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第百四話「深淵の遭難者」

 アークドミニオンの地下秘密基地は、新宿(しんじゅく)駅と梅田(うめだ)駅と横浜(よこはま)駅を全部足して3乗してもまだ足りないほど複雑に入り組んでいる。

 これは日本のGDPのおよそ10パーセントを占める“タガデングループ”の豊富な資金力を背景に、何十年という歳月をかけて拡張工事を続けた結果である。


 全体の九割以上は無人区画が占めており、地下という陰気な条件も重なって不気味な噂は後を絶たない。


 そんな真っ暗な廊下の壁を、懐中電灯の頼りない明かりが照らし出す。


「ねぇチータイガーくぅん、なんだかここら辺って気味が悪ぅい」

「そうやって怖がってるアルマジコもかわいいぜぇ~」

「んもぅ~、チータイガーくんのいじわるぅん! もう帰ろうよぅ!」

「そんなこと言わずにさぁ、もうちょっと行ってみようじゃぁ~ん」


 まるで人が寄り付かないということで、逆に若い怪人たちにとっては絶好の逢引(あいび)きスポットとなっていた。


「そういや知ってるか? 10年前にさ、この地下で女がひとり遭難して行方不明になったって話……」

「えぇ~、なにそれ怖ぁ~い!」

「みんなで必死に捜したけど結局見つからなくってさ……その女は今でもこの地下をさまよい続けてるんだって……」

「やだやだやだ超怖ぁ~い! アタシもう無理なんだけど~!」


 女の子怪人はキャーッと縮み上がって男の腕に抱きついた。

 もちろんチータイガーの話は事実無根の噂話であり、アルマジコも本気で怖がっているわけではない。


 こういうものは言ってしまえば様式美(ようしきび)、いちゃつくための予定調和である。


 チータイガーは懐中電灯を床に置いて、アルマジコのガッシリとした頑丈な腰に手を回した。


「大丈夫、俺がついてるよアルマジコ……」

「チータイガーくぅん……しゅきぃ~……!」


 ふたりは無人の地下道で、湿った吐息さえはっきり聞こえるほどの静寂を楽しんでいた。

 自然と求めあう唇を重ね合わせようとした、まさにそのときである。



 カッシャーン! カラカラカラ……。



「「ひっ!?」」


 とつぜん闇の奥から響いた大きな金属音に、若い男女は背筋(せすじ)を凍らせる。

 音は(まぎ)れもなく、誰もいないはずの廊下の奥から聞こえてきた。


「い、いまのなぁに……?」

「ネズミかなにかだろ……」


 噂話はあくまでも噂話である、本当に遭難者の霊などいるはずがない。

 チータイガーは自分にそう言い聞かせて、ネコ科特有の獣耳を澄ます。


 そしてはっきりと“聞きたくないもの”を聞いてしまった。



「……しくしく……しくしくしく……」



 それは、女のすすり泣く声であった。


 アルマジコにも聞こえたらしく、ふたりはお互い真っ青に染まった顔を見合わせた。

 色っぽく腰に回した手も、いまや指先が肉に食い込み痛いほどである。


 チータイガーは震える手でかろうじて懐中電灯を拾い上げ、一寸先も見えない廊下から影を取り払った。



 弱々しい光の円の中、廊下のずっと先に、無機質な地下道ではありえない生物的な曲線が映し出される。



「ひっく、ひっく、うえええぇぇぇぇぇん……」



 それは真っ赤なコートを羽織った、長い黒髪の女であった。



「「ギャーーーーーーーーーーッッッ!!!!」」


 男女の大絶叫が、どこまでも深い暗闇に響き渡る。


「出たッ! 出たッ! 出たァァァーーーーーッッ!!」

「待ってぇチータイガーくぅん! うわ速ッ! 待ってよぉ~~ッ!!」


 若いカップルは来た道もままならず、闇の中をほうほうのていで逃げ出した。




「うぅぅ……りんたろぉ……」




 あとに残されたのは遭難者の霊……もとい傷心の(みなと)である。

 もちろん幽霊などではないが、遭難者というのはおおむね合っていた。


 もはや帰り道もわからないが、めそめそ泣き続ける湊に遭難しているという自覚はない。

 哀しみの(ふち)で我を忘れ、ただ漠然(ばくぜん)と迷宮じみた地下通路をさまよっていた。



「うぇぇぇぇぇぇん……寒いよぉぉぉ……」



 果たして寒いのは身体(からだ)か、心か。



 そのときどこからともなく、カツカツという固い足音が響きわたる。

 音はまっすぐに、迷うことなく湊のほうへと向かってきているようだった。


「おい、そこの貴様」

「ふぇぇ……?」


