第十話「対決、ビクトレンジャー」
ビルの屋上に設けられた“ムーンシャイン水族館”は、今やヒーローと怪人の決戦の場へと姿を変えていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。なに言ってるんだ、俺だよ、ビクトグリーンだよ」
「貴様がその名を口にするな! それに貴様が極悪怪人デスグリーンであるという証拠もある!」
レッドはそう言い放つと上着から1枚の航空写真を取り出した。
そこにはあの日、廃工場で爆弾を捨てた後、車に乗り込もうとする林太郎とサメっちの姿がバッチリ写っているではないか。
ブルーが上空100メートルまで吹っ飛ばされたとき、あの現場にいたという動かぬ証拠である。
「たしかにそれは俺だけど、誤解だ。アレは事故だったんだ」
「馬鹿を言うな! グリーンは救いようのない正真正銘のクズだったが、仲間を傷つけるような男じゃない!」
「グリーンは男の風上にも置けない陰険なド外道でごわしたが、仲間は大事にしていたでごわす!」
「そうよ! グリーンくんは地味で性格破綻者で人間の心の汚い部分だけを寄せ集めたヘドロ溜まりのような目をしていたけれど、仲間想いだったわ!」
さいわいなことにビクトグリーンとしての栗山林太郎は、すこぶる仲間を大切にする男だと思われていたらしい。
そして当の仲間からの評価があまりにも無慈悲であったことが今しがた判明した。
「なぜなんだ! 俺は俺だ、信じてくれよぉ!」
「女児をかどわかすような下衆の言うことを信じられるものか」
「かどわかされてるのはこっちなんだよぉ!」
林太郎の必死の懇願に耳を傾ける者はおらず、ただ人徳のなさが悔やまれた。
人望不足については本人の素行によるところが大きいが。
「なに生っちょろいことやってんの。こんなやつさっさと片付けちゃいなさい……よっ」
言うが早いかピンクの弓から、林太郎の心臓めがけて矢が放たれた。
すんでのところで回避した林太郎は、サメっちを抱えて転がるように水槽の陰へと逃げ込む。
「あっぶねぇ! 当たったらどうすんだよクソピンク!」
「当たったところで死にはしないわよ、怪人なんでしょ」
そう、極めて頑丈な怪人の肉体ならば、この程度で致命傷を与えることはできないだろう、怪人ならば。
対怪人武器の殺傷力は極めて高く、もし生身の人間に直撃した場合、致命傷で済めばラッキーである。
こんなものを、なんの躊躇いもなく撃ってくるなんてどうかしている。
「待て、待ってくれ! なんで撃つんだよピンク! 頼むから俺の話を聞いてくれ」
「アンタ、まだわかってないみたいだから教えてあげるけどさあ……」
ピンクは新たな矢を“アルケミストライクボウ”につがえながら言葉を続ける。
「正直、アンタがグリーンを始末してくれて感謝してるのよね」
「……へっ……?」
「アタシ、目上の年長者を敬わないやつって嫌いなの」
ピンクの言葉に、林太郎は耳を疑った。
ここで説明しよう!
ビクトピンク、桃島るるはビクトレンジャーの紅一点、研究開発室あがりという異色の経歴を持つ才媛だ。
そして同時にチームの“最年長”という、いわゆるお局様である。
しかしその実力は折り紙つきで、林太郎がビクトレンジャーに加わるずっと前からチームを支えてきたという実績があった。
だが林太郎は知っている。
この女が報告書を勝手に書き換えて、怪人撃破数を林太郎のスコアからチョロまかしていたことを。
冬のボーナス査定前に気づいた林太郎が改竄を指摘したところ、猛烈に逆ギレされたことは記憶に新しい。
「ようするにアンタが仮に本物だろうが、正真正銘の怪人だろうが、ここで死んでくれるならアタシにはメリットしかないわけ。わかる?」
ひょっとしたら本物かもしれない、だとか。
敵だとわかっていても仲間の姿をしたやつを撃つなんてできない、だとか。
そういった仲間ならではの感情は、少なくともこのビクトピンク、桃島るるには一切ない。
彼女の判断基準はただひとつ、己を利するか、否かだ。
「チクショウ! あいつ本気で俺を殺る気だ」
「アニキひょっとして作戦失敗ッスか!?」
「大失敗だよ!」
もはやこの期に及んで、栗山林太郎は弁解の余地なくビクトレンジャーの敵だ。
腕の中で林太郎を見上げるサメっちの顔にも、不安の色が窺える。
先ほどお土産コーナーで買ったサメ型の水鉄砲を握るサメっちの小さな両手は、かすかに震えていた。
そのとき、林太郎の邪悪な頭脳にドブ色のひらめきが走った。
「どどど、どうするんッスかアニキ!」
「ここは俺に任せろ。サメっちの協力が必要不可欠だ、できるな?」
