第三十五話「危険は後ろからやってくる」
アークドミニオン地下秘密基地医務室。
ヒーロー本部庁舎から命からがら逃げ出した直後の林太郎は、サメっちから応急手当を受けていた。
「アニキ、ほんとにもう大丈夫ッスか?」
「ああ、後は自分でできるよ。怪我といっても転げ回ったときにできた打ち身と、あとはお尻をちょっと火傷したぐらいだから」
「お尻ッスか!? それは大変ッス! さあ脱いでッス!」
「大丈夫だから! 自分でできるから!」
すでに全身あますところなく見られた仲であったが、さすがの林太郎とて年端もいかぬ少女の前で自ら尻を露出するのは避けたいところであった。
それにもし尻に軟膏を塗らせているところを誰かに見られようものなら、またあらぬ誤解が広まってしまう。
性豪だの獣欲の化身だのロリコンだのに加えて、これ以上悪名が増えてはたまらない。
「んじゃ先に部屋に戻ってるッス!」
「そうしてくれ。尻に薬を塗るときぐらいひとりにさせてくれると嬉しいよアニキは」
サメっちが医務室を出たことを確認し、林太郎はそっとズボンを下ろした。
鏡で見ると尻が少し赤くなっているのがわかる。
烈人の火炎光線が背中をかすめたときにできたものだ。
軟膏を指ですくい、尻の患部に塗っていく。
「おお……しみる……!」
そのとき医務室の扉がガタンと鳴った。
「りりり、林太郎なにをやってるんだ……? その、おおお、お尻なんか出して……!」
そこにいたのは長身黒髪の美女、ソードミナスこと湊であった。
ふたりが無事に戻ったと聞いて居ても立ってもいられず心配で様子を見に来たら、凱旋した本人はひとりでお尻を出していたという。
林太郎は慌ててズボンをたくし上げた。
「いや違うんだ、そういうアレじゃないんだよ」
「趣味は人それぞれだからな……邪魔して悪かった……存分に続けてくれ……!」
「待て待て行くな! 誤解しちゃあいけないよ、お前は俺をどうしたいんだ」
またあらぬ噂を広められないよう、林太郎は必死で湊を押し留めた。
誤解をちゃんと解くまで、彼女を解放するわけにはいかない。
林太郎は後ろ手で医務室の扉に鍵をかけた。
いっぽうの湊はというと、なんだかいたたまれない様子であった。
じつはビクトレッドによる攻撃の衝撃で、モニタリングに使用していたカメラやイヤホンが破損してしまっていたのだ。
そのためナビ担当であるにもかかわらず、途中から一切の連絡が取れなくなってしまっていたのである。
ただでさえあまり役に立てなかったことを気にしていただけに、その気の揉みようたるや想像に難くない。
ようやく落ち着いた湊は、おずおずと口を開いた。
「その……林太郎が縛られたところまでは見ていたんだが……そこから先はどうなったんだ? 酷いことはされなかったか?」
その後の展開は知っての通り、烈人が助けに入って大貫を葬り、横薙ぎの火柱で悪徳ヒーロー職員を始末したという流れである。
まさか自らの腕を焼くことでバーニングヒートグローブの弱点である射程を補い、必殺の火炎光線を編み出すとは。
烈人の攻撃の余波で林太郎の尻が焦げることになったのだが。
我ながらよく生きながらえたものだと、林太郎はしみじみ思う。
「おかげさまでまだ尻がヒリヒリするよ。まさか烈人……レッドの野郎があんなぶっといものを出してくるなんて、思いもよらなかったさ」
「なんだって!? し、尻をやられたのか……? ぶっといもので……?」
湊の頭に、ビクトレッドの“ぶっといもの”によって尻を攻撃される林太郎の姿が浮かんだ。
「いやまさかな……ははっ……林太郎、よく無事に帰ってこられたな。もはや無事かどうかは知らんが」
