第二十六話「決めるのはあんたじゃない」
“絡繰将軍タガラック”
アークドミニオン最古参構成員にして、総統ドラギウス三世と並ぶSSS級指名手配怪人である。
タガラックによって壊滅させられたヒーローチームは全国あわせて2桁にのぼる。
それが林太郎がヒーローとして知りえるタガラックのすべてであった。
ヒーロー本部の資料にもその“容姿”についての情報は一切存在しない。
なぜなら彼女、あるいは彼にとって性別や年齢、人種などは洋服とさして変わらないものだからである。
いまのタガラックの表の顔は、タガデングループ会長の孫娘、多賀くらら嬢であった。
まるでフランス人形のような愛くるしい姿。
特技はピアノとバイオリン、趣味はぬいぐるみを集めること。
好きな花はカスミソウ、花言葉は『清らかな心』である。
「わはは! どうじゃ林太郎、わしは抜群にカワイイじゃろ?」
「おっさんみたいな笑いかたしなければカワイイと思いますよ、ええ」
「そんなこと言わんとほれ! 頭なでてみい! 特別サービスじゃぞ!」
「ワーカワイー、オニンギョウサンミタイー」
「むほほ、そうじゃろう、そうじゃろうて!」
東京で最も高いビルの最上階で、金髪幼女に頭なでなでを強いられる瞬間がまさか訪れようとは。
人生なにが起こるか本当にわからないものである。
「いや、こんなことさせるために俺を呼び出したんですか?」
「おおそれよ。おぬしを怪人にしてやろうと思うてな。優しいじゃろわし」
「怪人に……? 俺が?」
「極悪怪人デスグリーンはサイボーグ怪人となって、わしの絡繰軍団に入るのじゃ!」
くらら嬢ことタガラックはその平坦な胸を、大工の棟梁みたいにドーンと張った。
それを伝えるために、彼女は己の部下を送り込んでまで林太郎を呼びつけたのだ。
「なるほど、そいつが狙いってわけですか」
「そろそろ優秀な駒……部下をひとつ増やしておきたいところだったのじゃ。無論、断れるなどとは思っておらんじゃろうなあ人間?」
タガラックは幼女に似つかわしくない、地獄の窯に罪人を突き落とすような凶悪な笑みを浮かべる。
そう、林太郎はこの幼女の姿をした悪魔に致命的な弱味を握られているのだ。
重苦しい沈黙がふたりの間に流れた。
タガラックの提案は林太郎にとって、人間を捨てることを意味する。
たとえ脅迫を受けようとも、軽々しく決断できることではない。
「迷うようなことかのう? いいことづくしじゃと思うんじゃがのう? よいか林太郎、わしは意地悪で言うとるんではないぞ。サイボーグ化はおぬしにとって三つのメリットがあるのじゃ!」
そう言うとタガラックは無駄に大きな会長机に腰かけた。
「ひとつ目はその体じゃ。デスグリーン変身ギアが肉体にかける負担は、おぬしも知っておろう」
林太郎はその言葉に覚えがあった。
タガラックが魔改造したというビクトリー変身ギア。
通称“デスグリーン変身ギア”はいままでの性能をはるかに凌駕している。
だが当然のことながら、既製品にはそうできなかった理由があるのだ。
ヒーロースーツによる飛躍的な身体能力の向上は、その代償として肉体に大きな負荷をかける。
デスグリーン変身ギアは本来設けられているリミッターを外し、スーツの性能を限界まで引き上げているのだ。
そんなものを継続的に利用して、生身の人間の体が耐えられるわけがない。
「あれは怪人の強靭な肉体あってこその運用を想定しておる。人間のおぬしではせいぜい10分も着れば体がボロボロになろう。じゃが機械の体を手にすれば万事解決チョベリグじゃ!」
「それもうロボの体で戦えばスーツいらなくないですか?」
「むぐっ、それはそうなんじゃけど……いやいや! メンテナンスさえすれば老いることも病むこともないのじゃぞ。ほとんど不老不死じゃ。すごいじゃろー? 百獣軍団の獣どもや奇蟲軍団の虫ケラに同じことはできまいて」
タガラックは鼻でフフンと笑うと、腰に手をあてどうだと言わんばかりに胸を張った。
「ふたつ目は立場じゃな。機械化して怪人となればおぬしは真にアークドミニオンの一員として認められよう。今おぬしの置かれた状況がいかに危険か、それはおぬし自身がもっともよくわかっておろう?」
当然、それは林太郎も考えていた。
