第百三十一話「巨大ドリルの恐怖」
“虫歯”
専門用語では齲蝕とも呼ばれる感染症である。
そのじわじわと浸食するかの如き攻撃は、怪人の強靭な耐久性能を以てしても防ぐことはできない。
だが怪人諸君は心配するなかれ!
秘密結社アークドミニオンには我らがの頭脳、タガラック将軍により生み出された対虫歯用治療専門の怪人が存在する!
白衣の下で怪しく鉄色に輝くボディ、先端が凶悪な形状をした6本のアーム!
そして子供を怖がらせないように創意工夫が凝らされたのだろうが、まったくの逆効果になっている狂気的で無機質な笑顔!
「どうじゃサメっち! これが絡繰軍団製造ナンバー325、歯科怪人デンタドリルじゃ!!」
「歯医者さんはコワクナイヨォ! コワクナァーイ! コワクナァーケケケケケケ!!」
デンタドリルの首がにょろりと伸びて、半泣きの少女にギギギッと笑いかける。
きっと純粋に子供を思う気持ちからそうデザインされているのだろう。
しかし愉快な動きで笑わせようと髪を振り乱し、笑顔を絶やさずゴキゴキと関節を鳴らすさまはホラー以外のなにものでもない。
虫歯の子供たちどころかいい大人ですら本能的な恐怖を覚えるその姿は、B級スプラッタ映画で檻から脱走したクリーチャーを彷彿させる。
「さあ治療をシヨウネ! 悪い歯はドー、コー、カー、ナァァァァァーーーッ!?」
「びえええええええええんっっっッス!!!!」
歯科怪人デンタドリルは腕が鳴るぜと言わんばかりに、6本の腕に備え付けられた巨大な医療器具らしきものをガチャガチャと鳴らす。
そのうちの一つ、顔より明らかに巨大なドリルがギュルルルルイイイイと、不快を通り越して命の危機すら覚える轟音を響かせた。
あんなものを口に突っ込まれようものなら、ちょっとした“手違い”で顔面を丸ごと持っていかれかねない。
「ア゛ア゛ア゛ニ゛イ゛イ゛キ゛イ゛イ゛イ」
案の定ギャン泣きしたサメっちは、林太郎の背中にヒシッとしがみついて離れようとしなかった。
だが当然、他に歯医者さんなどいるはずもない地下秘密基地である。
それにたとえ人間の歯医者さんを連れてきたところで、怪人相手に治療ができるとも思えない。
アークドミニオンにおいてひとたび虫歯に侵されたとあらば、あの恐ろしい機械に身を委ねるほかないのだ。
「サメっちいいかい、覚悟を決めるんだ。ずっと虫歯のままじゃ困るだろう?」
「でも怖いッスぅ……」
「コワクナイヨォ! ギョルルルリリリリリ!! ギヒャヒャヒャヒャ!!」
「びええええええええん!!!!」
「あの……威嚇やめてもらえます?」
満面の笑みで挙動不審にうねうねと動くデンタドリル、彼もサメっちを泣き止ませようと必死なのだろう。
だがはっきり言ってどちゃくそに逆効果である、傍からはただの情緒不安定にしか見えない。
林太郎はサメっちの手を優しく握りしめた。
「サメっちはもう大人のレディーだから怖くないだろう? 痛いのも我慢できるよな?」
「……ううぅぅ……」
見守っていた湊や桐華も、そっと背後からサメっちの肩を抱く。
「安心しろサメっち、治療中は私もついてるからな。なんならずっと手を握っててやるぞ」
「“勇気をもって立ち向かうことが、勝利への第一歩だ”ですよ」
「みんなぁ……」
サメっちはパーカーの袖で涙を拭うと、小さくガッツポーズを取りデンタドリルに向き合った。
そのつぶらな瞳に、もはや迷いはない。
「ででで、デンタドリル覚悟ッス! サメっちはお前なんかに絶対ビビったりしないッスゥ!」
ズバーンと指をさしたサメっちの目は、勇気の炎に燃えていた。
デンタドリルと決闘をするわけでもなければ、覚悟をするのはむしろサメっちの方なのだが。
「いいぞサメっち、その意気だ」
「それじゃあ先に“覚悟ができていない方”から処理するかのう。やれいデンタドリル」
「治療を開始シマス! 治療を開始シマス! とっても危ないので下がってクダサイ!」
タガラックがパチンと指を鳴らすと、デンタドリルの白衣の裾からニョロニョロとたくさんの蛇のようなアームが伸びた。
そしてサメっちや林太郎の身体を掠めてすぐ背後にあるベッドに群がる。
ベッドの上でまるで影に溶け込むようにずっと息をひそめていた老人目掛けて、触手アームが一斉に襲い掛かった。
「ぎゃあああああッッッ! はっ、放せーッ! 放すのであるーーーッ!!」
「イケニエッ! イケニエッ! ウケケケケケケケェーーーーーッ!!」
「竜ちゃああああああんッッッ!!」
サメっちの叫びが医務室に虚しく轟く。
すまき状態にされたドラギウス三世が、サメっちたちの頭上を運ばれていく。
どうやら歯の痛みで怪人としてのパワーを発揮できないでいるらしく、悪の総統はもはや無数の触手アームにされるがままであった。
「やだあああああぁぁーーーッッ!! 我輩まだ死にたくないのであるぅぅぅ!!」
「おぬしちと往生際が悪いぞい。じゃがどうやらここが年貢の納め時みたいじゃのーーーう! うしゃしゃしゃしゃしゃーーーーッ!!!!」
