトムシ用おいしいゼリーを保冷剤と一緒に入れたのは!?」
「すいませんミカリッキーさん、冷やすとおいしいかなって思いましてアリ!」
「カブトムシゼリーは常温と決まっているのです。ザゾーマ様がいらっしゃらないからといってたるんでいますよ。このミカリッキーの複眼が黒いうちは、風紀の乱れなど許しませんからね!」
奇蟲軍団は、今週に入ってからすでに3度目となる引っ越しを強いられていた。
さらに前回のビクトブラックによる襲撃で、統率者たる奇蟲将軍ザゾーマが大量のバ●サンを吸い込み意識不明の重体に陥っている。
そのためナンバー2のミカリッキーを筆頭に、みんなピリピリしていた。
「だけどミカリッキーさん、俺……不安ですアリ。アイツらまるでこっちの動きを手に取るように襲撃してきてますけど、ここは大丈夫なんですアリ?」
「問題ありませんとも。ここは市街地からも遠く離れていますし、不動産屋もアークドミニオンの息がかかった者たちです。いくら公安とて嗅ぎつけられるものですか」
ピンポーン。
そのとき事務所のインターホンが鳴った。
扉を開けると眩しい笑顔の女の子が、何段にも重なった箱を抱えて立っていた。
「ちわぁー、ヴィランズピザぇすー! 怪人ピザ10枚お届けにあがりぁしたぁー!」
「おお、待っていましたよ! んんー、この青くさい葉っぱと朽木のハーモニーたるや。やはりヴィランズピザはオーガニックに限りますねえ」
「まいどぁりゃーす! またんぉ利用おぁちしてぁすー!」
朝から引っ越しの作業続きでお腹ペコペコだった蟲系怪人たちは、我先にとピザに群がった。
そしてウマウマと幸せそうにピザを口へと運ぶ。
「うめぇー、やっぱりピザうめぇアリィー!」
「俺、昼食ってないからしみるアリ。外骨格にしみわたるアリィ」
「いやあ、このリンゴの皮と腐葉土のピザは本当にいつ食べてもおいしいですねえ……ウッ!?」
ミカリッキーの手からピザがこぼれ落ちた。
同時に次々と腹を押さえてうずくまる蟲系怪人たち。
「おおお……!? な、なんだ急に腹の調子がアリ……」
「あがががが……手が痺れて……」
「これは……まさか……ホウ酸団子……!?」
その数十分後、蟲系怪人たちは『本物のヴィランズピザのスタッフ』によって助け出されたが、その大半が診療所で急性食中毒と診断された。
ドルルルルルルルルルン!
黒いバイクが重く低いエンジン音を響かせながら、真夜中の国道を疾駆する。
その黒いヘルメットの内側に取り付けられたインカムに通信が入る。
『こちら司令本部です。黛さん、アークドミニオン支部襲撃作戦の首尾はどうですか?』
「こちら黛。上々です。これより目標F地点、船橋のアークドミニオン支部に向かいます」
『本部了解。……いえ、待ってください。F地点は避けましょう。このまま和光へ向かっていただけますか。獣系怪人たちがいる新しい拠点の座標を送ります』
「了解しました」
そう短く応えると、桐華はバイクのスロットルを引き絞った。
ヴオオオンと唸りをあげ、後輪を滑らせながらバイクがUターンする。
バイクはタイヤ痕を残し、あっという間に夜の闇へと溶けていった。
………………。
…………。
……。
そのころ、林太郎は船橋市にある絡繰軍団の拠点を訪れていた。
ほかの軍団と違い、駅前一等地の商業ビルをワンフロアまるごとぶち抜いた、快適なオフィス空間である。
すでに高級な調度品や、フカフカのソファと最新型の空気清浄機を完備した応接室まで用意されている。
さすがは日本経済の一割を握る絡繰将軍タガラックといった金のかけかたであった。
今朝とつぜん訪問したいと連絡をよこした林太郎を、金髪幼女が自ら出迎える。
「おおー、久しいのう林太郎! ようやくリアルバ美肉転生する気になったかのう?」
「いえ、それは結構。少しタガラック将軍とお話したいことがありまして。お時間いただけますか? できればふたりきりで」
「ドキッ! いかん、いかんぞ林太郎! いくらわしが美少女じゃからって! わしが金髪碧眼の洋ロリ美少女じゃからって!」
タガラックは自分の肩を抱きながら、イヤンイヤンと身体をくねらせた。
一見すると10歳ほどの幼女だが、その動作はどこか20世紀を感じさせる。
「性豪伝説なんていう不名誉な噂を広めた件については不問にしてやりますから、真面目に聞いてください」
「ちょっとは乗ってこんかい、わしがスベったみたいになっとるじゃろうが」
そういうとタガラックは指をパチンと鳴らした。
すると応接室に控えていた執事とメイドから、こんな夜中だというのにせっせと働いていた会社員まで。
フロア中のありとあらゆる“人間”が、まるで時間を止められたかのように静止した。
機械人形で構成された絡繰軍団と、それを統括する絡繰将軍タガラックの仕業だということを知らなければ、フラッシュモブかなにかだと思うだろう。
「これで誰も聞いとらん。すごいじゃろ? 時間が止まっとるみたいじゃろ? これお気に入りなんじゃ、見たヤツみんな驚くからのう」
そう言ってタガラックは完全に停止したメイドさんのスカートに手を突っ込んで、なんの躊躇もなくパンツをかかとまでずり下ろした。
無邪気な金髪幼女の姿でなければ到底直視に堪えないことを平然とやってのける。
だがパンツを剥ぎ取られた給仕怪人メイディは、にこやかな笑顔を浮かべたまま一切表情を変えずまばたきひとつしない。
「むふ、林太郎よ。いまならおっぱい揉み放題じゃぞ」
「遠慮します。そういうプレイをしにきたわけじゃないので」
林太郎はフカフカのソファにドカッと腰かけると、脚を組んで言った。
「単刀直入に言います。ビクトブラックを倒すのに力を貸していただきたい。タガラック将軍にはロボ8体ぶんの“貸し”がある。それをチャラにするという条件でどうです?」
ギラリと光るメガネの奥で、ハイライトの無い死んだ瞳がタガラックの姿を映す。
「着手金はそれで構わん。じゃが成功報酬としてビクトブラックのビクトリー変身ギアをわしに寄越せ。それなら乗ってやるわい」
「さすがですタガラック将軍。あなたとならいいビジネスができそうだ」
「ビジネスてお前さん……わしを誰じゃと思っとるんじゃ……。それで林太郎、わしはなにをすればいいんじゃ?」
「それはこれからご説明いたします。なぁに、“今度の標的”はロボなんか比べものになりませんよ」
林太郎はソファから立ち上がると、ニヤリと口角を歪めて笑った。
「極悪怪人デスグリーンに喧嘩を売るとどうなるか、嫌というほど思い知らせてやりましょうとも」