第五十二話「群体行進」
怪人態で現れた奇蟲将軍ザゾーマは、彼が常日頃から掲げる“美”からはかけ離れた存在であった。
何本もの脚が蠢き、牙の生えた口からは毒液を垂らし、巨大な鎌と尻尾の毒針を振り回しながらビクトレンジャーに迫る。
「我ハ憤怒ニ非ズ。我ハ死ノ徒ニ非ズ。只輪廻ノ果テニ堕ツル狂禍ノ宴ナリ」
「ぐわあああーーーーーっ!!」
ビクトレッド・暮内烈人が全身から火花を散らしながら吹っ飛ばされた。
驚くべきはザゾーマの手数と、急所を狙う正確さである。
自ら狩りを行う肉食昆虫というのは、とかく俊敏性に長ける。
この奇蟲将軍ザゾーマの攻撃も、その例にもれず迅く、そして鋭い。
正面を切って対峙した時点で、並のヒーローに勝ち目はないだろう。
だが相手は最強のヒーロー黛桐華である。
「無月一刀流……麝香」
一瞬、ザゾーマの大鎌が桐華の細い首筋を捉えたかに見えた。
しかし桐華の身体が霞のように消え失せたかと思うと、それと同時にザゾーマの背後で凶刃がきらめく。
だがザゾーマの背には巨大なサソリの尻尾がそびえている。
巨大な毒針がフェンシングの乱れ突きように、桐華に襲い掛かった。
「其ハ静カニ揺蕩ウ生ニ臨ミ、激シク燃ユル死ヲ望ム」
「無月一刀流、墨流!」
桐華は最低限の動きで迫りくる毒針の切っ先をかわすと同時に、斬撃のカウンターをザゾーマの尻尾に浴びせかけた。
紫色の体液をまき散らしながら、尻尾が独立した生命体のように苦しみのたうち回る。
「あれ? ひょっとしてザゾーマ将軍、押されてます?」
「ザゾーマ様は大変温厚な御方でいらっしゃいますので、じつのところ野蛮なタイマンはそれほど得意ではいらっしゃらないのでございます」
いつの間にか復活した従者のミカリッキーが、林太郎の傍に這い寄ってきていた。
ずんぐりむっくりな見た目からして、まるで甲虫そのものだ。
「え!? あの見た目で強くないの!?」
林太郎が驚くのも無理はない。
ザゾーマの姿はどう見ても地球外生命体である。
SFホラー映画で言うところの、3作目ぐらいに出てくるラスボスである。
加えて三幹部という地位から察するに、尋常ならざる強さを秘めているものだとばかり、林太郎は思っていた。
だが現にこうして見てみると、桐華相手にずいぶん手こずっているように見えなくもない。
「冗談じゃないですよ、こちとらザゾーマ将軍だけが頼りなんですから」
「ほほほほ……心配はご無用でございますよデスグリーン様。そろそろ“効いてくる”頃合でございます」
その異変にいち早く気づいたのは、後方からの狙撃を担当していたピンクであった。
ピンクの固有武器“アルケミストライクボウ”には特殊なコンピュータが埋め込まれており、敵対する相手の脅威レベルを測定できるようになっている。
それによると、ザゾーマの脅威レベルは一般の怪人よりもはるかに高く表示されていた。
しかしビクトブラック・黛桐華の実力とビクトレンジャーの援護があれば十分に勝機はあるだろう。
ピンクがビクトレンジャーの頭脳として司令塔の役割を果たせているのは、この分析機能によるところが大きい。
「みんな! あと少しで押し切れるわ!」
ピンクが勝利を確信したそのとき、視界の端でなにかが動いたように見えた。
「……ん? ……気のせいかしら?」
そこにいるのは、すでに倒され無様に転がっている、無数のザコ戦闘員たちである。
20体近くの戦闘員がこの植物園を警護していたが、ビクトレンジャーの襲撃からものの1分ともたずに全滅していた。
まさしく歯牙にもかけることすらないような、ザコ中のザコたちである。
ザコ戦闘員とは元来、ふたつ名を持つ怪人になれなかった弱い怪人の寄せ集めである。
たとえまだ動ける者がいたとしても容易く叩き潰せるほどの連中であり、脅威レベルも最低値だ。
