第二十九話「鮫島冴夜」
林太郎たちはモニターに映し出された大きな地図と対面していた。
地図には赤い点がいくつか表示されている。
「現在、各支部と事務所総出で行方を追っていますがウィ……」
「……手掛かりなしか」
林太郎は苛立ちを隠そうともせず爪を噛んだ。
烈人との決着からすでに数時間が経過している。
しかしいまだに、さらわれたサメっちについて新たな情報は得られていない。
眉毛をハの字にした剣山怪人ソードミナス、剣持湊が、おそるおそる林太郎に話しかける。
「じつは誘拐じゃなくて、ちょっと迷子になってるだけだったりしないか……？」
「いや、それはない。これは計画的な誘拐だ。ヒーロー本部が虎の子のビクトレッドを陽動に使い捨ててくると読み切れなかった俺の落ち度だ。くそっ、どうすりゃいい、考えろ考えろ考えろ……」
林太郎は“自分ならば”この状況をどう利用するか、邪悪な頭脳で思案を巡らせる。
たとえばサメっちを人質として利用し、芋づる式にデスグリーンをはじめとするアークドミニオンの怪人たちを一掃することも可能だ。
極悪怪人デスグリーンと、サメっちこと牙鮫怪人サーメガロは、これまで幾度となくヒーローたちの前にふたりセットで姿を現している。
となればサメっちの身柄は、少なくとも極悪怪人デスグリーンをおびき出す餌としては十分機能すると考えるのが道理だろう。
しかし今現在、ヒーロー本部からアークドミニオンへの接触はない。
つまりサメっちを利用した取引ではなく、なんらかの事情により“サメっちの身柄そのもの”に目的が変わったと考えられる。
「取引材料としてではなく、怪人そのものを利用する施設……まさか」
林太郎の視線の先には、かたわらで心配そうにモニターを見つめる湊の横顔があった。
「あそこか……ちくしょう、行きたくねえなあ……」
その結論を裏付けるように、地図上で神保町を示す赤い点が明滅した。
………………。
…………。
……。
無機質な廊下をひとりの男が速足で歩いていた。
相当に苛立っているらしく、ときおり通信端末に向かって怒鳴りつけている。
「ちょっとちょっと話が違うじゃないの！ あのザコ怪人一匹捕まえるのにどれだけ苦労したと思ってるわけ！？ レッドちゃんだって病院送りになったんだよ！？」
彼の名は、大貫誠道。
勝利戦隊ビクトレンジャーの司令官を務める男であり、林太郎を網走送りにしようとした張本人である。
大貫が管理するビクトレンジャーは極悪怪人デスグリーンの出現によって壊滅的な被害を受けていた。
「あのちっこい小娘を使ってデスグリーンをおびき出す作戦でしょ！？ これじゃ作戦が全部パーだよ！！ なに考えてるのさ君は！！」
ビクトレンジャー全滅までの経緯をたどると、その発端はビクトグリーンこと栗山林太郎の左遷から始まる。
いろいろと政治が働いた結果ではあるものの、その最終決定を下したのは大貫だ。
大貫司令官はいま、責任追及を免れないところまで追いつめられていた。
そこで作戦参謀本部とともに一計を案じ、大貫にとって最後の切り札である烈人を当て馬にするという大胆な誘拐作戦を実行に移したのだ。
すべては憎きデスグリーンを討ち、自身の立場を守るためである。
しかしそれも水泡に帰そうとしていた。
「馬鹿にしてんじゃないよ、君ねえ。僕と僕の家族の生活がかかってるんだよ？ 頼むから考え直してくれよ。ソードミナスの件だって手を貸してやったじゃないか！」
すれ違う職員たちがその剣幕に委縮する中、大貫は地下行きのエレベータに乗り込んだ。
………………。
…………。
……。
薄暗い部屋であった。
窓が無いので今が昼なのか夜なのかもわからない。
少女は乱雑に積み上げられた書類のひとつに目を通してみる。
