第二十三話「元ヒーローの居場所」
ここは日本中のヒーロー組織を統括するヒーロー本部。
正式名称“国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部”である。
「くっそオオオォォォォ!!! 敵に情けをかけられるなんて!!!」
レッドこと、暮内烈人の魂の叫びが、会議室にこだまする。
「それで? 尻尾を巻いて帰ってきちゃったの?」
「申し訳ありません大貫司令官! しかし極悪怪人デスグリーンは俺たちの想定を遥かに超える化け物です!」
もはや広い会議室を使う必要はあるのだろうか。
そう疑問に思えるほど、ビクトレンジャーの規模は縮小していた。
しかし、あの戦闘で深い傷を負ったものの、黄色い男は生きていた。
「あやつは弱いふりをしておったのでごわす! 一筋縄ではいかん相手でごわす! そうでなければこのわしが油断など……はふはふっ!」
ビクトイエロー・黄王丸は全国のヒーローを見ても、頭ひとつ飛び抜けたタフネスを誇っている。
あれだけの攻撃を食らってもピンピンしているというのはさすがであった。
とはいえデスグリーンから受けたダメージは深刻であり、朝からずっとカロリーを摂取し続けている。
「さすがイエローだ! 救急車やドクターヘリに乗せられなくて結局ダンプで運ばれたときはマジで死んだと思っていたぞ!」
「わしを舐めてもらっちゃあ困るでごわす! ヒーローは体が資本、ビクトレンジャー最前線担当は伊達ではないのでごわす! むっしゃむっしゃ!」
「あのさ、カレー食べながら話すのやめない? 僕の服にも匂いつきそうで嫌なんだけど」
会議室はカレーのスパイシーな香りで満たされていた。
「これは申し訳ないでごわす大貫司令官殿! デスグリーンめ、必ずリベンジしてやるでごわす! ごっつぁんです!」
18杯目のカレーをたいらげたイエローは、持参した胃薬をザラザラッと口に流し込んだ。
「相変わらずとんでもない食べっぷりだなイエロー!」
「……ごっくん、ふう。おかげさまで胃薬が手放せんでごわ……す……す……うっ……!」
次の瞬間、イエローの手から空になったコップが滑り落ち、パリンと砕け散った。
ギョルルルルルルルルルルルルルルルルルル!
重機でトンネルでも掘っているかのような轟音が、カレーくさい会議室に響き渡る。
「なんでごわす……? 急に、は、腹の調子が……あっ、おっほお!」
「イエローどうした? イエロー? イエロー! イエロオオオオオオオ!!!」
「漏ッ……漏れッ……んほおおおお出ちゃうううううううううう!!!」
その日、イエローは上司と同僚の目の前で赤ちゃんに戻った。
………………。
…………。
……。
ところかわってアークドミニオン医務室。
長身の乙女、湊が林太郎の傷の手当てをしていた。
「……下剤?」
「正確には脂肪を溶かすダイエットサプリだよ。そいつをイエローがいつも持ち運んでる錠剤とすり替えてきただけさ。すごいんだこれが、一粒飲んだらなにがなんでも30キロは痩せるらしいぞ」
「原理はわからないけど……そんなもの人が飲んで大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないから発売禁止になったんでしょうよ」
林太郎の手には毒々しい色のラベルのビンが握られていた。
“400キロの女性がたった3ヶ月で40キロに! 超強力ダイエットサプリ『ネオナイアガラ瀑布』肛門科が儲かりすぎてアメリカでは発売禁止!!”
