第四十二話「関東大制圧作戦」
明けて25日、アークドミニオン地下秘密基地はいたって静かな朝を迎えていた。
こうも連日宴会続きでは、さすがの怪人たちも身にこたえたということだろう。
林太郎はソードミナスと連れ立って地下基地の廊下を歩いていた。
「ふぁぁ……ねむ……」
栗山林太郎、26歳。まだ若いとはいえさすがに徹夜は体にこたえる。
深夜の大騒ぎのせいで林太郎は結局、あれから一睡もできなかったのだ。
ジャムまみれで寝落ち寸前のサメっちを風呂に放り込み、散らかった部屋を片付けるだけでひと苦労であった。
その上、ぴーぴー泣く半裸の湊を朝までなだめていたのだから、疲れも溜まるというものだ。
「すまない……サプライズのつもりが……」
「まあ驚きはしたけど」
「本当はプレゼントを置いたらすぐに出ていく予定だったんだ……」
湊は林太郎のワイシャツとスウェットを着ていた。
さすがにボロボロのコスプレサンタ姿で泣きじゃくる女を部屋から追い出すほど、林太郎も鬼畜ではない。
敵には一切容赦しないが、子供と身内にはゲロ甘に優しく接するのが林太郎の信条である。
「あんまり落ち込むなよ。俺はこれでも感謝してるからさ」
「ああ、そうだな……たくさん慰めてもらったからもう大丈夫だ。まだちょっとお尻は痛いけど……」
湊はすっかり本調子、というわけにはいかないが、多少は元気が出たようだった。
気分転換がてら散歩に付き合わせた林太郎の判断は正解だったということだろう。
林太郎は湊の部屋の前で彼女と別れると、隣あわせの自分の部屋へと足を向けた。
さすがに少しぐらい寝ておかないと身がもたない。
しかし林太郎のその目論見は外れることになる。
部屋に戻ると珍しい客人が来ていた。
「あ、アニキおかえりッス」
「上官を待たせるとはいい度胸だ!」
それはモスグリーンの士官風ミリタリールックでいかつい眼帯を顔に巻き。
手にした鞭をしならせ、頭にウサミミを生やした女の子であった。
歳はハッキリとはわからないが、湊と同じでせいぜい20歳かそこらだろう。
「えーと……百獣軍団のウサニーちゃんだっけ?」
「大佐と呼べェ!」
林太郎の尻にピシィーンと鞭が飛ぶ。
眠気など一瞬で吹っ飛ぶ乾いた痛みが尻から脳へと抜ける。
「はいっ! ウサニー大佐ッ!」
「ちゃんを忘れるなこのマヌケッ!」
「はいっ! ウサニー大佐ちゃんッ!」
サメっちの話によると、ウサニー大佐ちゃんはこう見えて百獣軍団のナンバー2で、子供扱いされるのが相当嫌いらしい。
その彼女がなぜわざわざ林太郎を訪ねてきたかというと。
「非常呼集である! 極悪怪人デスグリーンはすぐに暗黒議事堂まで馳せ参じるように! なお供回り一名までの随伴を許可する!」
お呼び出しがかかったことを伝えに来てくれたのだった。
「ねえサメっち、あの子なんでナンバー2で大佐なのに伝令なんかやってるの?」
「大佐は自分で言ってるだけッス。ウサニー大佐ちゃんは忙しくてもちょくちょくサメっちに会いに来てくれるッスよ」
ちなみにサメっちはお察しの通り百獣軍団出身であったが、現在はドラギウス総統の直属ということになっているらしい。
“野良怪人保護”の仕事をしている関係上、不公平な人事が行われないようにするためなんだとか。
…………。
地下秘密基地の一角、大聖堂から続く間にその部屋はあった。
幹部以外の入室を拒む黒くて重厚な扉は、まるで地獄の門である。
暗黒議事堂と呼ばれたその空間には四つの紋章が掲げられていた。
それぞれが三人の大幹部と、総統ドラギウス三世を表しているのだろう。
すでに三幹部の面々はそろっているようだった。