ピンクは気に留めることなく、前線で戦うレッドとブラックへの援護射撃に戻った。
弦を引き絞り、ザゾーマの額に狙いを定める。
手をはなすと同時に、ピンクの矢は閃光のごとき勢いで発射され、ザゾーマの眉間を射抜く。
――はずであった――。
「アリアリィッッッ!!」
「な、なんですってーーーっ!?」
ピンクが驚くのも無理はない。
ほとんど虫の息だったザコ戦闘員が飛び起きるやいなや、放たれた矢を素手で掴んだではないか。
まるでコメツキムシのように、他のザコ戦闘員たちも次々と背筋をバネにして起き上がる。
「おおお、こいつら急に元気になりやがったぜ!? くそっ、こいつはやべえぜ、ジェットカッターマグナム!!」
異変に気づいたブルーもザコ戦闘員に向かって銃を乱射する。
――しかし――。
「アリッ! アーリアリッ!」
ザコ戦闘員たちは下っ端とは思えない機敏な身のこなしで、ブルーが放つ6連発の真空波攻撃をすべて避けた。
「ど、どうなってやがるんだぜ!?」
「マズいわ! みんな一旦退くのよ!」
“アルケミストライクボウ”に埋め込まれたコンピュータが、敵の脅威レベルを算出する。
「うそっ……なにこれ……こんなことって……!」
ピンクは改めてその数値を見るなり愕然とした。
「脅威レベルが……跳ね上がってる!?」
なんとザコ戦闘員一体一体が、名のある大怪人と同等の数値を叩き出しているではないか。
無論、それは分析装置の故障などではない。
「雫ハ雨トナリ、雨ハ激流トナル。鋭ク研ギ澄マサレシ刃モ、ヒトツノ錆カラ零レ落チルガ世ノ理……」
「ぐっ……!」
ビクトレンジャーの連携が乱れたことで、ザゾーマ将軍の大鎌がついに桐華の身体を捉えた。
とっさに刀でガードしたものの、桐華は十数メートル弾き飛ばされる。
彼女はそこではじめて、周囲を取り巻く異常事態に気づいた。
「こ……これは……!?」
濛々と立ち込める紫色の霧の向こうで、巨大な節足動物、奇蟲将軍ザゾーマが鬨の声を上げる。
「我ガ名ハ奇蟲将軍ザゾーマ、偉大ナル、蟲ノ王デアル!」
ザゾーマは全身から毒霧を吐き出すと、その巨体をギチギチと震わせながらザコ戦闘員たちに向かって呼びかける。
「黒キ祝宴ノ刻ハ来タレリ! 其ノ翅ハ鳥ヲ喰ライ、其ノ肢ハ獣ヲ屠リ、其ノ顎ハ人類ヲ餌ヘト正ス! 我ガ愛シキ同胞ヨ、思イノ儘ニ簒奪セヨ!!」
「「「「アリアリアリーーーーーッッ!!!!」」」」
号令とともに、20体もの強化されたザコ戦闘員が、一斉にビクトレンジャーへと襲い掛かった。
その中には黒い甲殻を身にまとった、スタイリッシュなカミキリムシ怪人の姿もある。
「我こそは忠実なるザゾーマ様のしもべ、切断怪人ミカリッキー! さあみなみなさま、照覧あれ! これぞ我らが君主、ザゾーマ様の華麗にして勇壮なる陣容! 我ら奇蟲軍団の“群体行進”にございます!」
ずんぐりむっくりした従者姿からは想像もつかないほど洗練されたそのフォルムは、まるで昆虫をモチーフにしたヒーローのようだ。
ミカリッキーは矢の雨を、カマイタチの銃弾を、黄色いバリアーでさえも、両手に構えた巨大なハサミで舞うように斬り裂いていった。
ザゾーマの撒き散らす紫の霧は、端的にいえば蟲系怪人の身体能力を大幅に強化するバフである。
一体一体は弱い蟲系怪人だが、この毒霧に含まれる成分を体内に取り込むことで、各々が一騎当千の猛者となるのだ。
これを利用した必勝の集団戦術『群体行進』こそが、ザゾーマが奇蟲将軍として崇められる理由のひとつであった。
「ウギャアーーーッ!!」
「ひいいいーーーーーっ!!」
「ごわしゅぶべらっ!!」
もともと満身創痍だったブルー、ピンク、イエローの三人は、わずか十数秒で叩きのめされた。
残る烈人と桐華にも戦闘員が殺到する。
