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第二百七話「朝霞の弱点」

 極悪怪人デスグリーンは、死神の徽章(きしょう)が入ったマントをはためかせながら地下廃駅のホームに降り立った。

 竜を象った有機的なマスクが薄暗い地下廃駅のホームでなお、毒々しい緑色に輝く。



 頼りのビクトレッドを蹴り飛ばされ、生身の朝霞はたったひとりでデスグリーンと対峙する。


 先に手酷い拷問を執りおこなった件を踏まえれば、話し合いでの解決は難しいだろう。

 デスグリーンの有無を言わさぬ初手からの完全武装は、明確な敵意の証だ。



「デスグリーン……。やはり今回の詐欺事件には貴方が噛んでいましたか」

「詐欺事件? なんだそりゃ? どうせ俺にフラれたから子分(サメっち)にちょっかい掛けたんだろう。やれやれ、妹相手に節操のないお姉ちゃんだ」

「妹ではありません。知らない人です」


 挑発したつもりが、意図せぬ“お姉ちゃん”を否定され、林太郎の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。



 そんな林太郎のマントの裾が、ひしっと掴まれる。


 振り返ると、サメっちが泣きそうな顔で林太郎の顔を見上げていた。

 まるでいたずらが見つかって親に叱られる直前の子供のようだ。


「アニキ……サメっちのこと、怒りに来たッスか……?」

「……へっ?」

「サメっちがダメっちだからぜつえん(・・・・)ッスか……?」

「一旦落ち着こうかサメっち。話が見えないけど、アニキがサメっちにそんなひどいこと(・・・・・)するはずないだろう?」


 ひどいこと。

 その一言が引き金となったのか、サメっちの目からまたしても大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「びえええええあああん! ア゛ニ゛キ゛ぃぃぃぃぃ!!」

