第百三十二話「アンリミテッド迷宮ウォーカー」
深夜、林太郎は消毒液の香りで目を覚ました。
ウサニー大佐ちゃんに思い切り蹴り飛ばされた挙句、気を失っていたらしい。
「うーん、痛ってぇ……」
「起きたか林太郎。まだ動かないほうがいいぞ、さっきまで死にかけていたんだからな」
無理やり身体を起こそうとした林太郎を、湊が優しく寝かしつける。
辛うじて骨こそ折れてはいなかったものの、林太郎の全身には湿布が貼られ、その上から無数の包帯がミイラ男ばりに巻かれていた。
4tトラックを100メートル近く吹っ飛ばす蹴りをまともに受けたのだ。
とっさにデスグリーンスーツを装着していなければ全身を強く打って、原形を留めないほどバラバラになっていたことだろう。
今でさえ生きているのが不思議なくらいだ。
「サメっちは……?」
「ああ、そのことなんだが……」
林太郎の問いかけに、湊は顔を逸らして言葉を濁す。
彼女の視線の先では軍服を着た女が、ウサミミを床にべったりと付けて土下座していた。
「申し訳ないデスグリーン伍長……。すべて私の早とちりのせいだ、如何なる処分も甘んじて受けよう……」
「ウサニー大佐ちゃん……。いや、それはいいんだけど、サメっちは今どこに……?」
「それについてはわしから説明するのじゃ」
白衣をズルズルと引きずりながら、金髪碧眼の幼女がリモコンを操作する。
どういう原理か、空中に映し出された映像には、アリの巣のような地図が立体的に映し出された。
「これは、地下秘密基地の地図……ですか?」
「まあ正確には30年前の地図じゃな。オートメーション化しすぎたせいで勝手にどんどん広がっていっとるから、今はもうどこに何があるかわしにもわからん」
「……まさか」
「察しの通りじゃ。サメっちはこの無限に広がるアークドミニオン地下秘密基地のどこかにおる」
絶望的な宣告であった。
林太郎はかつてこの地下秘密基地で半日間にわたり遭難したことがある。
その際はドラギウスが迎えに来てくれたことで事なきを得たが、その道中は悲惨なものであった。
流れる溶岩の川であったり。
底の見えない奈落であったり。
1メートル先も見えない猛吹雪であったり。
多種多様な怪人の特性に合わせた環境作りがされているとのことであったが、おおよそ子供がひとりで生存できるような環境ではない。
林太郎は医務室の時計に目をやった。
気を失ってからすでに3時間が経過している。
「すまないデスグリーン伍長……すべて私の責任だ、腹を切れと言われれば切ろう……」
「こればっかりはウサニー大佐ちゃんのせいじゃないとは言えないけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないってことはよくわかりました」
包帯まみれの身体で、林太郎はベッドから飛び起きた。
酷い全身打ち身で背中や腕が痛むが、そんなことはもはや関係ない。
シャツに袖を通し、涙のシミがついた緑の上着を羽織る。
「すでに捜索隊も出ておるが、二次遭難の危険性があるゆえ状況は芳しくはないのう」
「無人区域にカメラはないんですか?」
「それよ。林太郎、おぬしが蹴り飛ばされて突っ込んだ部屋は、わしの“個人用サーバールーム”じゃ。おかげさまで映像追跡ができんようになってしもうたのよ。無人区域に入ったところまでは確かなんじゃが」
「まだそんなに奥深くまでは行ってないはずです。捜索隊の指揮系統と編成を教えてください」
ただの迷子とはわけが違う、心してかからねばならない。
腕を組んで苛立ちを募らせる林太郎に、タガラックが更なる追い打ちをかける。
「林太郎よ、捜索の前に伝えておかねばならんことがある。今回のタイムリミットは24時間じゃ」
「なんですって? そんなに早いわけないでしょう」
「サメっちの虫歯の進行速度が異常であることは知っておろう。あの娘はアークドミニオン怪人の中でも飛び抜けた回復能力を有しておるが、その弊害というやつじゃな」
確かに言われた通り、サメっちの虫歯はわずか2日間で歯が欠けるほどに進行していた。
林太郎はたかが虫歯程度で大袈裟なと思っていたが、タガラックの顔は真剣そのものであった。
「進行速度を逆算すると24時間以内に発見して連れ戻さねば、最悪の場合……死に至る可能性もある」
