第百七十話「風見正行」
アークドミニオン地下秘密基地、暗黒議事堂。
集められた4人の幹部、そしてその副官たちは一様に神妙な面持ちであった。
極悪軍団からは林太郎以下、サメっち、桐華、湊のフルメンバーが出席している。
それだけ彼らが“目にしたもの”が重要だということだ。
総統ドラギウス三世は己の席に着くと、その刃の如き鋭い眼を幹部たちに向けた。
「みな集まっておるな。ではタガラックよ、説明を頼むのである」
「うむ、まずいことになったのじゃ」
指名を受けたタガラックは頷くと、その小さな手で隣のメイドから差し出されたキーボードを弾く。
すると議事堂の中央に、立体映像が映し出される。
百獣将軍ベアリオンは食い入るように、奇蟲将軍ザゾーマは興味深そうに、その“巨神”の姿に見入った。
「先のヒーロー本部庁舎潜入作戦において、庁舎の中から現れたのがこの超巨大人型ロボじゃ。どういうわけか動かんかったみたいじゃが、わしの見立てではすでに起動可能の状態にあるように思う」
「これがヒーロー本部の新しい秘密兵器だってのかあ……!?」
「うむ、理論上は可能じゃが……まさか本当に作り上げるバカがおるとはのう」
夜間であったため立体画像の状態は不鮮明であったが、兵装や外見はこのさい二の次だ。
驚嘆し警戒すべきは、その圧倒的かつ規格外の巨躯である。
「全長はおよそ200メートル。推定重量およそ30万トン。もし人間同様の速さで走れるなら東京都を1分で縦断できる化け物じゃ。ヒーローと怪人のパワーバランスが崩壊するぞい」
ヒーローたちが搭乗する一般的な巨大ロボのサイズと単純比較しても、高さだけで3倍強という破格っぷりだ。
タガラックの言う通り、これが操縦者の意図した通りに動くとなるとまさしく“巨神”である。
「こりゃあ確かに緊急事態だぜえ……こんなやつが投入されたら、俺たち怪人側にどれだけの犠牲が出るかわかったもんじゃねえ」
「古より連綿と紡がれたるは、神を騙る王これ栄えたるためしなし。父祖は神罰を以て其の大望の悉くを砕きたるものなり。しかれども神の神たるは、如何たるものぞ。虚王、天に住みたるはこれもまた神なれば、神殺しの偉を為すは人の身に余る業なり」
「ザゾーマ様は『早急に手を打つにしても手立てがない。対応は慎重を期すべきだ』と仰っています」
確かに幹部ふたりが懸念を示すように、もしもこの巨神が起動したが最後。
アークドミニオンはおろか、国内のあらゆる怪人の力をもってしても、対抗できる手段はない。
巨大化した怪人のサイズはおよそ60メートル、体の大きなベアリオンでもせいぜい70メートルといったところだ。
この200メートルの巨神からしてみれば、文字通り赤子の相手をするようなものである。
ここ数ヶ月、怪人たちがヒーロー本部相手に善戦を続けてこられたのは、作戦や連携も確かにあるが、何より相手が同規格であったからという点が大きい。
そこにあってかの巨神を相手取った場合、想定される未来はただ一方的な蹂躙のみである。
「……俺たちが手に入れてきた資料には、何か情報はなかったんですか?」
「現在精査中じゃが、ありゃ使いもんにならんな。出前の注文票に、ほとんど中身のない日報、あとはヒーロー学校の卒業アルバムへの寄稿とかじゃな」
「そんな……まさか、情報を狙っていることがバレていたとか?」
林太郎の言葉に、タガラックは首を横に振った。
「いや、意図的に無意味な情報を混ぜておいたと見るべきじゃろうな。新長官はよほど警戒心の強いやつらしいわい。おそらくは、この超巨大ロボ計画もそやつの仕業じゃ」
「しかしそうなると、なぜ連中は俺たちにわざわざ秘密兵器の存在を教えたのかがわからないな……。抑止的な恫喝にしては妙な感じが……」
考え込みながら林太郎がふと隣に目をやると、サメっちが真っ青な顔でカタカタと震えていた。
「どうしたんだいサメっち? 風邪でもひいたか?」
「サササメっちはおまんじゅうのボタンなんか知らないッススス!」
「…………サメっち?」
「ポポポポポチったりしてないッススススス!」
林太郎はそれ以上なにも聞かずに、サメっちの頭にポンと手を置く。
そして澱んだ瞳の奥底で、邪悪な頭脳をフル回転させた。
「なるほど……向こうさんにとっても、今回のお披露目はアクシデントだったってわけだ……」
超巨大ロボ相手に勝機が見えたわけではない。
しかし林太郎は、何か見えない光る糸のようなものを掴んだ気がした。
…………。
明けて翌日、ヒーロー本部新庁舎。
