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第百五十二話「君は少し強くなった」

 霞ヶ関と銀座を焼け野原にしたヒノスメラの暴走から、およそ5時間。

 アークドミニオン地下秘密基地は慌ただしい空気に包まれていた。


「怪我人通りますウィーッ! 道を開けてくださいウィーッ!」

「痛いオラウィ……最期に……またみんなと一緒に赤城の峠を、走りたかったオラウィ……ガクッ」

「しっかりしてください総長! 総長ーーーーーッ!!」

「っしぁぬっんるるっさォンォウ!!」


 ガラガラガラと大きなストレッチャーに乗せられて運ばれていくのは、元北関東怪人連合総長にして、今やザコ戦闘員たちのまとめ役である灰狼怪人バンチョルフだ。

 今回はアークドミニオン総勢400名以上が作戦に参加したということもあり、バンチョルフ以外にも多くの怪我人が秘密基地に運び込まれていた。


「教導軍団の倉庫も開けろ! モルヒネをありったけ持ってこい!」

「おいウサニーよお、お前も耳のとこちょっと血ぃ出てるぞ? ツバつけといてやろうか?」

「はひゅっ!? こここ、これは返り血であります! 小官のことより、ベアリオン将軍の方こそお身体にまた傷が……!」

「ガハハハハ! 向かい傷は男の勲章だぜえ!」


 当然のことながら、狭い医務室に全員が入り切るはずもなく。

 林太郎とドラギウスが初めて邂逅した暗黒聖堂には、今やたくさんの仮設ベッドが並べられていた。

 いかに今回の作戦が、アークドミニオンにとって大がかりなものであったかが窺える。


 しかしさすがは頑丈な怪人たちなだけあって、幸いなことにほとんどの者はせいぜい骨を折る程度の怪我で済んでいた。


 ひとりの重傷者を除いて。


「おい、まだ動くな! さっきまで意識不明だったんだぞ、立ち上がるなんて無茶だ!」

「……悪いね先生。だけどどうしても、今行かなくちゃあいけなくってさ」

「林太郎……」

「頼むよ、湊」


 医者である湊は、患者に無理をさせるわけにはいかない。

 しかし澱んでいながら、どこか芯の通った林太郎の目に湊は弱かった。


「……あの、林太郎……安静に……」

「ありがとう湊! じゃあ行ってくる!」

「ああっ、待っ……! ……はぁ」


 そいう言うと林太郎は、怪我人とは思えないほど飄々とした足取りで行ってしまった。

 相変わらず押されると弱い自分を責めながら、湊は小さくなる林太郎の背中を見送った。



「……ッ! いってぇ……!」



 林太郎は湊がついてきていないことを確認すると、ズキリといたむ脇腹を抑えた。

 肋骨が数本折れている、打ち身も酷い。


 背中から落ちて衝撃を逃がしたとはいえ、生身で50メートルの高さから海面に落ちたのだ。

 さすがに五体満足というわけにはいかなかった。


 しかし林太郎は、けしてその歩みを止めない。

 傷が開こうが、骨が折れようが、そんなものは些事にすぎない。


 (体の傷は後でも治る。だけど……)


