第百四十四話「ヒーローの最高峰」
「うおおおおッ! ビクトレッド・フェニックスフォーム!!」
「あれまあ、お空も飛べはるん? ほなこれはどないやろね、“いちひき”」
「俺とバーニングヒートグローブを舐めるな!!」
ヒノスメラの強力無比な火炎攻撃に、烈人は紅の拳で応戦していた。
二度、三度、黒と赤の炎がぶつかり合っては相殺する。
そのたびに高温の熱波が東京の街を揺るがす。
「信じられない……あの化け物を相手にたった一人で渡り合うなんて……!」
「よく見ておけよ新入り、あれがヒーローの最高峰というやつだ」
石を投げ合う古代の合戦に突然戦車が現れたように。
まるで次元の違う戦闘に、周囲のヒーローたちは近づくことすらままならなかった。
ピピピポポポピ。
烈人のビクトリー変身ギアから朝霞司令官の声が響く。
『情報分析室によると、やはり対象は煉獄怪人ヒノスメラと牙鮫怪人サーメガロのハイブリッド体である可能性が示唆されています』
「やはりそうなんですね! 安心してください朝霞さん! 冴夜ちゃんは必ず俺が“保護”してみせます!!」
『……暮内さんだけが頼りです。よろしくお願いします』
烈人はいつもより少し歯切れの悪い上司に「はい!」と元気よく返事をする。
そして熱血教師のように、両腕を開いて無防備に構えた。
「さあ来い、優しく抱きしめてやる! 俺の胸に飛び込んで来ぉーーーいっ!」
「………………………………えっ?」
ふたりの間に、これまでの命のやり取りはなんだったのだと言わんばかりの、ぬったりとした空気が流れる。
当事者たるヒノスメラは、突然戦意を解いた烈人を見て絶句していた。
「どうした! 寂しいならば寂しいと口に出せっ!」
「なんなんこのひと? えっ……なんなん?」
無償の愛を、まるで土俵入りの塩よろしく豪快に振り撒いて敵を誘うビクトレッド。
その姿にヒノスメラはおろか、周囲のヒーローたちからもどよめきが起こっていた。
「あれがヒーローの最高峰……ですか? ねえ?」
「う、うん? きっと何か考えがあってのことなんだ……そうに違いない。俺にはさっぱりわからんが」
「ほうら怖くないぞーっ! お兄ちゃんって呼んでごらーんっ!」
平素は関東ヒーローのみならず出向組からも奇人変人扱いされている烈人であったが、もちろんこれは意図があってのことである。
ヒーロー本部では風見長官判断のもと、すでにヒノスメラの“処分”対応が決定していた。
すなわち抵抗激しく鎮圧及び捕獲困難という名目による、即時抹殺指令である。
参謀本部が機能していない今、ヒーローたちに指示を出すのは仮設司令部である。
名目上長官直属となる地方からの出向組は、司令部の命令に従わざるを得ない。
しかし当該地区担当官に限り、チームによる独自の裁量が認められているのだ。
つまり今のヒーロー本部において、サメっちの命を危険に曝すことなく保護できるのは暮内烈人ただひとりなのだ。
『暮内さん、対象の動きが止まりました、その調子です』
「ほら飴ちゃんだぞーっ! 美味しいホットケーキも焼いてあげるよーっ!」
『今です、畳みかけてください』
「ほほほぉーい! 一緒に踊ろうよ冴夜ちゅわぁん! たっのしいよぉーい!」
サンバの要領で腰を激しく振りながらジリジリと距離を詰める烈人の姿に、さすがのヒノスメラも意図が読めず困惑する。
無事に保護するためまず相手の戦意を削ぐという烈人の作戦は、ある意味功を奏していた。
こと警戒心という点に関しては格段に跳ね上がっていたが。
「なんなんやこれは……!? うちが眠っとった10年の間に、ヒーロー本部に何があったんや……!?」
「いぇーい! えっびばーで、ぷちょへんざーっ!」
「ぷちょへん……ってなんや……? くっ、新手の呪文か……!?」
そのとき、ヒノスメラの頬に一滴の雫が伝った。
彼女が慌てて空を見上げると、日の出を迎えた暗い空からにわかに雨粒がこぼれ落ち始める。
「ちっ……降ってきよった、出直しや……!」
あきらかな不快感に顔を歪め短く舌打ちをすると、ヒノスメラは一心不乱に踊る烈人を差し置いて走り去った。
後に残されたのは、冷たい雨に打たれながら滑稽に踊り続ける“ヒーローの最高峰”であった。
「楽しいなぁー、って……あれッ!? 朝霞さんごめんなさい、逃げられちゃいました!」
『防衛線から対象を退けたのであれば成果としては申し分ありません。引き続き冴夜……保護対象の追跡をお願いします』
「わかりました! バーニングヒートダァーーーッシュ!!」
烈人は小雨のなか煉獄怪人ヒノスメラを追い、赤いブーツで炎の轍を描きながら東京の街を駆け抜けていった。
防衛線を守る地方からやってきたヒーローたちは、その背中を呆然と見つめていた。
「すげぇ、一発も撃たずにあの化け物を撃退しやがった……」
「あれが……東京本部所属チームのリーダー……全国5万人のヒーローの頂点か……」
「ぐすっ、地元でいきがっとったおのれが情けないわ……」
行動はともかく、誰も成し得なかった煉獄怪人ヒノスメラ撃退という実績に、ヒーローたちはその熱い心を震わせる。
否、これで奮い立たねばヒーローにあらず。