「サメっち、いったいどうしちゃったんだい? ほら、お姉ちゃんも困ってるだろう?」

「お姉ちゃんちなう(・・・)ッスぅぅ! 知らない人ッスぅぅ!」


 林太郎がお姉ちゃんのほうにちらりと目をやると、当の朝霞も当然といった風に「知らない人です」と答える。

 習志野支部の地下で見た冷たい拷問屋の顔ではなく、まるで叱られて意固地になっている子供のように。


「いじわるなお姉ちゃんきらいッス!」

「お姉ちゃんではありません。すでに縁を切りました。貴方が言い出したことです」

「ぴえええええんッスぅぅぅ!!」


 そこでようやく、林太郎は合点がいった。


 ダンボールで作られた剣“ふかひれまる”を見たときから、サメっちが湊や桐華を意識していることには薄々勘づいてはいたのだ。

 問題は、サメっちがなぜ突然ふたりに対抗意識を燃やし始めたのか、ということであった。



「サメっち、お姉ちゃんと喧嘩したのか?」



 つとめて優しく尋ねる林太郎に、サメっちは泣きべそをかきながらこたえる。


「お姉ちゃんが全部わるいッスぅ! アニキをいじめるお姉ちゃんはもうお姉ちゃんちなうッスぅ!!」

「お姉ちゃんは悪くありません。絶縁状を送ってよこしたのは冴夜のほうです」

「サメっちそんなもの叩きつけちゃったの!?」

「ぎゃわあああああんッスぅぅぅ!!!!」



 サメっちはギャン泣きしながら首をぶんぶんと縦に振った。

 その原因となった林太郎の頭の中で、状況がパズルのように組み上がっていく。



 つまるところサメっちの中にあったのは焦りだ。



 原因は、アニキ・栗山林太郎と、姉・鮫島朝霞の明確な対立だ。

 愛するふたりの間で板挟みになったサメっちは、衝動的に自ら姉との絆を断ち切り、林太郎を選んだ。


 しかしこの決断によってサメっちに残された心の拠り所は、アークドミニオン……ひいては極悪軍団だけになってしまった。

 極悪軍団だけが、自分に残された唯一の居場所だと改めて自覚するに至ったのだ。


 しかしそのような折に、湊と桐華が急速に存在感を増した。

 ナンバー2を自称するサメっちが、相対的に立場を追いつめられているように感じてしまったのは当然ことだ。


 お姉ちゃんと縁を切った今、林太郎にまで見放されてしまっては、本当に居場所がなくなってしまう。

 サメっちを突き動かしていたものの正体は、恐怖だ。


 だからなにものにも脅かされることのない確固たる繋がりを欲した。

 結果としてサメっちは、コミュニティにおける自分の存在を守るため功を焦った。


 そうして今回の失態に繋がってしまったというわけだ。



「なるほど。ってことは、原因はまた俺か」

「アニキわるくないッス! アニキをいじめたお姉ちゃんがわるいッス!」



 林太郎はサメっちの頭にぽんと手を置くと、朝霞に向き直った。

 サメっちを苦しめている原因は林太郎と朝霞の、ひいては怪人とヒーローの対立にある。


 ならば決着をつける他に道はないというものだ。



「いいかいサメっち。君のお姉ちゃんが俺をいじめたことは確かだ。だけどお姉ちゃんを責めないでやってくれないか」

「……なんでッスか?」

「なぁに、ちょっとしたじゃれあいだよ。好きな子ほどいじめたくなるって言うだろう? それに……」



 林太郎はそう言うなり、マントの下からずるりと引きずり出した剣を構える。



「俺もいまからお姉ちゃんをいじめるからさ」



 真っ黒な刀身に走る緑のラインが、薄暗い中でぼんやりと輝きを放つ。

 それはじゃれあいと言い張るにはあまりにも殺意に濡れていた。


 相対(あいたい)する朝霞は、まるで構えを取ることもなく棒立ちのままだ。


 距離にしておよそ10メートル。

 デスグリーンスーツの性能をもってすれば、まばたきをする間に埋まる距離である。



「話は済みましたか?」

「いまからつけるところさ」



 緑のスーツの内側から殺意が膨れ上がり、朝霞とサメっちの肌をびりびりとなでる。


 地下の澱んだ空気が、まるで極寒のシベリアのように張り詰め切った。

 次の瞬間。



「やれ、黛!」

「はいっ!」

「ッ!?」


 正面のデスグリーンにすべての警戒心を向けていた朝霞の背後。

 闇の中から投じられた何本ものロープが、正確に朝霞を襲う。


 白銀の髪が、林太郎の呼び声に応えて揺れる。

 縄を操るのは、気配を殺し闇に潜んでいた黛桐華であった。



 それは敵の虚をつく奇襲作戦であった。

 桐華はあらかじめ、林太郎と同じ電車に乗ってきていたのだ。


 極悪怪人デスグリーンという王将を囮に使い、桐華という伏兵で敵の(ぎょく)を討つ。

 本当はビクトレッドを相手にこの手を用いる予定だったのだが、相手が非戦闘員の参謀官であっても手抜かりはない。