「オーバーキルなんじゃないのかそれ……」
「殴ったのはサメっちのぶん、下剤は俺のぶん」
「クリリンのぶんか」
「それ二度と言わないでね……おお、しみる……!」
昨夜の戦闘で林太郎が受けた傷は、思いのほか深い。
ハリテを食らった頬はもちろん、鈍痛は全身に及んでいた。
だが林太郎には怪我をおしてでも問いたださねばならないことがある。
もちろん魔改造されたビクトリー変身ギアのことだ。
内蔵された“デスグリーンスーツ”はその禍々しい容姿の改変に留まらず、性能面においても従来のスーツを圧倒していた。
当然のことながら、そんな得体のしれない代物がまともであろうはずもない。
事実、林太郎の全身をくまなく覆う痛みの原因の九割はイエローの攻撃によるものではなく、デスグリーンスーツの過負荷によるものであった。
「おい林太郎、無理をするな。まだ動かないほうがいい」
「あいにくのんびり寝ていられるご身分じゃないもんでね」
湊に断りを入れて医務室を出ると、林太郎はドラギウス総統のもとに直行した。
サメっちは絶対安静と診断されたので今日はひとりである。
………………。
…………。
……。
林太郎がはじめてアークドミニオンへと訪れた際に連れてこられた、暗黒密教の聖堂のような巨大空間。
目的の人物は、やはりその最奥にいた。
「クックック……フハハハハ……ハーッハッハッハッハ!! ……なんだ林太郎であるか。まあ待つのである、要件はわかっておるぞ」
天を嘲るような笑い声、我らが総統ドラギウス三世は林太郎の顔を見るなり、悪戯っぽくニッと口角を釣り上げた。
「やはり、わかりますか」
「もちろんだとも。ずばり、ビクトイエロー撃破記念祝賀会のタイトルを自分で考えたいのであろう? フハハハハ、やはりそうであろうな! いま着々と準備を進めておる、しばし待つがよい。とりあえず今回は強敵……いや大敵でいこうと思うのだがどうであろうか。ううむ、やはり“大”が多すぎるか……」
「いやビクトリー変身ギアですよ! コレなんなんですか!」
林太郎はビクトリー変身ギアを水戸黄門の印籠よろしく突きつけた。
もちろんそれで“ひかえおろう”する悪の総統ではない。
「うむ、かねてより教導軍団から戦闘員のスーツ改良に関する要望があってな。ちょっぴり仕組みを調べさせてもらったのである」
林太郎のあずかり知らぬうちに、ヒーロー最大の機密情報ががっつり悪の秘密結社に漏洩していたことが判明した。
「タガラックと色々いじくり回したのだが……。なんかその、触っているうちにテンションが上がってしまったのである……フハハハハ! 我輩も男の子であるからして!」
「だからって俺に黙ってやることはないでしょうに」
「ずっと部屋に放置しておったみたいだから、ちょっとぐらいいいかなって我輩思っちゃったのであるもん」
そう言うと老紳士は頬をプウッと膨らませた。
凶悪な眼光でそんなカワイイオーラを出されてもミスマッチ感が逆に怖い。
激辛四川料理にチョコレートソースをぶっかけているようなものだ。
「一応聞きますが、これ元に戻るんですか?」
「なにゆえ元に戻さねばならぬのだ? 林太郎には必要のないものであろう?」
「そりゃあ……そうかもしれませんが」
ドラギウスの言う通り、ヒーローの道を踏み外した林太郎には、もう必要のないものなのだ。
林太郎は昨夜、ついにヒーロー本部との決別を果たした。
だが勝利戦隊ビクトレンジャーという肩書きに、未練がないと言えば嘘になる。
『極悪怪人デスグリーンが相手をしてやる』
勢いであんなことを口走ってしまったが、林太郎は自身の立場を未だに実感できないでいた。
なにせ今まで散々怪人組織を壊滅させ、多くの怪人を正義の名のもとに検挙してきたのだ。
今日から怪人になります、と言ったところで過去が変わるわけでもなければ、これから未来永劫事実を隠し通せるわけでもない。
それになにより、林太郎はそんな都合のいい自分が赦せなかった。
ヒーロー本部と袂を分かったからといって、怪人組織が諸手を挙げて林太郎を受け入れてくれるというわけではないだろう。
