第十三話「剣山怪人ソードミナス」
林太郎とサメっちは野良怪人“剣山怪人ソードミナス”を追って上野公園を駆けた。
「こっちのほうに逃げたと思ったんだけどな」
「どこいったッスかねえ?」
「探すぞサメっち。あんな目立つやつ、すぐに見つかるさ」
なにせ2メートル近い背丈に加えて、あの見るからに怪しい出で立ちである。
むしろ見失うほうが難しいかと思われた。
「アニキ、あそこッス!」
「うん? あのカップルはクリスマスまでに別れると思うよ」
「違うッス! その手前ッス!」
サメっちが指さす先に、ひと振りのナイフが転がっていた。
先ほどたいやきくんを死に至らしめた凶器と同じものである。
「逃げながら落としていったのか……って! なんじゃこりゃ!」
そこから1メートル間隔で包丁、円月刀、ククリ、カトラスなどありとあらゆる刃物が無造作に転がっていた。
中には刃渡りだけでサメっちの背丈を超えるほどの大業物まであるではないか。
「いったい何本隠し持ってたんだあいつ……」
「あ、いたッス!」
刃物の道を辿って行ったその先、綺麗に刈り整えられた茂みからコートの裾が見え隠れしている。
林太郎たちはまた逃げられないよう息を殺してソードミナスの背後から忍び寄り、一斉に飛びかかった。
「確保ッスゥ!」
「こいつめ、手こずらせやがって!!」
「うきゃーーーっ!!」
林太郎はソードミナスの両腕をガッチリと背後でホールドし、膝をつかせて押さえ込むとサングラスとマスクを剥ぎ取った。
元来怪人の検挙を生業とする林太郎にとって、拘束など慣れたものである。
どれだけ多くの刃物を持ち歩いていようが、背後から四肢を封じられれば抵抗のしようがない。
「うへへ、ようやく捕まえたぞソードミナス。さあおとなしくついてこい。その綺麗な顔が涙と鼻水でドロドロになるまで痛めつけられる前にな!」
誤解しないでいただきたいが、林太郎にとってはこれがいつも通りの仕事風景だ。
しかしこの姿を見て林太郎をヒーローだと思う者はどれほどいるだろうか。
ソードミナスを完全拘束した今の林太郎の顔は、闇から生まれた邪悪そのものである。
さながら生娘をさらって手ごめにしようとたくらむ悪徳奴隷商人であった。
「やだぁーっ! 放せーっ!」
「うはははは、いい格好だなソードミナス。サメっち縄だ、縄を持ってこい! 他にも刃物を隠し持ってないかどうか改めさせてもらうぞ、肉体のすみずみまでじっくりねっぷりとなァ……!」
「ひぃぃぃぃッ! こんなところで辱められて……たまるかーっ!!」
羽交い絞めにされたソードミナスの全身が強張る。
次の瞬間、刃のような緊張感が膨れ上がったかと思うと――。
「アニキ危ないッス!」
林太郎はサメっちによって無理やりソードミナスから引きはがされた。
次の瞬間、林太郎のいた空間、つまりソードミナスの背後を無数の日本刀が刺し貫く。
驚くべきことに、刀はコートを突き破り、ソードミナスの背中から“生えて”いた。
「そそそ、それ以上、私に近寄るなケダモノめっ!」
ソードミナスが手を構えると、分厚い手袋を切り裂きながら大振りの鉈が出現した。
両手に大鉈、背中に無数の刀剣を携えた長身の女。
その怯えきった顔は、すでに半分ほど獣のそれに変化していた。
「私の名をどこで知った? 私のことをどこまで知っている? 公安か? 公安なんだな! くそっ、公安め! どうだ答えろ!」
コートの背中を切り裂きながら、次々と多種多様な刃物が文字通り剣山のように生い茂る。
剣山怪人ソードミナス、本性を現したその姿はまるで外敵を威嚇するヤマアラシのようであった。
「ストップストップ! 悪かったよ、まずは俺の話を聞いてくれ」
「うるさい黙れぇーっ!」
「自分から質問しといてそれかよ!」
林太郎は己の頭めがけて振り下ろされる数多の刃をかいくぐりながら思い出していた。
彼がいくたびの死線を潜り抜け相対してきた存在、怪人とは元来こういうものなのだ。
粗野で、乱暴で、道理が通じず、非文化的で、無関係の人間にも平気で危害を加え、暴力で他を圧する。
それがヒーロー学校で最初に習う、怪人という存在の脅威である。
「俺たちはお前を迎えに来ただけだ。そんなもの捨ててこっちにこいソードミナス」
林太郎はソードミナスをなだめるよう、出来うる限り友好的な笑顔で語りかけた。
ニタァ……。
ここで説明しておこう。
林太郎は笑顔がとても苦手なのである。
どれほど表面を取り繕おうとも、心の根っこの腐った部分が顔に出るのだ。
ちなみにヒーロー学校時代、この笑顔のせいで後輩たちから『毒蛇』と呼ばれていたことを彼自身は知らない。
