第三十二話「起死回生の必殺技」
ヒーロー本部地下怪人収容施設。
その窓もなく薄暗い部屋に、彼女は囚われていた。
「あなたたちは規則に違反しています。今すぐに私を解放しなさい」
それは一瞬の出来事であった。
施設の電源が落ちると同時に部屋の扉が破られたかと思うと、朝霞とその妹は踏み込んできたヒーロー職員の男たちにあっという間に縛り上げられた。
朝霞の私室にサメっちが捕らえられていると踏んだ大貫司令官は、機会を窺っていたのだ。
妹の冴夜は大貫に連れ去られていった。
とうの朝霞はこうして両手足を縛られ、ふたりの男に見張られている。
そろいのツナギを着た、地下収容施設の下っ端職員だ。
「こんなことをして、どうなるかわかっているのですか」
「それはこっちのセリフなんだよなあ、鮫島朝霞補佐官殿? 怪人を私的に部屋に連れ込んでナニをしようとしてたのかなあ? んん?」
「末端の職員にとっては知る必要のないことです。あなたたちが心配せずともコンプライアンスは遵守されています」
「相変わらずなに言ってるかわかんねえ女だなあ、ええ? お高くとまっちゃいるが、自分の立場はわかっちゃいねえみたいだ」
男は下卑た笑みを浮かべると、朝霞の肢体を舐め回すように見つめた。
「あんたが怪人と共謀してデスグリーンを引き込んだのはわかってるんだぜえ?」
「……なんのことを言っているのか理解しかねます」
「とぼけるってわけかい、こいつはいけないなあ。こうなったらもう身体に聞くしかねえなあ?」
そう言うと男は朝霞の胸倉を掴み、乱暴に衣服を引き裂いた。
「いいかあ? 俺たちは正義の味方だ、悪には容赦しねえ。今回の事件は全部あんたがやったって筋書きになってんだよ」
下卑た男たちの目は、ギラギラと正義の光で濁り切っていた。
まるで正義を掲げれば悪に対してはなにをしても赦される、そう言っているかのように。
「けけけっ、いまだから言うけどよお。俺たちゃアンタが現役のヒーローだったころから狙ってたんだぜぇ?」
「どのみちお前はもうおしまいなんだよ鮫島朝霞ァ。もちろんこの地下秘密収容施設のことを外で話したって誰も信じちゃあくれねえぜ。“ここで今から起こること”もなあ!」
「下衆どもが……私をはめましたね!」
「いまからハメるんだよ!」
バンッ!
という大きな音と共に、部屋の扉が勢いよく開かれた。
逆光を背負い、朝霞もよく知るひとりの男がそこにいた。
一瞬目を見開いた男たちだったが、その人物を見るやすぐに安心したようにいやらしい笑みを浮かべる。
「ひひっ、なんだお前もいただきにきたのかよ? まあ、お前もさんざんコキ使われてたから恨みが溜まってるんだろ? まったくしょうがねえヤツだぜ。俺らの番が終わったらお前もすぐに楽しませてやるよ」
「なんなら三人同時ってのも悪くねえなあ。あのクールな鮫島朝霞がどんな声で泣き叫ぶのか見ものだぜ。なんならデスグリーンが片付いたら他の連中も呼んできてやるとするか。げへへへっ」
下衆な笑い声をあげるふたりの職員、そして縛られ衣服を裂かれた朝霞を見て、男はようやく状況を察したようだった。
その“半袖”の男がニッと口角を上げたかと思うと、同時にむわっとした熱気が室内を満たした。
「いいや、俺は空気が読めないらしいからな。お前たちと遊ばせてもらうことにするぞ」
「はあ? なに言ってんだ?」
男の周囲に陽炎が赤く揺らめく。
「教えてやろう。俺の正義は今まさに怒髪天だァーーーッッ!!」
………………。
…………。
……。
警報が鳴り響く地下施設の廊下。
大貫はぐるぐる巻きに縛られた鮫島冴夜――サメっちに銃を突きつけた。
「この銃は特別製なんだ。怪人の頑丈な頭蓋骨だってナッツの殻みたいに簡単に砕けるすぐれモノだよ。2発しか撃てないのが難点なんだけどね。弾も高いんだこれが」
サメっちが泣きそうな顔で林太郎を見つめる。
林太郎は動揺を悟られないよう、精一杯虚勢を張った。
「大貫司令官、あんたは勘違いしてますよ。俺がその程度の安い脅しに屈するとでも?」
「あっそ。んじゃとりあえず一発撃ってみよっか」
策が浮かぶまでなんとか間をもたせようと言葉を弄するが、この大貫司令官はそんなまやかしが通用する相手ではない。
一度撃つと言えば、周囲が驚くほど呆気なく撃つ。
使える部下でも邪魔だと思えばすぐに左遷させるような男だ。
林太郎自身、そんな大貫の性格をよく知っていた。
「ま……待てっ!」
「おんやあ? どうしたんだい? こいつには人質としての価値なんてないみたいな口ぶりだったけど?」