「いよう! 遅かったじゃねえかあ兄弟! 待ちくたびれたぜえ!」
獅子と爪痕の紋章を背負うのは百獣将軍ベアリオンである。
ナンバー2のウサニー大佐ちゃんが静かに目を閉じてその隣に控えていた。
「天翔ける星々は廻れども、夜は等しくその身を抱き、けして交わることはない。ならば我は月夜を舞う蝶となりて、その羽に燃ゆる情愛の輝きを湛えん」
「ザゾーマ様は『またあなたに会えて嬉しい。今度お茶会の招待状を送る。あと熊は森に帰れ』と仰っています」
蝶と道化の紋章が刻まれた席に座るのは、奇蟲将軍ザゾーマであった。
通訳としてカミキリムシ風の従者が連れ添っているが、たぶん熊のくだりはあの人が足している。
「林太郎、ゆうべはお楽しみじゃったのう。おぬしがソードミナスと朝チュンしたと話題になっとるぞ。うひゃひゃひゃ……」
執事とメイドをはべらせながら、ニヤニヤいやらしく笑うのは絡繰将軍タガラックである。
その背後には歯車と交差するマスケット銃の紋章が輝いていた。
「ちょっと待ってください。なんでそんな噂が広まってるんですか?」
「そりゃーおぬし。クリスマスの朝っぱらにおぬしの部屋から一緒に出てきたら噂も立つじゃろ。しかもお互いに寝不足で、ソードミナスはおぬしの服を着ておったそうではないか。いっぱい慰めてもらった尻が痛いとか言ってたらしいのーう?」
「そこまで詳しく広まってるんですか!? いったいどこから見られてたんだ……油断の隙もありゃしない……」
だが言われてみればその通りである。
噂の内容は、なにひとつ間違っていない。
間違ってはいないのだが、よからぬ邪推が広まるには十分な状況証拠がそろっていた。
誤解されないほうがおかしいというものだ。
「アニキ、朝チュンってなんッスか?」
「朝になるとスズメがチュンチュン鳴くだろう? ただそれだけのことだよサメっち。それ以上でもそれ以下でもないよ」
「なるほどッス! あれ? でも地下だからスズメなんていないッス!」
「知らないのかいサメっち。モグラもチュンチュン鳴くんだよ」
「そうなんッスか!? サメっちまたひとつ賢くなったッス!」
いたいけな子供に嘘をつくのは心苦しいが、それはサメっちの幸せを願ってのことである。
サンタクロースだってチュンチュンモグラと似たようなものだろう。
林太郎が議事堂内を見渡すと、五つ用意された席のうちひとつだけ紋章が掲げられていない席があった。
供回りとして連れてきたサメっちが、その席の隣にちょこんと座る。
言わずもがな、ここに座れ、ということなのだろう。
面子がそろったところで、見計らったかのようにドラギウス総統が議事堂に顔を出した。
すぐさま全員が席を立ち、緊張した面持ちで夜の主を迎える。
ドラギウス三世は昨日のサンタさんと同一人物だとは思えないほど、その全身から邪悪な闇のカリスマオーラを発していた。
悪の総統は恐ろしい悪魔の紋章が描かれたひときわ大きな席につくと、皆に座るよう促す。
「今日おぬしらに集まってもらったのは他でもない。議題のは今後の方針についてである」
「おお、そりゃあひょっとして……!」
「むひょひょ、ついにやるんじゃな!」
重々しいドラギウスの言葉に、幹部たちが浮足立つ。
「知っての通り、現在我らが宿敵ヒーロー本部の機能は現在完全に麻痺しておる。この機会に我らアークドミニオンは、東京23区から関東一円にまで勢力を拡げるのである!」
三幹部ならびにサメっちは、その言葉に狂喜した。
先の戦いでヒーロー本部は東京埼玉地区に配備されている8体すべての巨大ロボを失い、即時動員できるヒーローの半数以上が病院送りとなった。