 闇に溶け込むよう、黒く塗られた縄が朝霞の体にまとわりつく。



「わははははは、お返しだ! 基地に連れ帰ってたっぷり機密情報を吐いてもらうぞ! やれ、締め上げろ黛!」

「了解しました!」



 桐華が腕を引くと、縄は意思を持った生き物のように朝霞の体にぴっちりと巻きついた――。



 ――かに見えた。



「あれっ?」


 驚いたのは縄を操っていた桐華だけではない。

 林太郎もマスクの下でその目を見開く。



「ご苦労さまです。お久しぶりですね黛さん」



 縄はなにを捕らえるでもなく、はらりと地面に落ちる。


 見間違えたわけではないだろう。

 朝霞を捉えた縄が、そのまま彼女の体をすり抜けたではないか。



立体映像(ホログラム)です。私はこの場にいません」

「な、なんだとぉ……?」



 奇襲などまるで意にも介していないように、立体映像の朝霞はポーカーフェイスを崩さずそう言った。


 考えてみれば当然のことではないか。

 いくら元ヒーローとはいえ、いまや参謀本部長の肩書きを持つ非戦闘員が怪人と直接対峙する場に姿を現すものか。



「ご理解いただけましたか」

「ああ、あんた本当にいい性格してると思うよ」



 林太郎はそう言うと、数歩踏み出してふたりの間に張られていた“糸”に触れる。


 地下の薄暗さに溶け込むよう、林太郎と朝霞の間には細い糸のようなものが張ってあった。

 もちろんただの糸ではない、あらゆるものを切断する特殊繊維のワイヤーだ。



「もし剣で切りかかっていたら、バラバラにされてたのは俺のほうってか」

「おや、ばれていましたか。残念です」



 罠を見破られても、さも当然といった風に朝霞は眉ひとつ動かさない。

 おそらく立体映像や罠を設置したのはビクトレッドだろうが、もとよりあまり期待はしていないといった風であった。



「自分は安全圏から妹いじめか。いけ好かねえお姉ちゃんだ」



 決着をつけることはおろか、剣を交えることすら許さない。

 林太郎には、鮫島朝霞という女がそう言っているように思えた。


 マスクの下で、林太郎は不快感を隠すこともせず舌打ちをする。



「アニキぃ……」



 ふたりの“じゃれあい”が回避されたことで安心したのか、サメっちはマントの裾をふたたびぎゅっと握りしめる。

 この場でケリがつけられないことを悟った林太郎は、視線を朝霞の立体映像に向けたままサメっちの頭をがしがしとなでた。



「サメっち。君のお姉ちゃんはやっぱりとても性格が悪い」



 と、そのとき。




「待ったァーーーーーーーーッ!!」




 闇の奥から暑苦しい声が響いた。


 冷え切った地下空間が、まるで真夏のように温度を上げる。



「朝霞さんの性格が悪いって言ったな! 聞き捨てならないぞ!」



 赤いマスクに闘志をたぎらせる男。

 さきほど林太郎に蹴り飛ばされてホームの端まで吹っ飛んでいった、ビクトレッドこと暮内烈人であった。



「なんだお前、よく生きてたな。悪いがいまはお呼びじゃないんだよ」

「呼ばれずとも悪の前に立ちはだかる。それがヒーローだ! デスグリーン、いまの言葉を取り消せ!!」

「……なに言ってんのお前?」



 自分自身を馬鹿にすることは構わない。

 だが自分の上司を愚弄することは許さないとばかりに、烈人は拳を握りしめた。


「いいかよく聞け! 朝霞さんはたしかに冷たく見えるけど、すごく優しい人なんだぞ! この前なんか1ヶ月ぶりに手料理を作ってくれたんだからな!」

「暮内さん」

「美味しかったですよ、朝霞さんが作ってくれたカップ麺!」



 烈人は赤いマスクの下でニッと笑いながら、朝霞の立体映像に向かって親指を立てる。



「お湯入れるだけですよね。それは手料理って言わないんじゃ……」

「まあ待て黛、もう少し話を聞こうじゃないか」


 林太郎は止めに入ろうとした桐華を押し留めた。

 続きを促されたとばかりに、烈人は続ける。


「朝霞さんは歌も上手いんだぞ! 毎晩お風呂からアニメのオープニングがきこえてくるんだからな! 性格悪い人があれほど綺麗に歌えるもんか!」

「暮内さん」

「俺ダム採点は100点ですよ朝霞さん!」

「そんなことないッスゥ!!」



 朝霞を持ち上げようとする烈人に食って掛かったのは、朝霞の妹・サメっちであった。



「お姉ちゃん自分でガチャガチャ回すの恥ずかしいからって、サメっちにお金渡して回させてたッス! お姉ちゃん性格悪いッス!」

「それがどうしたっていうんだ! 最近は俺がガチャガチャを回してるんだぞ! 朝霞さん、いつでも言ってください。俺、喜んで回しますから! 俺ガチャガチャ回すの好きなんで!」