戦士として生まれ、戦士として戦い続けてきた彼らは曇天に拳を突き上げ雄たけびを上げた。
「みんな見ただろう! ビクトレッドさんが身体を張って道を示したぞ!」
「ああ、今ここで立たないヤツはヒーローじゃねえ!」
「ちまちま殻に引きこもって、いったいなにが正義の味方だ!」
「総員、ビクトレッドさんに続けぇーーーーーッ!!」
防衛線を構築していた500名からなる出向組のヒーローたち。
地方から集められたがゆえ連携力に劣る彼らであったが、今まさにその心が一つとなった。
誰も彼もがバリケードを乗り越え、ビクトレッドの背を追いかける。
その異常事態に、仮設司令部の指揮官から緊急コールが入る。
『おい、お前たち! なにをやってるんだ、すぐ持ち場に戻れ!』
「ビクトレッドさんの時間稼ぎのおかげで住民避難は完了しました。今こそ防衛線を押し上げて怪人包囲の輪を縮めるべきかと具申します!」
『そんな勝手に……貴様新入りだな!? こたえろ、いったい誰の判断だ!?』
「僕たち全員の判断ですよ」
その言葉に、指揮官は憤慨した。
彼も仮設の司令部とはいえヒーロー本部の頭脳を任された身である。
『このっ……! 地方の新入り風情がぁ……! 減給処分で済むと思うなよ!』
新入りが何か言い返そうとすると、大きな手がそれを押し留めた。
大柄な男が、新入りにかわって通信回線を開く。
「お言葉ですが指揮官殿、凶悪な怪人と身体を張って向き合っているのは我ら現場の隊員です。空調の効いた暖かい司令部にいらっしゃっては、判断が鈍るのも致し方ないかと」
『おっ、お前ナニサマのつもりだーっ!』
「兵庫姫路支部所属、足軽戦隊ゾウヒョウジャー頭領・アシガルレッド! 以下隊員一同、これより前進します!」
アシガルレッドに呼応するように、各所で名乗りの声があがる。
「奈良支部所属、念仏戦隊ナンマイダー、同じく!」
「南岡山支部所属、桃太郎戦隊モモファイブ、右に同じ!」
「西神奈川支部所属、五色戦隊ジキハチマン、激しく同意にござる!」
『お前ら……おまおまお前らぁぁぁ……ぶくぶくぶく』
ヒーローたちの通信端末にバターンという衝撃音と、「君、大丈夫かーい?」と駆け寄る風見長官の気の抜けた声が遠く響く。
ビクトレッドの活躍に端を発する造反劇に、仮設司令部の指揮官はついに泡を吹いて倒れたらしい。
全員が黙って通信回線を切る中、新入りのヒーローは大柄な男、アシガルレッドに頭を下げた。
「ごめんなさい、僕が出しゃばったばっかりに……みなさんまで処分を……」
「おい、新入り」
「ひっ……!」
大きな手が新入りの頭をガシッと掴む。
新入りは殴られるのでは、と身構え体を固くする。
しかし新入りの予想とは裏腹に、アシガルレッドはヘルメットごしに新入りの頭を乱暴に撫でた。
「でかしたぞ新入り! それでこそ戦士だ!」
乱雑ではあったが、そこにあるのは同じ戦士への敬意であった。
新入りはゴーグルの奥で涙を流しながら、ビシッと敬礼をする。
「…………はい!」
「では前進だ、煉獄怪人ヒノスメラを追い詰めるぞ!」
「はいッ!!」
生まれも育ちも違う地方から集まったヒーローたち。
しかし彼らが守るべきは、一つの平和である。
そこにベテランも新入りもないのだ。
…………。
「「「「「えっびばーで! ぷっちょへんざーっ!!」」」」」
廃墟と化した早朝の銀座を、たくさんのヒーローたちがサンバのリズムで踊りながら練り歩く。
彼らに合わせて高さ60メートルの巨大ロボたちも、器用にリズムを刻む。
ベテランも新入りも区別なく、みんなが一心不乱に腰を振っていた。
さながら汚いリオのカーニバル、あるいはトチ狂った阿波踊りのようであった。
「「「「「ヒノスメラちゅわわぁーん! 出っておーいでーっ!!」」」」」
「増えてもうた……! なんやこれ……、新しいヒーロー本部の作戦なんか……!?」
雨に濡れたヒノスメラは、物陰に隠れながらその異様な光景に怯えていた。
おそらくヒーロー大好きな子供たちが見ても怯えることだろう。
「これ以上濡れてもうたら乗っ取りを保てんくなる……。ここは一旦地下に退くしかあらへんか……」
ヒノスメラは濡れて冷たくなった身体を抱いて、封鎖された地下道へと駆け込んだ。
銀座周辺には複数の地下鉄が通っており、地下通路が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
ひとたび入り込んでしまえば、人ひとりを捜索するのは困難を極める。
雨が止むまでの間とまではいかなくとも、少なくとも服を乾かすぐらいの時間は稼げるはずだと、ヒノスメラは考えていた。
しかし――。
「あっ……!」
無人の地下鉄構内に逃げ込んだところで、その身体にまとった陽炎が揺らぐ。
足がからまり、その身体は冷たいタイルの上に投げ出された。
「……しもた……やっぱり濡れすぎてもうたか……」
全身が黒く弱々しい炎に包まれたかと思うと、みるみるうちに背丈が縮んでいく。
わずか数秒後、そこにはもう本来のヒノスメラの姿はなかった。
「んゆ……あれっ!? ここどこッスか!?」
パジャマ姿の少女は、心底不思議そうにあたりを見渡した。