 湊は不意に背後から強い光を浴びせられ、声をかけられた。


 振り返ると、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が強いライトの光に照らされる。

 その光源は懐中電灯ではなく、拳銃に取り付けられたフラッシュライトであった。


 声の主はすぐさま銃口を下に向けると、驚いたように湊の肩を掴む。


「……貴官は、ミナト衛生兵長ではないか。こんなところでなにをしている」


 闇の中から現れた人影は、軍服をまとい頭にウサミミを生やしていた。




 ………………。


 …………。


 ……。




 いっぽうその頃、林太郎たち極悪軍団一行(いっこう)は、本日4度目となる緊急出動命令(スクランブル)辟易(へきえき)していた。


 サメっちと桐華(きりか)は、いぶかしげに店内を見渡す。


 店に掲げられた看板には『Kemo西新宿(しんじゅく)』と書かれていた。

 言わずもがな、アークドミニオン庇護下の怪人が経営する駅前のバーである。


 もちろん表向きはごく一般的な店舗を装っており、相手にする客も普通の人間だ。


「また空振りッスぅ! いったいどうなってるんッスか!」

「そもそも要請を受けて出動しているはずなのに、通報者の影も形もないというのはおかしな話ですね」


 店主からSOSコールが入ったのは、つい15分ほど前の話だ。

 しかしいざ林太郎たちが現場に踏み入れてみると、店内はすでにもぬけの(から)であった。


 時刻は日が落ちてさほど間もなく、開店準備中であったと思われる。


「争った形跡はほとんどないか……酒の瓶が割れているぐらいだな。アルコールがほとんど飛んでないところを見ると、ついさっきまで人がいたのは間違いない」


 林太郎は店内に残された痕跡を探りつつ、仮説を立てる。


「状況から察するに、“また”何者かに連れて行かれたってところか」


 仲間の怪人から助けを求める緊急通報を受けたのは間違いない。

 しかし現場には残されているのはわずかな手掛かりのみであった。


 奇妙なのは、それが今日出動した他の3件とまったく同じ状況であるということだ。


「レジに金が入ってる。物取りでも金銭目的の誘拐でもないとなれば……こりゃ十中八九、ヒーロー本部の仕業だな」

「おぉ……アニキ探偵みたいッス。かっこいいッス!」

「センパイならば当然です。ヒーロー学校では必修科目として刑事捜査も……むぐぅ!」


 林太郎は慌てて桐華の口をふさいだ。


「よぉし(まゆずみ)。センパイをヨイショしてくれるのは嬉しいけど、うかつなことは口にするんじゃあないぞ」


 桐華は了解しましたとハンドサインでジェスチャーを出し、コクコクと首を縦に振った。


 元ヒーローであることが露呈(ろてい)すると、芋づる式にいろんな嘘がバレて命の危機にさらされるということを、改めて説明しておいたほうがいいかもしれない。

 そんなことを考えていた林太郎の視界に、なにか白い布のようなものが入った。


 拾い上げてみるとワイシャツのようであった。


「これは……バーテンの服か……?」


 服は乱雑に脱ぎ捨てられ、バーカウンターの下に放置されていた。

 否、隠されていたと言ったほうが正しいだろう。


「まだ温かいッス。ここで脱がしていったんッスね。わかったッス、犯人はえっちッス!」

「さすがサメっち、なかなかの名推理だ。けどその線はないかな、表は駅前で人通りも多い。裸に剥いて連れ出そうもんなら騒ぎが大きくなるだけだ。それに……」


 ワイシャツのボタンは、すべてとまっていた。

 脱がすことが目的ならば、ネクタイだってわざわざしめ直す必要はない。


 つまり忽然(こつぜん)と“中身”だけが消えた、ということになる。

 それも林太郎たちが出動要請を受けて到着するまでの、ほんのわずかな時間で。



 デンデンデンデンデンデンデンデン。



 まるであつらえたかのように、ホラー映画風のBGMが店内に響き渡る。


「はいもしもしッスぅ? え、またSOSッスか? ……場所は……」


 サメっちが受け取った電話は、本日5度目の緊急出動命令であった。

 言葉にできないとても嫌な予感が、林太郎の脳裏をよぎる。


「サメっち、次はどこだって?」

前橋(まえばし)支部……ベアリオンのオジキのところッス」


 林太郎は眉間にしわを寄せた。

 やはり嫌な予感ほど的中してしまうようだ。


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