「まあ落ち着いてくださいよ大貫司令官。グラビアアイドルの撮影会に遭遇した男子中学生じゃないんだからさ。交渉はもっとクールに進めるべきだと思いますがね」
焦りを悟られてはならない。
そう思えば思うほど、声が震える。
「悪いけど時間かせぎはナシだよデスグリーン。このザコ怪人が死ぬか、君が捕まるかだ。さん……に……いち……」
大貫は銃をサメっちの頭に向けると、引き金にかけた指に力を込めた。
「……わかった。だけどサメっちには手を出すな」
「おっけーおっけー。よしお前たち、確保しちゃって」
人質を取られ抵抗を封じられた林太郎を、ヒーロー職員たちが押さえつける。
特殊鋼ロープで縛り上げられた林太郎は、冷たい廊下に組み伏せられた。
自分のせいで無様に捕らえられたアニキの姿を見せつけられ、サメっちの目から涙がこぼれる。
「アニキぃ……! ごめんなさいッスぅ……!」
「気にしちゃあいけない。こういうときアニキは体を張るもんなのさ」
「ア゛ニ゛ギィ゛ィ゛ィ゛……!」
サメっちの顔はもはや涙と鼻水でぐっしゃぐしゃであった。
これで大貫との約束は果たされた――かに思われた、しかし。
「んじゃどっちから先に死ぬ? 僕が決めていい? んーやっぱりザコからかな? さんざん苦しめられたからさあ、デスグリーンにはもっと苦しんでもらいたいんだよね僕」
大貫はそう言うと、手にした銃をサメっちに向けた。
「おい話が違うじゃねえか! 大貫いいぃっ!!!」
「あっはっは、正義のヒーローが悪の怪人と口約束なんかするわけないじゃないか。バカだねえ最近の怪人ってのはさあ」
サメっちの額に、硬く冷たい銃口が乱暴に押しつけられた。
大貫はサメっちのほうなど見ていない。
正義と呼ぶにはその殺意はあまりにも軽く、その暴力はあまりにも薄っぺらい。
「いいかいデスグリーン? 世を乱す悪の怪人を始末することこそが、僕らの正義であり社会が求める秩序だ」
「ちくしょうが! 大貫てめぇ! 撃ったら殺すぞ! 絶対に殺してやる!」
「おおー、怖い。怖いねえ。怖いからさっさと“処分”しちゃおうか」
「あああ……アニキ……アニキぃ……!」
サメっちの目から大粒の涙がこぼれる。
自分はただ、最初から極悪怪人デスグリーンを苦しめるためだけに終始利用されていたのだと。
小さな怪人は思う、なぜ自分はこんなにも弱いのだろうと。
代々木公園では隙を突かれて誘拐され。
姉に会えたからと、浮かれて自ら逃げ出そうともせず。
あまつさえ姉ともども捕まって大好きなアニキを危険にさらした。
3年前、姉の目の前で怪人として覚醒したあのときから。
自分はずっと弱いままだ。
だが。
そんな弱い自分だけにしかできない、この場を切り抜ける方法があるとしたら――。
「待ってほしいッス! 最期にアニキと話をさせて欲しいッス!」
起死回生の必殺技が、ひとつだけあるとしたら――。
「だそうだよ? 聞いてあげなよ、かわいい部下の遺言だってさ。すぐ後を追うのにねえ、あっはっは」
「………………ッス」
サメっちは林太郎に向き直ると、囁くような声で語り始めた。
「短い間だったッスけど、サメっちアニキにいっぱい色んなこと教えてもらったッス」
「サメっち……」
一生懸命、足りない頭でひとつひとつ、ゆっくり考えて言葉を紡ぐ。
相手に気持ちを伝えるというのは、どうしてこんなに難しいのだろうと。
「一緒に走り回ったり、一緒に笑ったり、サメっちはアニキが来てから毎日が楽しかったッス」
「おいサメっち、待つんだ。アニキがいま助けてやるから……」
サメっちの身体がぼんやりと光を放ちはじめる。
ヒーローを長く続けていれば、何度も目にする光だ。
それにいち早く気づいたのは林太郎であった。
「足を引っ張ってばっかりだったサメっちのことも、怒らずに、諦めずにずっと“最期”までサメっちのアニキでいてくれたッス」
「サメっちやめろ! アニキはそんなこと望んじゃいない!」
大貫やヒーロー職員もようやくサメっちがやろうとしていることを把握し、迫りくる恐怖に顔を引きつらせた。
しかしもはや彼らにはどうすることもできない。
“自爆光”
――その光は、ヒーローたちの間ではそう呼ばれている。
怪人が命を散らす間際、たった一度だけ使える最終奥義――。
「サメっちいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ!!!!」
林太郎の絶叫が響き渡る。
「ありがとうアニキ……大好きッス!」
そう言ってニカッと笑った少女の口には、鋭い牙が並んでいた。
………………。
…………。
……。
そのとき、少女の背後で赤い炎が揺らめいた。
「“バーニングヒートグローブ・弱火”ッッッ!!!」