「そりゃあまた……穏やかじゃないですね」
林太郎は立体地図を眺めながら、眉をしかめ唇を噛んだ。
「サメっち、そんなに虫歯治療が嫌だったのか……?」
…………。
地下深くの更に深く、日の光はおろか音さえも響かない地の底に少女はいた。
「ぴえええん……絶対アニキに嫌われたッスぅ……サメっちはいらない子ッスぅ……」
ぺたぺたとスニーカーの音だけが長い長い廊下に響く。
侵入者を防ぐ数多のトラップを、サメっちは奇跡的に回避し続けていた。
「もうアニキに合わせる顔がないッスぅぅぅ……」
林太郎がミサイルばりに蹴り飛ばされた姿を見て、サメっちは子供ながらにおおごとだと背筋を凍らせた。
その責任がウサニー大佐ちゃんを焚きつけた自分にあることも理解していた。
『アニキぃ! 目を覚ましてほしいッス、アニキーッ!』
『……サメっち……うぅ、サメっち……サメっちぃぃぃ』
桐華に抱えられ医務室に運ばれる林太郎は、うわごとのようにサメっちの名前を繰り返していた。
きっとたかが虫歯の治療を拒絶した結果、アニキに大怪我を負わせたサメっちを責めていたのだろう。
自分のせいでアニキが。
そう思うとサメっちは怖くて膝の震えが止まらなくなった。
何度酷い目に遭おうが痛い思いをしようが、最後には笑って許してくれていた林太郎はうわごとを繰り返すのみである。
目を覚ましたとき、いったいどんな言葉でサメっちをなじるのだろうか。
サメっちにとっては虫歯やドリルなんかよりも、アニキに嫌われることの方が何十倍も恐ろしかった。
ベッドに横たわり包帯まみれのミイラと化した林太郎の姿を見たサメっちは、重い罪悪感に苛まれ思わず逃げ出してしまったのだ。
それ以外にどうすればいいのか、もう自分ではわからなかった。
「アニキィィ……ごめんなさいッスぅぅぅ……」
少女は闇の奥深く、深く深くへと涙を流しながら歩き続けていた。
…………。
「なんですって? 先遣部隊からの連絡が途絶えたァ!?」
林太郎は無線代わりの“デスグリーン変身ギア”に向かって聞き返した。
地下秘密基地の無人区域には、すでに百獣軍団と絡繰軍団、そしてザコ戦闘員のタマゴたちで構成される教導軍団から集められるだけの怪人が動員されている。
その総数たるやなんと250名。
アークドミニオン組織全体で動かせる最大戦力のおよそ6割であった。
連絡を絶ったのはその中でも精鋭の百獣軍団猫型怪人部隊10名である。
『闇の中でも目が効く者たちを選抜したのが裏目に出おったわ。どうやらマタタビ地雷を踏んだらしい』
「なんですかそれ!?」
『説明するのじゃ! マタタビ地雷とはその名の通り、作動と同時にマタタビエキスを噴射する対猫型怪人用の……』
「いや、なんでそんなものが仕掛けてあるのかって聞いてるんですよ!」
『わしじゃないもん! わしが作った工事用怪人が勝手に仕掛けたんじゃもーん!』
「それほぼあんたのせいじゃないですか!!」
本部で情報の処理を行っているタガラックのもとには、それ以外にもよくない知らせが山のように届いていた。
犬型怪人部隊はマグマから噴き出す硫黄臭にあてられ壊滅寸前。
絡繰軍団のロボ怪人たちは磁気嵐や猛吹雪の前に動作不良を起こし。
教導部隊のザコ戦闘員たちは言わずもがな、ブービートラップの餌食と化していた。
先行して探索を行っている部隊のうち、比較的損害が少ないのはドラキリカこと黛桐華とベアリオンの直轄部隊のみだ。
『ひんたほう、ひほえるは。わははいである。はめらのふっひゅうはまにはいほうにはいのである』
「カメラの復旧は間に合いそうにないんですね? 総統は無理しないでくださいマジで何言ってるかわからないんで!」
『ひょんぼりである』
ドラギウス総統の空間転移は、カメラなどの正確な位置情報があって初めて使えるのだという。
そもそも歯の治療を受けたばかりで、ドラギウス自身ほとんど役に立てない状況であった。
「予想を遥かに超えた難敵だなこいつは……さてどう攻めたもんか」
「ひゃあああッ、助けてくれ林太郎ーーーッ!」
「し、尻尾を掴むなァァーーッ!」
迷宮を進む林太郎は、謎の触手に絡め取られた湊とウサニー大佐ちゃんを眺めながら途方に暮れていた。