「暮内さん、そろそろ」



 烈人とサメっちの張り合いは、どんどんヒートアップしていく。



「お姉ちゃん、虫歯怖がって歯磨きしすぎて口内炎になったことあるッス!」

「なんのそのぐらい! ついこの間だって、耳かきしすぎて中耳炎になってたさ! 朝霞さん、綺麗好きなのはポイント高いですよ!」

「料理がへたっぴすぎてマンションにケーサツ来たこともあるッス! 異臭がするって新聞にも載ったッス!」

「ははん! それなら昨日だって干そうとした布団を下に落っことして警察来たもんね! 最近の警察はちょっと神経質なんですよ。ね、朝霞さん!」



 ふたりの討論が白熱すればするほど、地下の空気は冷え込んでいく。

 林太郎には、増していく熱量に反比例して朝霞の体調がどんどん悪くなっているように見えた。


「お姉ちゃん自分は恋愛マスターだって言い張ってるけど、本当は一度もカレシいたことないってサメっち知ってるッス!」

「いいじゃないかそれぐらい! 朝霞さんはそのぶん真面目で仕事熱心なんだから! 仕事が恋人でもいいじゃないですか朝霞さん! 今でも男っ()皆無ですもんね! ねっ!」

「お姉ちゃん友だちもいないッス! 性格悪いから嫌われてるッス!」

「ふっ、甘いな冴夜ちゃん。俺が友だちだもんね! はい論破! 完全に論破! 朝霞さん安心してください。俺がいる限り友だちゼロじゃないですよ! 俺、朝霞さんのこと大好きなんで!」

「暮内さん、撤退してください」



 そのとき、林太郎のスマホにメッセージが届いた。

 差出人はウサニー大佐ちゃんからだ。



『ワレ、盟友ノ奪還ニ成功セリ』



 どうやら囚われていたニャンゾやネガドッグは、無事に救出されたようだ。


 それはそうだろう、本来ヒーロー本部の頭脳として機能すべき作戦参謀本部長様は、いまや苦虫を噛み潰したような顔で頭を抱えている。

 指揮系統が乱れたヒーロー本部に、百獣軍団が後れを取るはずもない。


「ぐぬぬぬぬうううううう!」

「むぎぎいいいいいッスううう!」

「……即時撤退してください暮内さん。これは上官命令です。作戦は失敗しました」

「えええええええええええッ!?」



 子供のようにサメっちと張り合っていた烈人は驚いて我に返る。


 作戦参謀本部から撤退命令が出たということは、遅かれ早かれこの廃駅にも怪人が押し寄せる可能性があるということだ。

 さすがの烈人とはいえ、自分の置かれた状況を理解したのだろう。



「だそうだ。ご苦労さまビクトレッド、悪くない援護射撃だった。もう帰っていいぞ」

「お、おのれデスグリーン! またしても!」

「言っておくが俺は今回なにもしてないからな。これからするんだけ……どっ!」



 林太郎がそう言いながら蹴り飛ばしたのは、小さな機械であった。


 朝霞の立体映像を映し出すために設置された3Dプロジェクターが、映像を出力したままぽーんと線路に投げ出される。


 それと同時に、まるで見計らったかのように地下鉄のヘッドライトが暗いホームを照らした。



「危ない朝霞さん!」

「暮内さん、これは立体映像(ホログラム)です!」

「そうだったああああああああ!! ぶべらッ!!」



 思わず助けに飛び込んだ烈人は、下りの地下鉄に轢かれてそのまま幡ヶ谷方面へと運ばれていった。


 さすがの烈人とて、まともに電車に轢かれたら無事では済まないのではなかろうか。

 そんなことを気にしつつ、林太郎は口をポカンと開けたサメっちに振り返る。




「こっちも撤退だ。さあ帰ろうか、サメっち」




 差し出された手に、サメっちはおずおずと自分の手をのせる。



 林太郎はマスクの下でニッと笑うと、小さな手を強引に引っ張って駆け出した。


 どこまでも深く続く、地下の闇へと。


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― 新着の感想 ―
[一言] さすが、兄貴でいいよね。なんだか、姉が可哀想になってきた。
[一言] ホロなのに1人ダメージを受けるお姉ちゃん良いぞ~w
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