ビクトレンジャーと敵対し、ヒーロー本部と物別れした今、林太郎の後ろ盾となりえるのは悪の秘密結社アークドミニオンだけである。
もしこのまま完全に怪人としての人生を歩むというのであれば、極めて不本意ではあるが怪人になってしまうことがもっとも現実的かつ合理的だ。
そして現在の立場を守る上で林太郎が人間であるとことは、タガラックの言う通りアキレス腱となっていることもまた事実である。
本来ならば明確なデメリットとなる怪人化も、林太郎にとっては必ずしもメリットの無い話ではない。
「それは確かに仰る通りですけど。そもそも俺が怪人じゃないことを証明できる手段がないでしょう。俺が怪人態になりたくないと言えばそれまでだ」
「ふぬぅーッ! 悪魔の証明というわけじゃな……おぬしなかなかやるではないかァ……!」
だがタガラックは、林太郎の顔に一瞬浮かんだ迷いの色を見逃さなかった。
タガラックは確信したように邪悪な笑みを浮かべる。
そしてトドメであるとばかりに言葉を続けた。
「ならば心して聞くがよい! これがみっつ目じゃ!」
タガラックが指をパチンと鳴らすと、会長室内の壁がどんでん返しのようにグルリと回転する。
「これは!?」
「うひゃひゃ、そーの顔が見たかったのじゃー」
壁面に並ぶ20体ほどの人形の数々。
否、近くで見ても人形であると気づける者は少ないだろう。
人形たちはそれほどまでに精巧に作られていた。
だが問題はその造形の緻密さではない。
「こいつは……プロ野球の大滝選手!? それにこっちはアイドルの森本ネリカか……!? それにこっちは内閣官房長官……!?」
壁一面を埋め尽くす人形たち。
そこに居並ぶのはみな芸能界、政界、その他あらゆる日本を代表する人物たちである。
その面々たるや、もはや和製蝋人形館といった様相だ。
「それはきゃつらのスペアじゃ。頭の切れるおぬしならば、この意味がわからぬということもあるまい?」
経済界のドン・多賀蔵之介をはじめとする、タガラックが作り出した人形たち。
あるいは自ら望んで“タガラックの人形”となった者たちはすでに日本中のあらゆる場所、人々の生活のいたるところに溶けこんでいるのだ。
それこそが、ヒーロー本部が長年かけても掴み切れなかったアークドミニオンの中核にして正体。
神出鬼没な地下組織が誇る鉄の盾、タガラック率いる絡繰軍団の実態であった。
「なんなら“本物と入れ替わる”なんてこともできるのじゃぞ? なりたい自分になれるというのは、おぬしら人間の最大の願望であろう? ほれおぬしの望みを言うてみい。何になりたい? アイドルグループのセンターか? 天才ミュージシャンか? それとも正義のヒーローか?」
邪悪に微笑む幼女は、もはや誰がどう見ても立派な悪の怪人であった。
古来より悪魔は代償と引き換えに、人の願望を叶える。
それがどれほど醜いものであっても。
「どうじゃ林太郎! 肉体、地位、願望。わしについてくればすべてが手に入るのじゃ。おぬしの夢はすべてわしが叶えてやろうぞ! そうじゃ、体を見繕ってやろう。わしと対になるようなこの黒髪ショートの活発系美少女『めららちゃん』なんかどうじゃ? わしのおすすめじゃぞー」
「お断りします」
「そうじゃろうそうじゃろうて。おぬしもリアルでバ美肉したかろう…………なんじゃと?」
美少女人形のスパッツを撫で回していたタガラックは己の耳を疑った。
驚きのあまり林太郎の顔を見返した勢いあまって、タガラックの首が360度回転する。
「こここ、断る? なぁにを言っとるんじゃ林太郎? おぬしこのチャンスをみすみす逃すというのか? おぬしの夢が叶うと言うておるのじゃぞ?」
回りすぎた首を元の位置に戻しながら、タガラックは机を飛び降りて林太郎に駆け寄る。
タガラックはこれまで気に入った人間を次々と“勧誘”してきた。
そして提案を無下にされたことなど一度たりともない。
断られるなど、あってはならないことであった。
「わかったわかった、いきなり性転換はちょっとハードル高かったのう! それじゃあこっちの超絶イケメン『タツヤくん』ならどうじゃ!? それともこっちの金髪ショタボディ『クリオきゅん』のほうがよかったかのう?」
まるで服を売りつけるアパレル店員のように、タガラックはいろいろな肉体をとっかえひっかえ林太郎に見せた。