 今の“彼女”には林太郎が必要だ。



 野戦病院さながらの暗黒議事堂の隅に、パーテーションで区切られた空間があった。

 その入り口でパイプ椅子に腰かけ腕を組んでいた少女は、林太郎の顔を見ると驚いたように声をあげた。


「あれっセンパイ、もう動いて大丈夫なんですか?」

「あんまり大丈夫じゃないけどね。それでどうだ、サメっちの様子は」

「今のところ取り乱したりする様子はありませんね。バイタルサインも正常値です」


 桐華は白銀の髪を指先で(もてあそ)びながら、淡々と報告を述べる。


 良くも悪くも、他人から距離を置くタイプの桐華をサメっちにつけたのは正解だったかもしれない。

 一見淡白なように見えるが、伏せた瞳や手遊びを止められない様子から、桐華なりに相当気を揉んでいるようであった。


「ありがとう黛、ご苦労さん。……もっと泣いてるもんだと思ってたけどな」

「身体の方は無事ですが、サメっちさんの場合メンタルの方が問題ですね。入るなら覚悟した方がいいですよ」

「ああ、わかってる」


 林太郎は短く礼を述べると、桐華に促されてパーテーションを潜り抜ける。

 ひとつだけ設置された簡素な仮設ベッドの上には、白いシーツのおばけがちょこんと座っていた。


 頭からシーツを被った少女は、入ってきた男を見るなり慌ててベッドに身を伏せた。


 その様子を見つめながら、林太郎は黙ってベッドに腰をおろす。


「…………」

「…………」


 シーツの芋虫と化したサメっちは、ときどきビクッと動くだけで何も話さない。

 ただ小さく聞こえる鼻水をすする音で、林太郎にはサメっちが嗚咽(おえつ)を我慢しているのだということがわかった。


 しばしの沈黙のあと、先に口を開いたのは林太郎であった。


「湊から話は聞いた、助かったよ。サメっちがいなけりゃ、俺は東京湾で魚の餌になってた」


 レインボーブリッジの崩落に巻き込まれた後、ヘリに救助されるまで林太郎の記憶はほとんどない。

 しかしサメっちが“泳いで”林太郎を助けたということは、湊やザコ戦闘員から聞いていた。


 その事実が何を意味するのか、理解の及ばない林太郎ではない。



「ヒノスメラのことだけど……まだ見つかっていないそうだ」



 核心を突いた言葉に、シーツの山がひときわ大きく揺れる。

 林太郎はシーツ越しにサメっちの背中を優しく撫でた。


「アニキ……」


 一言だけ呟くと、サメっちはむくりと身体を起こして林太郎の顔を見た。

 その大きな目にはこぼれ落ちそうなほど大粒の涙が溜まっている。


 それでも声を出して泣き喚かないサメっちの頭に、大きな手が添えられた。

 力強くもどこか温かいアニキの手は、少し震えていた。


「アニキ……ヒノちゃんは……」


 消え入るような声で紡がれた言葉はそこで途切れた。

 林太郎の言葉を待つかのように、沈黙がふたりの間を流れる。



 残酷な沈黙にそっと指を添えるように、林太郎はゆっくりと口を開く。



「……あいつは、煉獄怪人ヒノスメラは、多くの罪を犯した。たくさんの敵を作って、たくさんの人を傷つけた」



 “怪人”とはかくあるものだ、そう林太郎は思う。

 これは元ヒーローである林太郎だからこその感覚なのだろうか。


 そう感じながらも、林太郎は続けた。



「それは……償いきれないほどの悪なのかもしれない。世界に許されない、裁かれるべき存在(もの)だったのかもしれない」



 存在そのものが罪、あらゆるものを傷つけるのは怪人の性だ。

 それを裁くのは数多の個人の総意であり、組織であり、社会正義そのものだ。


 かつての栗山林太郎、ビクトグリーンという男はその筆頭格であった。

 怪人狩りの天才、ついたあだ名は“緑の断罪人”である。



 厳しい言葉に、サメっちの目からは今にも涙が溢れそうだった。


 林太郎はサメっちの目元を、優しく指でぬぐってやる。


 そして小さく息を吸って腹を括った。



「けれど、そんなことは関係ない」



 サメっちの目が見開かれる。



「……どれほどの悪人であっても、罪を犯していたとしても。ヒノスメラは、サメっちにとって大事な友達だった。俺にとってサメっちが大事な妹分であるのと同じように」



 己の過去が、嘲笑(あざわら)うかのように林太郎を見下ろしていた。



 だがそれでいい、そんなやつには笑わせておけばいい。



 今の林太郎の目の前にあるのは、涙を湛えた半月状の大きな目、半開きの口に並んだ牙、世界が悪と断ずる存在(かいじん)