一時的なものではあるが、首都圏は現在ヒーロー空白地帯となっているのだ。
対する秘密結社アークドミニオンの被害はきわめて軽微である。
勢力圏を拡げる好機は、いまを置いて他にない。
「これは出世の大チャンスッスよ、アニキ!」
「とは言ってもなあ。俺は自分の身のまわりが平和ならそれでいいんだけど」
「アニキの出世はサメっちの生活の安定につながるって、ソォンシーも言ってたっす!」
「それたぶん違う人だよ」
ヒーロー本部から手酷い扱いを受けた林太郎だが、彼の目的はあくまでも自身と仲間の“平穏”であった。
それを脅かす者は何人たりとも許さない、ただそれだけなのだ。
ロボ8体にしたって、林太郎からしてみれば降りかかる火の粉を払っただけにすぎない。
「サメっちは俺が出世したら嬉しいかい?」
「もちろんッス。アニキが幹部になったらサメっちがナンバー2ッス!」
「そっか。じゃあちょっと頑張ってみるか」
一番舎弟の喜ぶ顔が見られる。
いまの林太郎にとって、動機はそれだけで十分であった。
かつて自分が真っ白に塗り替えた勢力図を、今度は真っ黒に塗り替えるだけのことだ。
さほど難しいことではないが、なんとも悪質なマッチポンプだと、林太郎はつくづく思う。
「北はベアリオン、西はザゾーマ、東はタガラックにそれぞれ任せるのである。林太郎には遊撃隊として各軍団の援護に回ってもらうのである」
ひととおり指示を出し終えたドラギウスが、改めてその鋭い目を幹部陣に向け、マントをひるがえす。
「これより“関東大制圧作戦”を発令するのである!」
こうして悪の秘密結社アークドミニオンによる、勢力拡大作戦が開始された。
すべては怪人の怪人による怪人のための、悪しき平和を実現すべく。
「がははははーっ! 腕が鳴るぜえーっ!!」
「我が蟲たちの奏でる銀の音色は、降り注ぐ太陽の光を食み大地を闇色に染め上げるであろう。白は黒く、黒はより黒く」
「とりあえず千葉から攻めるかのう。ふ●っしーをアークドミニオンに引き込んでメカふ●っしーに改造したいのう」
悪のカリスマ・総統ドラギウス三世から発せられた号令は、三幹部を三者三様に発奮させる。
その場で難しい顔をしていたのは、林太郎だけであった。
「関東大制圧作戦ッス! なんかカッコイイッスねえ! ……アニキどうしたッスか? なんか考えごとッスか?」
「……そんなところかな」
「大丈夫ッスよ! いまのアークドミニオンには勢いがあるッス! アニキだっているんッスから、絶対うまくいくッス!」
「アニキを信じてくれるのかい? サメっちは良い子だなあ」
「えへへーッス……あっ、ダメッス! 良い子にしてたら来年サンタさん来てくれないッス! サメっちは悪い子ッス!」
「よおし悪い子悪い子悪い子、悪い子だなぁーサメっちはぁー! わしゃしゃしゃ!」
サメっちの頭をこれでもかとなで回しながらも、林太郎は頭の片隅にこびりついたかすかな不安をぬぐい切れずにいた。
果たしてこの状況をあの守國長官や、サメっちに固執している姉の鮫島朝霞が指をくわえて見ているだろうか。
たしかに彼らがいくら優秀とて、手駒であるヒーローがいなければ動きようがない。
それはそうなのだが、仮にも相手は50年もの歴史を誇る正義の府である。
過去幾度となく衝突はすれども、ヒーローたちはそのたびに怪人を、人類の脅威を下してきた。
危機的状況を何度も乗り越えてきた“人類の希望”のしぶとさを、林太郎は誰よりもよく知っている。
「……順調にいけばいいんだけどね」
林太郎は誰にも聞こえないようにそう呟いた。