ふたりは背中を預け合いながら、ギリギリのところで踏み留まっていた。
「くそっ、強い上にキリがない! まるで蜂の巣穴をつついたみたいだ!! 仕方ない、ここは退くぞ!」
「…………くっ……了解、しました……!」
直後、桐華を中心に凄まじい光が周囲を照らし、轟音が戦闘員たちの三半規管を直撃した。
桐華が用いたのはフラッシュボム。
先の戦闘で林太郎が使ったものとまったく同じものであった。
………………。
…………。
……。
日没後、林太郎は応急手当を受け、アークドミニオン地下秘密基地への帰路についていた。
その手にはザゾーマからもらい受けた解毒剤の小瓶が握られている。
戦闘の後、人間態に戻ったザゾーマは林太郎にこう言った。
「求めるは易く、手に入れるは難き。それは色にあらず、ゆえに形を持たぬ。神はそれを愛と名づけたもうた。我が愛が永遠に貴殿の往く道を照らさんことを願う」
「ザゾーマ様は『これは“貸し”です。奇蟲軍団への所属を真剣に検討してみてください。良いお返事をお待ちしております』と仰っています」
林太郎は半ばこうなることを予想していた。
ザゾーマに対する一番の交渉材料は、林太郎すなわち極悪怪人デスグリーン自身である。
そんな義理を果たす必要はないと心の中で思いながらも、大きな借りができたことに変わりはない。
ベアリオン将軍もこの解毒剤を受け取ってしまったら、今後デスグリーンの進退について口を出すことはできなくなるだろう。
それらをすべて計算してこの状況を作り出したのであれば、あの奇蟲将軍ザゾーマという男は相当な食わせ者である。
加えて、もしいまのアークドミニオンであの黛桐華に勝てる者がいるとすれば、恐らくクロアゲハの毒を無効化できるザゾーマと奇蟲軍団がもっとも近い。
それが今日の戦いで証明された。
いまの林太郎ではデスグリーンの力をもってしても、あの黛桐華には勝てないということも。
「くそっ、なにもかも上手くいかねえ」
ブルー、ピンク、イエローの3人がまたしても再起不能になったことを考えれば、陣営としての戦果は痛み分けに近い。
しかし個人の結果だけを見れば、林太郎と百獣軍団に大きな貸しを作ったザゾーマの一人勝ちだ。
林太郎自身はというと、かつての後輩である桐華相手に一方的な連敗を喫している。
怪人たちの救世主・極悪怪人デスグリーンは、味方を護るどころか助けられてばかりいるお荷物に成り下がっていた。
あの黛桐華が敵として現れてからというもの、なにひとつ思い通りにいかない。
そんな抑圧が、林太郎の中でドス黒い靄となって渦巻いていた。
「ちっくしょう!!」
林太郎は憤る衝動のままにコンクリートの壁を叩いた。
当然のことながら壁が砕けるようなことはなく、拳からじんわりと血がにじんだだけであった。
これが人間、栗山林太郎の限界である。
極悪怪人デスグリーンなど、所詮はまがいモノの怪人に過ぎない。
「…………あ……」
林太郎は打ちつけた己の拳が、かすかに震えていることに気づいた。
それはけして認めたくない事実を、林太郎に突きつける。
栗山林太郎は、怯えているのだ。
「なんだよ……そんなこと……俺が、そんなわけ……」
いつもは必要以上にスラスラと出てくる言葉が詰まる。
よく回る舌が、凍りついたように動かない。
もはや認めざるをえなかった。
怖いのだ。
あの黛桐華が。
繰り返される敗北が。
心の底から恐れているのだ。
極悪怪人デスグリーンとしての立場が失われることを。
アニキとしての矜持が崩れ去ることを。
「……クソがッ! クソがァッ!!」
林太郎はふとよぎったその思いを断ち切るかのごとく、何度も何度も壁に拳を叩きつけた。
コンクリートの壁はやはり砕けることはなく、ただ鈍い痛みだけが残った。