 その罪を背負わされただけ(・・)の、守るべき存在(なかま)だ。


 小さく震える華奢な身体を抱き寄せながら、林太郎は小さく、しかしはっきりと己の言葉を口にした。



「サメっち、俺は君の友達を守れなかった。ごめん」



 その一言が、サメっちの小さくも強い器を決壊させた。



「びええええええええええええええええええええん!!!!」



 耳をつんざくような大声が、暗黒聖堂に響き渡る。

 傷ついた者、手当てをする者、誰しもがその声を耳にした。



 林太郎は思う。

 きっとサメっちはこの声を聞かせたくなかったのだろう。


 自分のせいで傷ついた多くの者たちに、自分の弱さを見せたくなかったのだ。


 だから今の今まで、少女は何もかもを抱えたまま、じっと一人で耐えていたのだ。



「びええええええ!! アニキ、アニキぃぃぃぃぃ!!」

「……本当に強くなったな、サメっち」



 サメっちが泣き止むまで、林太郎はずっとその小さな身体を抱きしめ続けた。



 どれほどの時間が流れただろうか。

 ふと、林太郎の胸元からグウウウという小さな音が響いた。


 見るとサメっちは赤い頬を隠すかのように、林太郎の胸に顔を埋めていた。

 あれだけ泣いたのだ、腹が減るのは当然である。



「ははっ、そういやアニキも腹ペコだ。サメっち、何が食べたい? アニキがなんでも作ってあげよう」

「………………カレー……」


 あえて明るく話しかけた林太郎の問いに、胸元から小さなこたえが返ってくる。


「カレー? カレーが食べたいのか?」

「……アニキのカレーが食べたいッス……エビがいっぱい入ってるやつ……」


 林太郎はふっと笑みをこぼすと、もう一度サメっちの頭を撫でた。




 それと同時に、パーテーションの向こうが急に騒がしくなる。



「こらミカリッキー! あんまり押してはいかんのである!」

「ほほほ、これは失礼をいたしました。ワタクシご覧の通り横幅が他の方々よりも少しばかり広いものでして……」

「横幅っつーか触角が邪魔なんだよてめえ! さっきから顔にチクチク刺さってるんだぜえ!」

「清らかなる水に住まう白魚(しらうお)はその身さえも(つつし)み深く、ただ水面に揺蕩(たゆた)う花びらの如く。金の冠に銀の杖を振るうは、徒花(あだばな)咲き乱れたるが如く」

「ザゾーマ様は『その面の厚さを貫くお前の毛に比べればマシだ』と仰っています」

「んだとゴラあああああッッッ!!」

「おぬしたち落ち着くのである! そんなに押したら倒れるのである! あっ!」


 立てつけてあっただけのパーテーションが、バターンと音を立てて倒れる。

 それに呼応してベッドの周りを取り囲んでいた、四方のパーテーションが一斉に倒れた。


 唖然としている林太郎と、何十人という怪人たちの目が合う。


「「「「「あっ」」」」」


 サメっちの泣き声に呼び寄せられたのか、そこにはアークドミニオン中から怪人たちが集まっていた。


「……その、我輩たちはカレーが食べたかっただけなのである」

「そそそ、そうだぜえ! 覗いてたわけじゃないんだぜえ!? なあ!?」


 怪人たちの中には、全身に包帯を巻いた者や、松葉杖をついている者もいる。

 なんだかんだで自分のことよりもサメっちのことを心配していたのは、林太郎だけではなかったということなのだろう。


 林太郎は溜め息をつくと、やれやれと頭に手を当てた。


「まったく、人づかいの荒い連中だ。俺だって怪我人なんですけどねえ」



 その日、アークドミニオンの地下秘密基地では400人分のカレーが振舞われた。




「あれっ、そういやタガラック将軍は? 作戦の後からずっと見てないような」

「バカ言ってんじゃねえぜ兄弟、ロボがカレー食うわけねえだろ! ガハハハハ!」



 肋骨を折りながらも400人分のおかわりをせっせと盛り付ける林太郎は、姿を見せない金髪幼女のことが少し気になった。


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