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レオ・レイマン

 注文した料理が二人分まとめて届いた。この店の看板メニューであるグラーシュだ。

グラーシュは、中欧やドイツのような内陸で食べられる牛肉の煮込みシチューだ。トマトベースのシチューには玉ねぎやニンジン、パプリカ・パウダーが入っている。しっかり煮込んだ肉はスプーンを入れただけで繊維がほぐれてしまうほど柔らかい。グラーシュ一つでも地域により入れる具材や味付けが異なる。バリエーションが豊富だ。

このレストランはシンプルに牛肉をメインとしながらも深みのある味付けをしている。今まで食べたグラーシュの中でも一、二を争うぐらいに美味しい。

 どろりとしたスープに浸かっていた肉がほろほろと口の中で崩れる。トマトの酸味が効いたシチューに舌鼓を打つ。ささいな悩みなどふっとんでしまう瞬間だと思う。

 向かい側の青年はうかない顔をしていた。気の毒なことに、彼の話が核心に迫ったちょうどその時に、料理の皿が運ばれてきたのだ。

彼の膨らみ切った探求心が空気の抜けた風船のように萎んでいくさまがありありとわかった。反比例するように、私には余裕が出てきた。

「青いヒヤシンスは偶然です。ヘンドリクス・マグヌスといえば、イーズ大学にいた偉大な学者ですし、私自身も尊敬しています。今日、イーズまで来る機会があったので、近くの店先で目に付いた花を持ってきただけなんです」

 嘘ではないが、本音でもない言葉が口先からつらつら出てくる。彼は「そ、そうっすか。そうっすよね!」と取り繕った笑みを見せた。

「いやあ、なんでこんなことを言っちゃったのかな。すんません、偶然見た時に、泣いているように見えて。気になったものでつい」

「大丈夫ですよ。あなたも花を供えにあそこへ?」

「そうっすよ。家訓のようなものっすよ。俺の家が……ああ、母方の、なんですが、ヘンドリクス・マグヌスの子孫に当たるんです。正確にはヘンドリクスが養子に迎えた姪っ子の子孫ですけど」

「へえ……」

 興味深い話だ。彼はヘンドリクス先生の子孫だという。

「直系はもういなくなっちゃったんで、傍系にあたる母が祖先の遺言を引き継ぎました。母は今首都に住んでいるので、俺が墓参りをしているんすよ」

 青い短髪に薄い顔。耳たぶに光る銀色のピアス。服装こそ、白のシャツに濃緑のジャケット、黒のスラックスと畏まっているが、ヘンドリクス先生の面影は微塵もない。あえて言うならよく動きそうな濃茶の瞳ぐらいだ。カトリックの聖職者だった彼は生涯独身を貫いている。女王の死後、養子を迎えたのだろう。

「うちの家系はやたら学者や教師になる人が多いんすよ。俺の母も教職についていますし、母方の祖父も大学に勤めていました。俺自身も大学院生やっていますしね」

「立派な家系ですね」

 青年はへらへら笑う。

「そんなこともないっすよ。俺、先生にはいつもダメなぽんこつ野郎だと思われている落ちこぼれっす。情けなくて笑って誤魔化してるんすよ。今日もうまくいっていなかったでしょ?」

「学生なら失敗して当たり前ですよ。成功する方が珍しいんじゃないですか」

「そうっすけど。もうちょっとうまくできると思ったんすよ」

 ちぇー、とふてくされながらも料理を食べる手は止まらないようだ。

「テーマはとても面白いと思いました。特に、あの手記が興味深かったです。どうやって見つけられたのですか?」

「ああ、あれっすか。うーん」

 彼はもったいぶったようにこちらを一瞥し、右耳のピアスをいじる。無意識の癖らしい。

「どうしてそんなことを?」

「もちろん興味があるから」

「うちの先生も最初はそんな感じで。いやもっとテンションがバリ高だったんすけどね。読んでいくうちにだんだんと険しい顔に……。結局、今日の発表には態度が百八十度回転です。あなたは……あ、失礼。名前を聞いてもいいっすか?」

「リディ・フロベール」

「リディさんは発表を聞いて、どう思ったっすか。あれが偽物だと思いますか?」

「正直、偽物の可能性は十分あると思う」

 当事者の私にも覚えがないのだから、ほとんど断言に近い言い方になってしまった。

レオ青年があからさまに落胆した素振りで、やっぱり、と呟く。

「ただ、本物を見ない限りは断定できませんよ。あれは《レポジトリ》で投影されたものを見ただけに過ぎないから」

 私は思い切って提案することにした。

「あの、厚かましいかもしれないのですが、本物を見せていただくことはできないでしょうか?」

 彼は少し考えた後、「いいっすよ」と請け合った。

「俺もあの手記の真偽をもう一度検証したいですし。リディさんも研究者でしょ? 見てもらったら何かわかるかも。ちなみに、どこの大学っすか?」

「いえ、大学ではないの」

「ああ、博物館や研究機関の人っすか?」

国立国民議会図書館(ポンパドーラ)に勤めているんです」

「へ……はい?」

 青年の動きが固まった。綺麗な濃茶の瞳が何度も瞬きする。

「採用倍率一千倍の超エリート集団っすよね……? え、本当に? あそこは年のいっている人が多いって聞いてるっすけど。リディさんっていくつ……?」

「たぶんレイマンさんと同じぐらいです。二十三歳です」

「お、俺、二十五……っす」

 嘘でしょ、と彼はうめいた。反応がとてもわかりやすい。

「てっきりもっと年上かと思った! え、思っていたより若っ! 二十三歳で国立国民議会図書館(ポンパドーラ)って、え、天才っすか!」

 すごいなあ! 青年の反応はあけっぴろげだったが、逆に二十五歳に年上だと分類された私は、こっそり傷ついた。

 しばらくして落ち着いた彼は、またピアスをいじる。今度は左耳だ。

「さっきも言ったように手記を見せてもいいっすよ。ただ、個人が所蔵しているものなんで、見せてもらうにも少し手間がかかるっす。わかり次第連絡しましょうか?」

「お願いします」

 了承した私は、すぐに彼と連絡先を交換した。話はとんとん拍子に進み、さっそく次の休みに手記を見に行くことが決まった。


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