正式名称“国家公安委員会局地的人的災害特務事例対策本部新庁舎”は、すっかり元通りのビルに戻っていた。
外から見上げる分にはまるで、昨日の騒ぎがなかったかのようだ。
しかし会議室では風見長官以下、首脳陣が頭を突き合わせて侃々諤々の議論を交わしていた。
「いやいや、ははは。これは参りましたねえ。少し早い公開なってしまいました」
「コンチキショウが!! なにヘラヘラ笑っていやがるんでぃ! おい風見ぃ! セキュリティが甘ぇんじゃねぇのかぁ、ええ!?」
語気を荒げるのは、顔に深い皺が刻まれた痩躯の老人である。
ピンと伸びた背筋に薄汚れた白衣を身にまとい、枯れ枝のような腕で杖を振りまわしながらまくし立てる。
ヒーロー本部の兵器開発を一手に担う研究開発室室長の丹波星二、かつてアオジャスティスと呼ばれた男であった。
「だいたいよぉ、なよっちぃヒーローを警備にあてるのが間違いなんでい! 聞けばエレベータで長官室に向かおうとして閉じ込められてたそうじゃあねぇかい! 全員クビにしちまえってんだ、そんな奴らはよぉ!」
最古のヒーロージャスティスファイブ、その一角を担った丹波は当然のことながらこの場にいる誰よりもキャリアが長い。
加えて何が何でも我を通す江戸っ子気質のため、彼の発言に異を唱える者はほとんどいなかった。
ただひとりを除いて。
「最近の若いヒーローどもは、どいつもこいつも機械に頼りくさって根性がねぇったりゃありゃしねぇ!」
「彼らに兵器を提供しているあなたがそれを言っちゃったらおしまいですよ丹波さん。ここはどうか抑えてください、ね」
「てめぇ風見よぉ! このオレに盾突くたぁ偉くなったもんだなぁ! えぇおい!?」
「まあまあ、そう仰らないでくださいよ丹波さん。僕もこれで責任ある立場ですから」
丹波の怒りの矛先をのらりくらりと躱しながら、風見長官は柔和に微笑んだ。
白髪まじりの頭はそれなりの年季を感じさせるが、風見は丹波と比べてキャリアに20年近い差がある。
穏やかな物腰が示す通り、現役時代の活躍もパッとしない真性のオフィスワーカーだ。
その風見が丹波に物申したことで、会議室は一触即発のひりついた空気に包まれた。
「この数か月、怪人どもの動きが妙に活発化していやがる。そりゃおめぇ、今のヒーローにゃあ怪人を抑えるだけの力がねえってことだろうがよぉ!?」
「そうですねえ、仰る通りです。では先の長官、守國一鉄氏の任命責任を問いましょうか」
「ぐっ、そりゃあ……いや、守國の野郎はどうでもいいじゃねえか。あいつはもう引退しやがったんだからよぉ……」
守國は丹波とともに50年間、怪人と戦い続けた盟友だ。
いくら引退した元長官とはいえ、彼の名を盾にされては丹波もこれ以上強くは出られない。
その隙を逃さず、風見は畳みかけた。
「僕は僕のやり方で、世にヒーローという名の正義を示さなきゃいけない、それが職務です。けれど丹波さん、あなたがいなければそれも叶わない。引き続き、何卒ご助力をお願いいたします」
「あっ……あたぼうよ! オレを誰だと思っていやがるんでぃ!」
「ありがとうございます丹波さん」
風見長官と丹波研究開発室室長。
立場の上では風見の方がはるかに上であったが、彼は席を立ってまで丹波に深々と頭を下げた。
傍から見れば胡散臭いパフォーマンスに過ぎなかったが、それを受け入れないという選択肢は丹波の中にはない。
お互いにすべて把握した上で、カードを切り合いながら落としどころを探っているのだ。
それがビジネスというものだと、真性オフィスワーカーの風見は誰よりも理解している。
会議が終わるまで、風見は終始にこやかな笑顔を保ち続けた。
「長丁場お疲れ様です。後は僕がやっておきますので」
今後のセキュリティの方針や担当者の処遇などを話し合い、全員が席を立った後も風見はひとり会議室に残った。
椅子を引いたり、灰皿の灰を集めたり、床に掃除機をかけたりと。
本来であれば長官がやるようなことではないが、率先して後始末をするのが風見正行という男のさがであった。
「やっぱりゴミを綺麗に掃除するには、いい道具がなきゃあいけないね……」
誰もいなくなった広い部屋で、誰に語り掛けるわけでもなく、静かに呟く。
「ずいぶんとコストがかかったけど、“神”が起動すればもはやどれだけ怪人が群れようとも意味を成さない。そのためにも、ふふ……“英雄”にはもう少し頑張って寄付金を稼いでもらわなきゃいけないねえ」
その張り付けられた笑みの奥で、どす黒い正義の澱みが渦を巻いていた。