第百六十九話「隠された巨神」
建物全体から地鳴りのような音が響き、長官室が激しく揺れる。
侵入者たちはおろか、ヒーロー本部新庁舎内に残っていた職員たちさえも、立っているのがやっとであった。
「はわわわわ……やっちゃったッスぅ……!」
「くそっ、まさか金庫に警報装置が取り付けられていたのか!? そんなバカな、何度も確認したのに!?」
警報は金庫の開錠とまったくの同タイミングであったため、それがサメっちの仕業だなどと林太郎は知る由もない。
慌てふためく林太郎に、アークドミニオン作戦本部からの通信が飛ぶ。
『林太郎、ビルがなんか変なことになってるぞ! 中は大丈夫なのか!?』
「ああ、こっちは心配ない! ただ作戦の続行は難しそうだ! プランBに切り替える!」
『わかった、すぐに迎えのヘリを向かわせる!』
「頼んだぞ湊!」
林太郎は通信を切ると、部屋の中を見渡した。
桐華はすでにプランB“資料の強奪および極力損害を与えた上での撤退”に向けて、バッグに書類の束を詰めている。
計画を盗み見ることができないならば、情報を意図的に漏洩させて計画そのものを遅滞させるという作戦だ。
「サメっち、机はいい! 金庫を手伝ってくれ!」
「りょりょりょッ、了解ッス!」
「黛! 本棚が終わったら脱出の準備だ、派手にやれ!」
「了解しました」
サメっちと林太郎は、ふたりがかりで巨大金庫の重い扉を引っ張った。
「ふぬぬぬぬぬぬぬぬッスぅぅぅぅぅ!!」
「んぎぃぃぃぃぃぃ!! あ、アバラがぁぁぁ!!」
壁面に取り付けられた扉は音もなく、しかしその重量を十分に感じさせながらゆっくりと開く。
あらわになったその内部は、銀行の金庫のようにちょっとした部屋ほどの広さがあった。
林太郎は壁一面に並ぶ引き出しから、書類の束を中身も見ずにバッグへと放り込んでいく。
この騒ぎだ、人が駆けつけてくるまでそう長くはもたないだろう。
「……おめいばんかい、おめいばんかいッスぅ……」
サメっちは念仏のように間違った四字熟語を唱えながら、大きな引き出しを次々と開いていく。
その中身は試作品らしき武器や、高級感あふれるバイオリンケース、カッパのミイラらしきものなど様々だ。
ひとつだけ妙に重い引き出しの取っ手を握り、サメっちは全体重をかけた。
「むむむッス! ここだけものすごく固いッスぅぅぅ! ……フギャンッ!」
どうやら何かが引っ掛かっていたらしい。
引き出しは勢いよく開き、サメっちは勢い余って金庫室の端から端までコロコロと転がった。
そのままコロコロと元の位置に戻ってくると、サメっちは目を回しながら引き出しの中を覗く。
そこには真っ赤なファイルともうひとつ、黒い布で包まれた長い棒状のものが入っていた。
「はららららッスぅ……ぐるぐる回ってるッスぅ……」
『林太郎、サメっち、キリカ! 職員連中がそっちに向かってる……到達までおよそ30秒! 急いでくれ!』
「はわッス! もうこれにするしかないッスぅ!」
しかし用意したバッグはもうぱんぱんである。
サメっちは棒状の包みをタイツの背中に無理やり差し込み、赤いファイルをその口に咥えた。
「はむむむんッフ!」
「サメっち、引き揚げるぞ!」
林太郎とサメっちが金庫室から飛び出すのと、長官室の扉が蹴破られるのはほぼ同時であった。
「そこまでだ! 泥棒はこの俺が許さないぞ!」
駆けつけた半袖の男は、3人の侵入者の姿を目にすると同時に叫ぶ。
林太郎が熱くたぎったエネルギッシュなその声を聞くのは、ゆうに12時間ぶりのことであった。
警報と謎の振動により、エレベータは止まっている。
烈人は40階建てのビルの非常階段を駆け上がってきたのだった。
「またお前かレッド! どれだけ俺の邪魔をしたら気が済むんだ!」
「その声は……デスグリーン! このヒーロー本部へ盗みに入るとは、なんて面の皮の厚いやつなんだ! そしてなんだその格好は、恥ずかしいと思わないのか!」
「お前にだけは言われたくねえんだよ! 黛、発破だ! やれっ!」
合図とともに、桐華は手にしたスイッチを押し込む。
間髪入れず窓枠に設置された小型爆弾が、一斉に火花を散らす。
ヒーロー本部新庁舎、落成からわずか10日にも満たないその最上階の窓ガラスが粉々に砕け散った。
そして計ったかのように聞こえてくる、大きな回転翼音。
「みなさん! 飛び移ってくださいオラウィーッ!」
窓の外に現れたのは、ザコ戦闘員たちが運転する高速ヘリコプターであった。
暴風が室内に吹き荒れ、床に散乱した書類たちを舞い上がらせる。
「ナイスタイミングだな。十全とは言い難いが仕事は果たした! 撤退するぞ!」
「了解です!」
「はむむぅッフ!」
「くっ! おのれ……逃がすものかデスグリーン!」
制止する烈人を差し置いて、桐華、林太郎の順にヘリからぶら下がった縄ばしごへと飛び移る。
最後に残ったサメっちが、助走を付けて踏み切ろうとしたその瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
再びビル全体が大きく振動した。
踏み切る直前に足を取られたサメっちは、大きく失速する。
「はももももッフーーーッ!!」
「サメっち、掴まれ!!」
林太郎は躊躇することなく、縄ばしごから手を放した。
身体を翻し、重力に引かれつつあるサメっちの手を掴む。
「センパイ!」
同じく縄ばしごに掴まっていた桐華が、腕を伸ばして林太郎の体を掴もうとする。
その指先が肌触りの良いタイツに触れた瞬間、桐華は無我夢中で握りしめた。
ビヨヨヨヨーーーンと、桐華が掴んだタイツのお尻を中心に、伸縮性のある生地がまるでバンジーの紐のように伸びる。
まさに首の皮一枚……いや、タイツの皮一枚であった。
「ふう、タイツに救われましたねセンパイ」
「ちょ待て待て待て! 脱げる脱げる脱げる!!」
「はもも! はむむむッフぅぅぅ!!」
ほとんど宙吊り状態になりながら、林太郎たちは自分たちが先ほどまでいた庁舎の最上階に目をやった。
「なんてやつらだ……くっ、ギアさえあれば……!」
悔しそうに拳を握る烈人の姿が、どんどん遠ざかっていった。
ヘリが離れるにつれて、ヒーロー本部新庁舎の全容が見えてくる。
その光景に、林太郎以下、サメっちや桐華、ザコ戦闘員まで全員が言葉を失った。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………。
中にいたときはまるで気づきもしなかった、しかし。
地上40階建て、高さ200メートルにも及ぶヒーロー本部新庁舎。
それがものの見事に、“まっぷたつ”に割れていた。
だが驚くべきはそれだけに留まらない。
「……なん、だ……ありゃあ……? これが……神保町開発計画の正体だってのか……!?」
林太郎は伸び伸びになったタイツのことも忘れて、思わず感嘆を口にした。
夜の闇に紛れて、異様なシルエットだけが浮かび上がる。
まっぷたつに割れたヒーロー本部庁舎。
その中心に立っていたのは、巨大な人型の影であった。