「ん? まあ、あんまり無事ではなかったけどね」
しかし本当によく五体満足で帰還できたものだ。
林太郎はサメっちを抱えて、燃える地下収容施設から逃走したときのことを思い出した。
エレベータは当然のように使えず、階段を駆け上がったため、もう足がパンパンである。
「めちゃくちゃ疲れたよ、もう下半身が動かねえ」
「滅茶苦茶に突かれて、かかか、下半身が動かないだって!?」
「いやーもうパンパンでさ」
「パンパンッ!?」
湊の頭の中では、林太郎がゲヒヒと笑うビクトレッドに下半身をパンパン突かれていた。
「あわわわわ……林太郎すまない、私が不甲斐ないばっかりに……つらい思いをしたんだな……!」
口に手をあて涙をこらえる湊。
そんな湊を見て、林太郎は少し“疲れた自慢”をしすぎたかなと自省した。
あまり役に立たなかったとはいえ、湊のナビがなければサメっちを救い出すことができなかったのも事実だ。
「フォローするわけじゃないけどさ、俺はつかれるのも悪くないなって思ったよ」
「目覚めちゃったのか!?」
「は? なにが?」
林太郎は困惑した。
目覚めるとはいったい……湊はなにを言っているのか。
だが林太郎にはひとつ、心当たりがあった。
『大好きッスー……大好きッスー……大好きッスー……』
サメっちのあの言葉には、さすがの林太郎もグッときたものだ。
セルフエコーがかかっているのは記憶が美化されているからだろう。
「あー、そういや父性愛に目覚めたっていうか。娘が欲しくなったってのは少しあるかもな」
「こっ、子供を作ろうというのか!? 唐突になにを言い出すんだ林太郎!?」
「恥ずかしいから、サメっちやみんなには内緒にしておいてくれ」
「だだだ、誰にも言わない約束する! だから酷いことはしないでくれ!」
「いやしないけど。どうした湊、熱でもあるのか?」
湊の顔にじっとりと脂汗が浮かぶ。
尻に目覚めた林太郎の毒牙が、よもや自分に向けられようとは。
そういえば「帰ったら覚えてろよ」とか言われていたことを、湊は思い出す。
つまり野獣のように貪り嬲るつもりなのだ、湊の肢体を、この男は。
このままでは貞操の危機である。
「そうだ、頑張ってくれた湊にも“お礼”をしなきゃなあ……」
笑顔が苦手な林太郎はそう言って、できる限り安心感を与えるつもりでニタァッと笑った。
しかしその顔はまるで卑劣な罠で女騎士を捕らえた山賊の頭目である。
「ひぃぃぃっ!!! 林太郎お前! 私のお尻をどうするつもりだ!!!」
「なに言ってんの? 俺は“お礼”がしたいって言ってるんだよ。ほうら自分の口でなにが欲しいか言ってごらん」
林太郎はなぜか急に警戒心MAXになった湊を、なだめようと立ち上がった。
しかし慌ててズボンをたくし上げていたため、なんたることかベルトがゆるゆるのままであった。
ズボンがストーンと床に落ち、林太郎はパンツ丸出しになる。
「ななな、なにを言わせようとしているんだ!? そんなモノ欲しいなんて絶対に言わないぞッッ!!」
「待ってくれ、これは違うんだ。誤解だ、話せばわかる。なにかとてもよくないことが起きている」
逃げ出そうとするソードミナス。
しかし医務室の扉は施錠されている!
そこに迫るパンツ一丁で笑顔のHENTAI!!
「聞いてくれ、これは尻のせいだ、尻に薬をだな……」
「お、おおお、お尻で赤ちゃんができるわけないだろぉーーーッッッ!!!!!」
アークドミニオン地下秘密基地にうら若き乙女の絶叫が響き渡った。
デスグリーン性豪伝説に、また新たなページが刻まれた。
その日、林太郎は朝まで泣いた。
ナンバリングを変えた影響で感想欄がちょっとズレました。
ごめんやで。