「鬼治療モード、セット! さあ悪い歯はドコカナ? ココカナァァーーーーーッッ!?」
医療用ベッドにぐるぐる巻きに固定されたまま、子供の前であることなど忘れ泣き叫ぶドラギウス。
そしてデンタドリル以上に狂気的な笑みを浮かべる金髪幼女博士タガラック。
巨大なドリルがドラギウスの顔面に突き立つさまは、どこからどう見ても猟奇事件の現場である。
それは虫歯の治療というよりも、むしろ正気を失った錬金術師の人体実験であった。
「はわ……はわわわわ……」
サメっちの目からは急速に勇気の炎が失われ、顔は血の気が引いて真っ青になっていく。
この光景にはさすがの極悪軍団一行もドン引きであった。
林太郎は工事現場の掘削機のようにガタガタ震えるサメっちに、心配そうに声をかけた。
「サメっち……大丈夫かい?」
「………………びっ」
「………………び?」
「びえええええええええええええええええんッスゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
アークドミニオン地下秘密基地中に響き渡る泣き声と共に、サメっちは一目散に駆け出した。
万が一に備えて扉を封鎖していた湊を押しのけ、医務室のドアを勢いよく開き、脇目も振らずに走り去っていく。
「うわあーっ! 待つんだサメっちぃ!」
「あっ、センパイ。また逃げましたよ」
「サメっち戻ってこーいっ! くそっ、追うぞ湊! 黛!」
幸いにも今度は廊下に出てすぐに、青いパーカー姿の背中を捉えることができた。
林太郎は“しめた”と両脚に力を込めて廊下の床を蹴り上げる。
ヒーロー学校では上級学年で短距離走2位の記録保持者であった林太郎である。
いくら相手が怪人だからといって、直線で子供の足に負けるはずがない。
「サメっちぃ、いい子だから戻っておいでぇぇぇッ!」
なるべく怖がらせないよう笑顔を取り繕う林太郎であったが、その下手くそな笑顔はどこかデンタドリルと似たものを感じさせた。
早くも追い詰められたサメっちであったが、その身体がちょうど曲がり角から出てきた一人の影にぶつかる。
「はわぷッス!」
「こらサメっち二等兵、廊下は走るな」
ウサミミを生やした軍服眼帯女子、百獣軍団のナンバー2にしてポンコツ頭脳ことウサニー大佐ちゃんである。
「ウサニー大佐ちゃん助けてッス!」
「むっ、追われているのか? なんだ相手はデスグリーン伍長じゃないか」
「みんなが寄ってたかってサメっちに痛いことしようとするッスゥ!」
「…………なに?」
ウサニー大佐ちゃんの赤い目がスッと細くなる。
「アニキは『サメっちはもう大人のレディーだから痛いのも我慢できるよな?』って言ってたッスけど、アレ絶対痛いヤツッスぅ!」
「おいサメっち、詳しく聞かせてもらおうか」
「体をしばって変な機械を突っ込もうとするんッスよぅ! あんな大きくて太いの入らないッス!!!」
「……なっ、いたいけな子供を縛り上げて道具まで使う……だと……!?」
めらり、とウサミミ女子の身体から黒い炎のようなオーラが湧き立つ。
その顔は怒りで真っ赤に染まり、ウサミミとツインテールが風もないのにばたばたと揺れる。
「大きくて太いのを入れようとした……だと……!?」
「なんかめちゃくちゃ回ってたッス!」
「めちゃくちゃ回っていただとぉぉぉッッッ!!!???」
赤く四白眼に見開かれた目が、いやらしい笑みで迫る男の顔を捉える。
ウサニー大佐ちゃんは静かに身体を落とし、その4tトラックさえも軽々と蹴り飛ばす脚に力を込めた。
「おーい待てよサメっちぃ! あっ、ウサニー大佐ちゃん、サメっちを……」
ようやく追いついた林太郎はウサニー大佐ちゃんの尋常ならざる様子を見て、自身の身に迫るであろう危険を瞬間的に察知した。
「必殺……」
「あっ、これやべ……ビクトリーチェンジィ!!」
「フルパワードロップ蹴兎ォォォォォッッッ!!!!」
爆発的推進力から放たれた飛び蹴りが、一瞬にしてデスグリーンスーツをまとった林太郎を直撃する。
怒りでブーストされた必殺キックは亜音速に達し、その衝撃の余波は廊下の周囲の壁を角砂糖のように砕く。
林太郎もなんとか腕をクロスさせてガードしたとはいえ、その驚異的な威力を真正面から受けピンボールのように弾き飛ばされた。
「……ゥヮァァァァアアアアアア」
「危ないッ!」
後ろから林太郎を追っていた湊と桐華の間を、その緑の身体が弾丸のようなスピードで真っすぐ飛んでいく。
桐華ですら目で追って回避するのがやっとであった。
「アアアアアアァァァァァ…………」
「林太郎!?」
「センパァァァイ!!」
林太郎はドップラー効果を伴って医務室の扉の前も通過し、100メートルはあろうかという長い廊下の端から端まで一直線に翔け抜けた。
衝撃音を耳にした怪人たちがぞろぞろと廊下に出てくる。
彼らがおそるおそる見つめる先では、突き当りの壁に人の形をした穴があいていた。