いまさら彼らやサメっちにどんな顔で接すればいいというのだ。
そんな心の迷いを見透かしたかのように、ドラギウスは林太郎へと歩み寄る。
枯れ枝のような灰色の手が林太郎の肩に置かれた。
「ククク、意地悪を言って悪かったのである。その“デスグリーン変身ギア”はおぬしが持っておくがよい。人の身であるおぬしには、必要なものであろう。我輩から、ビクトグリーンへの餞である」
「……………………へっ?」
林太郎は言葉を失った。
ビクトグリーンと、ドラギウスは確かにそう言った。
正体を知っていたのか、などと問い正すまでもない。
いや、むしろこの状況で口ごたえができる者など、果たしているのだろうか。
ドラギウスの手はいま、林太郎の肩にかかっている。
ほんの少し指先を動かすだけで、頸動脈を切り裂ける位置だ。
関東圏で随一の怪人組織を支配する長が、宿敵たるヒーローの生殺与奪を握り、餞を贈ると口にした。
別れを意味するその言葉の意味を、理解できない林太郎ではない。
「あ、あの……これには深いわけがありまして……」
なんとか声を絞り出そうとするも、悪のカリスマと称される男の覇気を前に、林太郎の頭に浮かんだ言い訳はことごとく霧散する。
もはや目の焦点すら合わない林太郎を、ドラギウスは相も変わらずニヤリとした笑みを浮かべたまま見守っていた。
そして。
「クックック……フハハハハ……ハーッハッハッハッハ!!」
邪悪な三段笑いが、暗黒の聖堂に響き渡った。
「そう怯えるでない。我輩ちょっとショックである」
ドラギウスはそう言うと、白い眉毛をしょんぼりとハの字にしておどけてみせる。
「言ったであろう。これはビクトグリーンへの餞であると。いまこの場にあやつはおらぬ。そうであろう? 極悪怪人デスグリーンよ」
剣のような目がすっと細められる。
悪の総統は、その肩書きからは想像もつかないほどに温かな笑顔を見せた。
「我輩は秘密結社アークドミニオンの総統として、改めておぬしを歓迎するのである」
その老人の姿と声はまるで、十数年ぶりに再会した旧友のようでもあり、我が子を出迎える父親のようでもあった。
もちろん、そこになんの害意も、邪気も、思惑もありはしない。
ただここが、この居心地のよい魔窟こそが林太郎の居場所であると、そう言っているのだ。
さきほどまで恐怖のあまり泣きそうになっていた林太郎であったが、いまは別の意味で涙が溢れそうであった。
「……いつからご存知だったんですか」
「無論、サメっちを迎えに出したときからである」
「最初からじゃないですか」
「クックック、“緑の断罪人”が左遷されると耳にしたのでな。どうせなら貰っちゃえと思ったのであーる。フハハハハ!」
そんな家電のリサイクルと同じような感覚で拉致されたのかと、林太郎の口から笑みにも似た溜め息がこぼれた。
しかしすっかり手のひらの上で踊らされていたというのに、怒りの感情は湧いてこない。
むしろドラギウスの器の大きさに、いっそ清々しくさえある。
「怪人組織がヒーローをヘッドハンティングするなんて前代未聞ですよ」
「他の組織と同じようなことをしておっては、とっくの昔に壊滅させられていたであろう。“緑の断罪人”にな、フハハハハ!」
「……ええ、当然です」
悪の総統と元ヒーローはそう軽口を交わすと、互いにニヤリと笑いあった。
このアークドミニオンでならばきっと上手くやっていける。
林太郎はそう確信したのであった。
………………。
…………。
……と。
これで話が済めばよかったのだが。
「まあそれでも我輩以外には正体を明かさぬほうが身のためであろう。恨みというものは根が深いものであるからして」
「もちろんそうしますよ。俺だって後ろから刺されたり、寝込みを襲われるのはごめんですから。でも総統以外に俺の“秘密”を知ってる怪人はいないんでしょう?」
「………………………………」
ふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。
「………………………………うむ」
「なんですか、いまの沈黙は」
林太郎の頭の中で、走馬灯が再び回り始めたのであった。