第二百二十二話「百獣の王、襲来」
モニタールームで林太郎が朝霞に大苦戦していたころ。
収容区画で作業する職員たちにはまだ怪人襲来の情報が届いていなかった。
そこではガスマスクを装着した職員たちが、壁にあいた大きな穴を呆然と見つめていた。
なんだおおげさな、たかが壁の穴ぐらいで、と思うかもしれない。
だがそれはこいつが普通の壁であったならばの話である。
ここは人智を凌駕する怪人たちの楽園、もとい強制収容所だ。
脱走を防止するため、壁も扉もなにもかもが過剰なほど強固に設計されている。
はずなのだ。
「厚さ3メートルのコンクリートをぶち破るなんて……」
「戦艦の主砲なみの威力だな。パンチ一発でこれをやったなんてとても信じられん」
「これがビクトレッド、現“エース”の実力か……」
なにを隠そう、この破壊を為したのはビクトレッドこと、暮内烈人その人である。
どういういきさつかはさておき、怪人収容区画に入り込んだ烈人は“内側から”この大穴をあけたのだ。
ヴィレッジの幹部職員たちはすぐさま区画内に昏睡ガスを散布することを決定し、事態の収拾にあたって今に至るというわけだ。
だがここで問題となってくるのが、暮内烈人の動機と処遇である。
「しかし長官代理はなぜこんなことを……」
「おそらく、ここに収容されている怪人たちの惨状を目にして、彼らを外へ逃がそうとしたんだろう」
長官代理に就任した烈人が、怪人に手心を加えるほど情に厚いことは有名だ。
その彼がヴィレッジの真実を目にすれば、どういう行動に出るかは容易に想像できるというものだ。
「ここは上に報告されている“怪人の楽園”とは程遠いからな」
怪人管理保護施設ヴィレッジ。
その実情が非人道的な怪人細胞の研究所であることは、この刑務所のような収容区画を見れば一目瞭然だ。
ガスの効果で昏睡する怪人たちは、誰も彼もひどく痩せ衰えている。
異様なその一体を除いて。
「くっちゃべってないでさっさと直すぞ。こいつがいつ目を覚ますとも限らねえ」
「ほ、本当に近づいても大丈夫なんですよねこれ……」
職員のひとりがおそるおそる“それ”に近づく。
「キュルルルルオオオオオ……」
彼らの目の前に横たわって寝息を立てているのは、体長18メートルにも及ぶ巨体の怪人。
否、怪獣とでも呼ぶべき巨大な異形であった。
全身を覆う鎧のような硬いウロコ、重機のように頑丈そうな顎。
人ひとりなど簡単に丸飲みできそうな、大きな口にならぶ鋭い牙。
誰もが一度は図鑑や絵本で目にしたことはあれど、動く実物を見た者はひとりとしていない怪なる獣。
中生代白亜紀に大陸を支配した陸の王者。
ティラノサウルスが、区画の中心で寝息を立てていた。
正確には、ティラノサウルス型の怪人だが。
「実物を見るのは初めてか新入り? あまり近づきすぎるなよ。そいつはあまり寝相がよくない」
「……眠ってるんですよね……?」
「お前だって寝返りぐらいは打つだろう。踏み潰されたくなかったら好奇心は抑えておけ。それと、ここで見たことは絶対に外に漏らすんじゃないぞ」
そのとき巨大な顔の先端からぶしゅうーーッとスチームのような息が漏れ、新入り職員は思わず腰を抜かした。
相手は自分よりもはるかに巨大な捕食者である、寝息だとわかっていても身がすくむというものだ。
「こちら整備班。モニタールーム聞こえるか、これより内壁の修復作業を行う」
『……ザーッ……ガピピ……』
「なんだ? 無線の調子が悪いな……まあいい、さっさと終わらせよう。ここは臭くてかなわん」
班長の指示のもと、職員たちは穴のあいた壁の修復に取り掛かった。
このヴィレッジ収容区画にはティラノサウルス以外にも多数の怪人たちが収容されている。
いくら痩せこけているとはいえ怪人たちが目覚めようものならば、非戦闘員である職員たちなどひとたまりもない。
だが、彼らにとっての脅威は、中ではなく外にいた。
ズン……!