しかし当の林太郎は黙って首を横に振るばかりである。
林太郎は額に手をあて少し考えると、背の低いタガラックの視線に合わせるようにしゃがみ込んだ。
「そのご提案だと、俺の夢は叶いそうにないんで」
「そそそ、そんなバカな! おぬしは人間じゃろ? これ以上の夢があるはずなかろう!」
タガラックが見せる夢は、人間の願望そのものである。
この誘惑を断ち切れる人間などいるはずがない。
今回はそれに加えて弱味まで握ってアプローチをかけたのだ。
よもや断られることなど、あるはずもない。
だが、林太郎は続ける。
「もう、誰かに生きかたを押しつけられるのは、まっぴら御免なんですよ」
林太郎が決別したのは、なにもヒーロー本部だけではない。
彼が捨てたのは、ビクトグリーンとしての自分だ。
顔も知らない市民の平和と安全を守り、誰かが勝手に決めた社会正義に殉じるヒーローだ。
「平和も、正義も、悪も、願望も、決めるのはあんたじゃない。俺だ」
そう言うと林太郎は、タガラックにまっすぐ目を向ける。
相変わらず泥沼のように汚れた瞳は、何者にも変えられない黒い決意に染まっていた。
「うぐっ……うぎぎぎぎぎ……!」
いっぽうのタガラックは、怒りを隠そうともせず歯をギリギリと噛みしめる。
タガラックにはたしかに下心があった、しかし半分はよかれと思ってやったことだ。
それをいとも容易く突っぱねられたのだから無理もない。
「いいのかおぬし! わしがおぬしの正体を皆にバラせば、アークドミニオンにいられなくなるのじゃぞ!」
「どうぞご勝手に。それならそれで壊滅させるだけです。もちろんあなたの絡繰軍団も、歯車ひとつ残さず徹底的に潰します。俺がなんと呼ばれていたか、ご存知でしょう?」
この1年たらずのうちに7つの怪人組織を跡形もなく消滅させた男。
“緑の断罪人”はまるで神経を逆なでするかのように、これでもかと悪い笑顔をしてみせた。
もちろん、林太郎の言葉はハッタリに過ぎないのだが。
生来の悪人顔が功を奏してか、その脅迫には妙な説得力があった。
「むぐぎぎぎぎぎ……!!」
「手の内を晒しているのはお互い様ですよ。とくにみっつ目は迂闊でしたねえ。今後の交渉の参考にしてください」
林太郎はそう言い捨てると、タガラックのフランス人形のような頭をぽんぽんとなでる。
「それじゃ、俺はもう行きますね。それともうひとつ、リボンだけは似合ってますよ」
ちょっと惜しいことをしたなと思いつつ。
林太郎は唖然とするタガラックを尻目に踵を返す。
(なんとか首の皮一枚で痛み分けに持ち込めた……か)
正直なところ内心ひやひやしていた林太郎は、タガラックに悟られないよう静かに呼吸を整えて会長室を後にしようとした。
……が。
「待てーぃ! わしは諦めんぞ林太郎-っ!」
そう叫ぶや否や、タガラックは林太郎に飛びかかってきた。
「えええええっ!? すごくいい感じにかっこよくシメたと思ったのに!?」
「うるさーいっ! こんなの無効じゃーっ! インチキじゃーっ! むきぃーっ!」
林太郎は文字通り頭から蒸気を噴き出す金髪幼女によって、ふかふかの絨毯の上に押し倒された。
といっても体重や腕力はタガラックの見た目通り、幼女のそれである。
「おぬしは美少女になるのじゃーっ! そしてわしと一緒にプリチュアをやるのじゃーっ! わしが色白清楚お嬢様枠であるからして、おぬしは元気系褐色スポーツ美少女になれぇーっ!」
「むちゃくちゃだ! 結局それが本音じゃないですか!」
「うるさーい! こうなったら無理やりにでもスク水日焼け跡つきマイクロビキニ美少女に改造してやるのじゃーっ!」
「いやだあああああああああああーーーッッッ!!」
そんな改造手術を受けたらどんな勇敢な戦士でも心がぽっきり折れるに違いない。
タガラックは自身の願望を喚き散らしながら、林太郎にまたがってその胸板をポコポコ殴りつける。
林太郎がいよいよ対応に困ったそのとき。
「そこまでである、タガラック」
地の底から響くような声、それと同時に空間が闇色に裂けた。
夜より暗いその隙間から、黒衣を纏った老紳士が現れる。
そして音もなく林太郎とタガラックの前に立つ。
「“賭け”は我輩の勝ちであるな」
アークドミニオン総統・ドラギウス三世は勝ち誇った顔でそう言った。