アニキの言葉を聞いた瞬間、サメっちの顔がパァッと明るくなる。
「任せてほしいッス! サメっちなんでもやるッス!」
「頼もしいぞサメっち。よおし行ってこーーい!」
林太郎はサメっちの軽い身体を抱え上げると、ビクトレンジャーに向かって放り投げた。
「あーーーれーーーッスーーーッ!!」
「ちょっ! 危ないッ!」
ピンクは慌てて飛んできたサメっちの身体を受け止めた。
その豊満な胸元に、サメっちの頭がボッフンと埋まる。
「おおおおおッ! うらやま……いたいけな幼女を放り投げるとは、なんという鬼畜だッ!」
「ぬううううッ! 眼福……否ァ! 怪人の風上にも置けぬ悪鬼がごとき所業でごわすぅッ!」
レッドとイエローが怒りをあらわにする。
だがその視線はピンクの胸元に釘付けなのであった。
「役に立たない男どもね。……ねえアナタ、大丈夫?」
「すきありッス!」
ピンクが心配そうにサメっちを覗き込んだ瞬間、その顔に向かって水が放たれる。
サメっちが手にした水鉄砲により、ピンクは至近距離からの連射を顔面に受けた。
「うわっぷぷぷぷ! なにすんのよ、ビショ濡れじゃない!」
まだ変身していなかったこともあり、上から下まで濡れそぼるピンク。
水槽を破壊してしまうことを懸念してビクトリー変身ギアを使わなかったことが、ここにきてアダとなったかたちだ。
全身しっとり水分を含んだシャツが、ピンクのわがままなボディラインをあらわにする。
「大丈夫かピンク! その、なんというか、すごっ、すごいな……」
「おちおち、落ち着くでごわすレッド! これはわしらの心を惑わす策にごわす」
「くそっ、なんて卑怯なんだ! 俺としたことが……目を逸らすことができないっ……」
「くうう、敵の策にまんまとハマってしまったでごわす! 自らの意思に反してピンクの肢体をガン見してしまうのも仕方ないことなのでごわす!」
「ざっけんじゃないわよっ!!」
鼻の下を伸ばすレッドとイエローに、ピンクが吠えた。
ほんの数秒ではあったが、生じた混乱によりビクトレンジャーの意識が林太郎から逸れる。
「よくやったぞサメっち、あとはよろしく……!」
林太郎はその様子を見届けるやいなや、そろりそろりと後退をはじめていた。
ビクトレンジャーたちの隙を作りつつ、サメ怪人を捨て駒にする。
まさしく一石二鳥、林太郎の作戦は完璧であった。
林太郎に見捨てられたとも知らず、サメっちは作戦成功とガッツポーズを決める。
だがこの瞬間、誰もあずかり知らぬところでとんでもない異変が起きていた。
ポトッ……。
濡れそぼったピンクの足元に、なにやら黒い毛虫のようなものが落ちる。
「ピンク……! その顔……!」
最初に気づいたのはレッドであった。
続いて異変を察したイエローの顔が恐怖に引きつる。
「え? なに? どうしたのよ?」
「ピンク……顔が……顔が溶けてるでごわす!!」
そう、落ちたのはピンクのまつ毛であった。
その他にも眉毛、唇、アイライン――。
ピンクの顔面のパーツが次々と重力に引かれ、下へ下へとずり落ちていくではないか。
「酸だ……強力な酸だーっ! 伏せろイエロー!」
「やばいでごわす! ピンクがやられたでごわす!」
「なにがどうなってるのよ……え?」
ピンクが目にしたのは水槽のガラスに映った自分の顔である。
そこにあったのは勝手知ったる自分の顔……ではない。
顔面全体が溶け落ちる様子たるや、まるでパニックホラー映画に出てくるゾンビである。
「ウギギギギギギギギィィィィィヤアアアアアアア!!!!」
声帯が裂けるのではないかというほどの叫び声と共に、ピンクは泡を吹いて卒倒した。
ピンクたちの様子を遠巻きに見ていた林太郎とて、これにはドン引きである。
そこにさも当然のように凱旋したサメっちは、いい笑顔で親指を立てた。
「アニキ、作戦成功ッス!」
「ああ、うん、おかえり……サメっち案外ポテンシャル高いね」
「えへへー、ほめられたッスぅ~」
「ねえサメっち、マジで酸とか入れちゃったの?」
「これ入れたッス!」
サメっちの手には、駅前でもらった試供品のボトルが握られていた。
“超強力メイク落とし『ネオアルマゲドン鬼』落ちすぎてアメリカでは発売禁止!!”
地層のように折り重なったピンクの厚化粧を根こそぎ溶かし落とすとは、輸入商品おそるべしである。
「なんかスゴそうだったから水のかわりに入れてみたッス!」
「うん、日本でも発売禁止にしたほうがいい」
パニックに陥るビクトレンジャーをよそに、林太郎はサメっちと手を繋ぎダッシュでムーンシャイン水族館を後にした。