腹に響くような重い音が、職員たちの鼓膜を揺さぶった。
「なんです、いまのは?」
「地震だろう。よくあることだ、安心しろ。ここはそう簡単に沈みはしねえよ」
だが。
ズン……!
再び振動が彼らを襲う。
今度は誰もが、足元から確かな揺れを感じた。
地震、ではないように思う。
なぜなら音は、すぐ近くから聞こえたからだ。
音のしたほうに、彼らは一斉に目を向ける。
そこにあるのは怪人たちを逃がさないように作られた、鋼鉄の巨大な扉だ。
構造としては扉というよりもダムの水門に近い鉄塊である。
内部で作業を行う際であっても、この扉の開閉は厳しく管理されていた。
ズン……!
音は間違いなく扉から聞こえた。
ぴたりと閉じた大扉が、音にあわせてわずかに揺れる。
何者かが、外から扉を無理やりこじ開けようとしているのだろうか。
いや、開くはずはない。
この扉は片側30tもある特別製だ。
事実、多くの怪人たちを収監しておきながら、これまで一度も破られたことはないのだ。
そう思いながらも整備班長は無線に問いかける。
「モニタールーム、応答願う。収容区画の外部で異常発生、判断を乞う」
『……ザーッ……ガピピ……』
「どうした、応答しろ。なにが起こっている?」
ゴッ……。
そのとき、けして開くはずのない扉から、外の光が差し込んだ。
「ぬうううううううう!!!!」
わずかに開いた隙間から、はちきれんばかりの大胸筋が覗く。
ごわごわした体毛に包まれたその肉体は、野生の熊を彷彿とさせる。
怪人?
いやそんなばかな。
この扉を開くことができる規格外の怪人など、そうそういるものか。
そんな職員たちの希望的観測をあざわらうかのように。
「おおおおおおりゃああああああああああ!!!!」
彼らを守る巨大な扉は、力任せにこじ開けられた。
「うがあああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!」
牙を剥きだし、目を血走らせた野獣が、吠える。
城塞のような筋肉をまとった暴力の化身。
百獣将軍ベアリオンはヴィレッジ収容区画の中を見渡すと、すべてを理解したと言わんばかりにぐるりと肩を回した。
楽園とは名ばかりの、まるでアメリカの刑務所のような地獄。
そこに閉じ込められた怪人たちを見て、ベアリオンの全身からすさまじい殺気が湧き起こる。
「あ、あわ……あわわ……」
「そそ、そんな……そんなばかな……!?」
「ひぃっ、ち、違うんですこれは。僕たちはただの作業員で……」
腰を抜かし、少しでも距離を取ろうと地面を這う職員たちを。
ベアリオンは“ひとにらみ”した。
「あっ、あひゅっ……!」
ただそれだけで半数以上の職員が、下半身をびちゃびちゃに湿らせながら気を失った。
なかには恐怖のあまり呼吸困難となった者もいたが、ベアリオンは気にもかけず地獄へと足を踏み入れる。
そして眠る恐竜の顔に肉球を添えた。
「待たせちまったなあ、ハル」
ティラノサウルスは眠ったまま、キュルルオと小さく鳴いた。
まるでベアリオンを昔から知っているかのように。
「いま、楽にしてやるからなあ」
そしてベアリオンは、血がにじむほどに強く拳を握りしめると。
巨体を大きくのけぞらせ、腕をめいっぱい引いた。
眠る恐竜の顔に、その砲弾がごとき拳を振り下ろさんと。
「お待ちくださいベアリオン様!」
渾身の一撃が放たれようとしたそのとき、恐竜とベアリオンの間にウサミミを生やした影が割り込んだ。