第四十八話「起死回生のでかい一発」
黛桐華の戦闘力は歴代ヒーローの中でも間違いなくトップクラスである。
パワー、スピード、テクニック、そのどれを取っても現役のヒーローでは太刀打ちできないだろう。
しかし林太郎ことデスグリーンには勝算があった。
絡繰将軍タガラックによって改造されたビクトリー変身ギアこと、デスグリーン変身ギアである。
一〇分間という活動制限はあるものの、リミッターが解除されたことによりその身体能力の向上性能は従来品をはるかに上回る。
それはかつて、ビクトレンジャーで最大の耐久力を誇っていたビクトイエローを、完膚なきまでに叩きのめしたことからもわかる通りだ。
たとえエースヒーローといえども、生身でまともに対抗できるような代物ではない。
……はずであった。
「なんで俺のスピードについてこれるんだよ!」
「“速さは戦略の基本、遅きに失すれば命を失う”」
桐華の尋常ならざる身のこなしには秘訣があった。
それはちょうど一年前の出来事である。
「センパイ、私と手合わせをしてください!」
「よしわかセイヤッ!!」
「アイタぁーーーッ! いいい、いきなりなにするんですか!?」
「いいか黛、これがもし実戦ならば、お前はいまの一撃で死んでいたぞ。速さは戦略の基本だ、遅きに失すれば命を失うことになる。わかったらダッシュで焼きそばパンを買ってこい」
「……はい、センパイ……!」
当時の桐華は林太郎の卑劣な対応の数々によって数えきれないほどの黒星を重ねていた。
そしてそのたびに林太郎の言葉を素直に受け取り、林太郎の教えを実現すべく苛酷きわまるトレーニングを己に課し続けてきたのである。
才能に恵まれすぎた天才が、さらにその才能の刃をたゆまぬ努力によって研ぎ澄ませた結果、他の追随を許さぬ最強のヒーローが誕生したのである。
そしてそのキッカケを作ったのは、まぎれもなく桐華と対峙する林太郎自身である。
「これだから真面目ちゃんは!」
林太郎は桐華から距離を取り、懐に手を伸ばす。
しかしその隙を与えまいと、遠距離からの狙撃が林太郎を襲う。
「“いかなる奇策も、打てなければ無策と同じ”」
高層ビルの屋上にちらりと見えるマズルフラッシュ。
そのたびに林太郎は身を翻し、弾丸をすんでのところで回避する。
これもデスグリーンスーツの賜物であるが、一〇分間のタイムリミットは刻一刻と迫っていた。
そんなアニキの苦境を打開すべく、その一番舎弟であるサメっちはウサミミ軍服女子を押し倒していた。
「な、なにをするか貴様ぁーッ! 私は上官だぞッ!」
「ウサニー大佐ちゃん! サメっちと“合体”するッス!」
「ががが、合体だとぉーーーッ!? 正気か貴様ァ!」
修羅場と化す戦場の一角に、濃厚な百合のお花畑が広がる。
サメっちの頭にはある秘策が浮かんでいた。
…………。
高層ビルの屋上で、鮫島朝霞はスコープ越しに戦闘の経緯を観測していた。
診療所を襲撃しデスグリーンを誘きだす作戦は、おおむね当初の予定通り進んでいる。
百獣将軍ベアリオンの出現は想定外ではあったものの、彼が桐華の一撃から仲間をかばったことで状況は一気にヒーロー側の有利に傾いた。
いくら巨体といえども、そろそろ全身に毒が回る頃合いであろう。
そうなればデスグリーンは烈人と桐華を同時に相手にしなければならなくなる。
自分はこの安全な場所から、デスグリーンや他の怪人の動向に目を光らせておけばよい。
――という算段であったのだが――。
「…………あれは……冴夜……?」
朝霞の視界、ライフルのスコープに青いパーカーフードを被った人影が映り込んだ。
ただ映り込んだだけならば朝霞も気に留めなかったことだろう。
だがその人影は、すさまじい勢いでグングンとこちらに迫ってきていたのだ。
…………。
「準備オッケーッス!」
「いくぞサメっち二等兵! 歯を食いしばれ!」
押し倒されたウサニー大佐ちゃんは、地面に背中をべったりと預けていた。
そしてサメっちと“お互いの足の裏をぴったりと合わせて”で狙いを定める。
「『フルパワードロップ蹴兎』ッッッ!!!!!」
ウサニー大佐ちゃんはサメっちと“合体”した状態で必殺のキックを放った。
直撃すれば四tトラックを一〇〇メートル近く吹っ飛ばすほどのパワーが、小柄なサメっちの全身を伝わる。
そしてその身体をスカッドミサイルよろしく、水平に近い角度で空へと撃ち出す。
これぞまさに、サメっちが思いついた“起死回生のでかい一発”であった!