「ヒィ! こっ、断る! こっちにくるなっ!」
怪人狩りにおいては他の追随を許さない林太郎であったが、保護となると話は別だ。
いかにも小心者なソードミナスの警戒心は、いまやメーターを振り切っていた。
「これ以上近づいたら、けっ、けけ、怪我するぞっ!」
「ちっ……実力行使しかねえってか」
ソードミナスが大鉈を振るうたび周囲に鋭い剣がバラまかれる。
それはさながら、荒れ狂う刃の竜巻であった。
局地的人的災害とはよく言ったもので、怪人は法律上、人ではなく事象に分類される。
ゆえにヒーローとしての職務には本来、怪人との“対話”や“保護”というものは存在しない。
ただ無力化し、可能な限り生きたまま捕らえて収容施設に送るだけだ。
もちろん抵抗が激しい場合は“鎮圧”や“処理”も許されている。
そしてその“鎮圧”こそ、林太郎が最も得意とするところであった。
「最初からこうすりゃよかったな。じゃあちょいと痛い目を見てもらおうか」
怪人という悪しき厄災に対抗する力、それが正義のヒーローの本分である。
その言動と、とてもお茶の間に流せない悪人顔はさておき、林太郎は仮にもたった1年で7つの怪人組織を壊滅させたヒーローなのだ。
加えて林太郎が所属する、あるいは所属していた勝利戦隊ビクトレンジャーは東京本部所属のエースチームである。
この事実は、栗山林太郎が持つ本来のポテンシャルが、全国でもトップクラスであるということを示していた。
「怪人ってのはどいつもこいつも、てめえの“一芸”に頼りきった戦略を立てやがる。だが俺に言わせりゃあ、早々に手の内を晒すなんざ三流もいいところだ」
次々とこぼれ落ちる剣の一本を拾い上げ、林太郎はソードミナスの剣筋を捌いた。
火花を散らしながら、迫りくる刃を器用に弾いて隙を作る。
無限に剣を生み出せる体質を基軸とした、驚異的な手数による攻撃。
それが剣山怪人ソードミナスの、怪人としての特性だ。
なみのヒーローを相手にする分には、非常に高い牽制効果を発揮するであろう。
だがそうはならなかった。
ソードミナスは十数本の剣を振り回しながら、信じられないといった表情を浮かべる。
刃の嵐をたった一本の剣で凌ぎきり、一歩も退かない林太郎の姿に、剣山怪人は本能的な恐怖を覚えた。
「くっ……! なにそれぇ!? どうなってるんだよぉーーーッ!?」
「三流のザコには一生わからないだろうよ」
これだ、これこそが栗山林太郎という男の本性だ。
怪人たちに囲まれて祀り上げられている極悪怪人デスグリーンは偽物である。
柄を握った手のひらから伝わる硬い感触に、林太郎は自分自身のヒーローとしての矜持を思い出そうとしていた。
「こいつが俺のやりかただ」
「ひぇぇぇぇぇぇっ!」
林太郎の鋭い反撃がソードミナスに届かんとした、まさにそのとき。
「待ってほしいッスーーッ!」
凶刃が、ソードミナスの首筋に触れる直前でピタリと止まった。
「サメっちたちも怪人ッス! ソードミナスを助けに来たッス! ね、ね、アニキ! そうッスよね!?」
サメっちの言葉に、林太郎は自分の置かれた立場を思い出す。
今の林太郎が為すべきことは、懲悪ではなく怪人たちの調査だ。
「……ああ、そうだ。俺たちはお前を保護しにきた、仲間だよ」
林太郎の剣から濃密な殺気が霧散する。
それと同時に獣と化したソードミナスの顔が、みるみるうちに元の人間の顔に戻っていった。
「それ……ほんと?」
「本当さ。俺たちは秘密結社アークドミニオンの遣いだ」
「……公安じゃなくて?」
「公安のほうがよかったか?」
お忘れかもしれないが栗山林太郎はまごうことなき公安、ヒーロー本部の職員である。
今は怪人デスグリーンという、世を忍ぶ仮の姿をまとっているだけだ。
「な……」
ソードミナスの手から鉈が滑り落ちる。
「なまら怖かったよおおおおおお!!!!!」
そう叫ぶとソードミナスは大声でわんわんと泣き出した。
背中からたくさん生えていた剣が、ガシャンガシャンと盛大な音を立てて周囲に散らばる。
林太郎は自分の手にいまだ握られたままの剣を見つめていた。
その刀身には、ヒーローとも怪人ともつかない澱んだ瞳が映っている。
「一件落着ッスねアニキ。……アニキ? どうしたッスか?」
「いや、なんでもないよ。行こうかサメっち」
とどめを刺そうとしたあの瞬間、サメっちの叫び声よりも前に、林太郎の剣は止まっていた。
(怪人に手心を加えた? ……この俺が? ……ばかばかしい)
林太郎は頭をよぎるささやかな不安と一緒に、剣を公園の池に捨てた。