なにひとつ理解できない言葉がずらりと並んでおり、すぐに頭が痛くなった。
「むう？ バイオ……ゲノムの……についてッス……？」
「興味をいだくのは大変結構です。しかし冴夜には少し早いかもしれません」
部屋には、冴夜と呼ばれた少女の他に、もうひとり女がいた。
お堅いスーツに眼鏡をかけたいかにもキャリアウーマン然とした女性は、牙を生やした少女にコーヒーを差し出す。
「お砂糖は５個でしたね」
「もう大人の女だから砂糖なんかいらないッス！ あばぁー、にがいッスぅ」
「冴夜は本当になにも変わっていませんね。その目も、口癖も、あの日のままです」
「まわりくどいッス。なんで直接会いにこないッスか」
「まともな手段で会えるわけないでしょう。あなたは怪人で、お姉ちゃんはヒーロー本部職員なんですから」
そのとき、部屋に置かれた通信端末に赤いランプがともる。
女が端末を操作すると、すぐに落ち着き払った老人の声が聞こえてきた。
『おい朝霞。大貫がなにやら息巻いていたが、大事ないか』
「はい、守國長官。なにも問題ありません。引き続き拘束した怪人の“監視”にあたります」
『お前がしくじることはないと思うが、あのデスグリーンが怪人を取り返しにくることも考えられる。油断はするなよ、朝霞』
「万全を期しております。ご安心ください」
彼女の名は鮫島朝霞。
ヒーロー本部長官・守國の補佐官を務めている。
そして数年前まで鮫島冴夜、つまりサメっちの“姉”であった。
「報告書を見たときはまさかと思いましたが、上野公園の一件で確信しました。この三年間、ずっとあなたのことを探していたんですよ、冴夜」
３年前、鮫島冴夜が８歳になったばかりのころ。
朝霞は冴夜の姉ではなくなった。
怪人覚醒。
それは誰にでも発症しうる交通事故のようなものだ。
世にはびこる怪人のほとんどは後天的な覚醒によるもの、つまり元・人間である。
そして覚醒したその時点で、局地的人的災害と定義され、人間社会を脅かす駆逐対象となるのだ。
ヒーローたちの活動の妨げとならないよう、人権派団体への方便としてそう決められていた。
周囲の者もふくめ生活は一変し、たとえ家族であっても一切の接触を禁じられる。
どれだけ固い絆で結ばれた姉妹であったとしても例外はない。
「名前で呼ばれると変な気分ッス。アークドミニオンだとみんなからサメっちって呼ばれてるッスから」
「そう、辛い思いをしたようですね。安心してください。これからはまた私と一緒に暮らせます。ここは怪人収容施設ですが、あなたをひどい目にあわせたりはしないよう、職員たちには厳命します」
「アークドミニオンのみんなはいい人たちッスよ！」
「怪人は“人”ではありません」
朝霞はそう言うと、冴夜の頭を優しくなでた。
冴夜は不安そうに姉の瞳を見つめ返す。
「サメっちも怪人ッス」
「そうですね、しかし私の妹です。お姉ちゃんはあなたのためならば、なんだってします。他の怪人が逃げ出そうとも。手駒が何人くたばろうとも。冴夜を幸せにすることだけがお姉ちゃんの正義です」
「お姉ちゃん……」
「怪人どもと一緒にいても、あなたはけして幸せにはなれません。冴夜を守り、幸せにできるのはこの世でただひとり。お姉ちゃんだけです」
そう言うと、姉は妹を優しく抱きしめた。
…………。
そのころ地上ではひとりの男がヒーロー本部庁舎ビル、正式名称“国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部庁舎”を見上げていた。
「さて、どう攻めたもんかね。こいつは骨が折れそうな仕事だ」
彼の名は栗山林太郎。
数日前ここを追い出された男であった。