「ほにゅあああぁぁぁぁぁァァァァァッッッ!!!!!」
サメっちの身体には、ロケットの打ち上げ時に宇宙飛行士が感じるものと比べて五倍近いGがかかっていた。
怪人でなければ四肢が空中でバラバラになってもおかしくないほどの衝撃が、サメっちを襲う。
しかしそこは怪人である。
「サアアアアアメエエエエエエエエエエッッッ!!!!」
サメっちの全身はみるみるうちに巨大なサメの顔をした“怪人”のそれへと変化する。
そして勢いのまま、朝霞のいる屋上の真下の階に突っ込んだ。
ズドオオオオオオン!!!!!
すさまじい轟音、それはまるで重戦車の砲弾が直撃したかのようであった。
あまりの衝撃に屋上の一部が、欠けた角砂糖のように崩れ落ちる。
「あ、朝霞さああああああああん!!!!!」
「朝霞司令官!!」
その様子を見ていた烈人が叫ぶ。
さすがの桐華もこれには驚愕を隠せなかった。
そしてそのわずかな隙を見逃すこの男ではない。
「よそ見をするのはよくないなあ」
林太郎は懐に手を伸ばすと、流れるような動作で指先にかかったピンを抜いた。
「しッ!」
桐華は自分に向かって放り投げられたそれを、反射的に“クロアゲハ”で一刀両断する。
それは桐華にとって、ほんの一瞬の判断ミスであった。
直後、太陽が落ちてきたかのような閃光と、耳をつんざく爆音が桐華を襲う。
林太郎が投げたのは、米海兵隊で使用されているフラッシュボムであった。
マスクとゴーグルを装着した烈人ですら一瞬目と耳をやられるほどの光と音を、桐華はほぼゼロ距離でまともに受けた。
「うああああああああっっっ!!!?」
視覚と聴覚と平衡感覚、そのすべてを奪われた時点で、並のヒーローならば詰みであろう。
だが桐華のしぶとさは、ほかならぬ林太郎によって念入りに仕込まれたものである。
桐華は全身の感覚が麻痺する中、とっさに腰のポーチから黒い玉を取り出すと地面に向かって投げつけた。
真っ黒な煙が一瞬にして、その場にいた全員の視界を覆い尽くす。
「煙幕まであるのかよ!?」
「“自身が無力化される可能性を常に考慮し、対策を用意しろ”……っ!!」
立ち込める黒煙の中で身を伏せた桐華と烈人に、通信が入った。
といっても、いまの桐華にはほとんど聞こえていないのだが。
『状況終了。繰り返します、状況終了』
「朝霞さん、無事だったんですね!」
『目標の半分は達成しました、すぐに退いてください』
「了解ッ!」
烈人は通信に短く応えると、煙幕の中で桐華を抱え、もつれる足で脱兎のごとく逃げ出した。
「待ってください! 私はまだやれます!」
「無理攻めはするな黛! 消耗戦になったらこっちが不利だ」
「でもデスグリーンが……ッ! センパイの仇が……ッ!」
桐華は戦闘継続を主張するものの、閃光手榴弾のダメージから回復するよりも先に煙幕が晴れてしまえば敗北は必至である。
司令官・鮫島朝霞の判断は的確であるといえた。
百獣軍団のトップふたりに毒を盛ることには成功したのだから、いまは無理せず退くべきである。
「こちらレッド! 離脱します!」
「くっ……デスグリーン! 次は必ず首を跳ね飛ばします! 覚悟しておきなさい!」
新生ビクトレンジャーは小さな勝利と敗北を噛みしめながら、敵に背を向け撤退したのだった。