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誰も彼を知らない


 アパルトマンに着いたのは、早朝に近いような時間帯だった。「お疲れ様」と疲労も見せないマクレガン氏の車が去っていく。

 選挙まで一週間。選挙終盤戦に向けて、多忙な毎日が続くのだろう。その中で私に付き合うことは相当な負担だったはず。けれどきっと彼はそれを口に出さないのだろうけれど。

 さて、アパルトマンの部屋には『マリー』が留守番をしている。私の帰りを待っている。

 扉の鍵を開けて、中に入る。真っ暗闇だった。照明をつけていなかったらしい。


「マリー?」


 照明のボタンを探して、壁を探っていると、足に柔らかいものがくっついた。「うえーん」とテディベアが涙声で、すがりついている。


「どこ行っていたの! 怖かったんだから……! こわかったんだからあっ!」


 何事かと思った。ちょうど部屋の照明がつく。絶句するしかなかった。部屋がめちゃくちゃに引っ掻き回されている。クローゼットや棚の中身がぜんぶ飛び出ているし、床に置いてあった観葉植物の鉢植えが土もろとも派手に倒れている。家具の位置も変わっている。カーペットがよれてめくれあがっている。


「何があったの」

「わかんない。覆面をした男がいっぱいね、部屋に入ってきて、荒らしていったの。たぶん、まだそんなに経ってない……。何かを探してたみたいだった……」

「そう。怖かったね」


 テディベアを抱き上げて、もう片方の手でバッグの中の携帯端末メルクリウスを操作する。


「……もしもし。警察ですか。今帰宅したところなのですが、泥棒が入ったようです。来ていただけますか?」


 警察に簡単な事情説明だけして電話を切る。そしてヘクセンに連絡を入れようか迷うが、彼も警察にいるならすぐに情報が入るだろうと思い、後に回すことにした。


「あたし、頑張ったのよ。早く出ていけって念じていたらパシン、パシンって部屋で音が鳴ったの。あいつらも驚いて出ていったみたいだった」


 今度はラップ音を鳴らせる能力を身に着けたらしい。それにしても泥棒は何を探していたのだろう。この部屋にそう金目のものは置いていないのに。すると、マリーがたぶん、これ、と自前のワンピースから小型メモリを出した。

 上司から託された中身のわからない小型メモリ。忘れておかないと、中身が気になって仕方がないからマリーに預けていたのだった。


「……とられずに済んだのね。えらいね」

「うん」


 ふわふわ頭を撫でてやると、テディベアはこころなしか嬉しそうに見える。


「あいつらね、チューベローズって言ったの」

「チューベローズ?」

「部屋から出ていく時、『チューベローズに報告しろ』って。きっとこんなところに喋るテディベアなんていないから油断したのだわ」


 チューベローズはたおやかな印象の白い花だ。香水にも使われるほどかぐわしい香りを放つ。チューベローズと呼ばれている人がいるのだろうか。どう考えても本名ではない。

 小指の爪ほどの大きさしかない黒い小型メモリ。持っていると危険かもしれない。そろそろ上司に返してもいいのでは?

 しばらくして、ドンドン、と扉が開かれた。それに肩を揺らして反応してしまった私は、なんだかんだ言っても家に泥棒に入られたことが怖かったのかもしれない。

 本当は両親にも報告するべき事件だけれど、今は余計な心配をかけたくない。しばらくホテル暮らしも検討しておかなければ。もうため息が止まらなくなる。

 ふと、チューベローズの花言葉を思い出した。たしか、あれは……『危険な快楽』、だったっけ。




 警察に聴取をされた後、早朝に上司を電話で叩き起こして、二日の有給休暇をもぎ取った。小型メモリのことは話さないでいたが、寝ぼけた上司から「ああ、あれはもうちょっとで済むからよろしくね」と言われた。実害が出ているのに何がよろしくね、なのだろう。


『もう少ししたらわかるさ。それよりも君はゆっくり休むことだ。こういう時はすぐにしんどさが追い付いてくるからね』

「……はい。気を付けます」

『家には居づらいだろうが、どこか行く当てはあるの?』

「近場のホテルに泊まるつもりです」

『わかった。そうしなさい。……選択を誤ってはいけないよ』


 上司は二度寝するからと通話を切った。その途端に体が数段重くなった。早朝の警察署前で蹲るわけにもいかず、近くのベンチに腰掛ける。

 ここ、西地区ガリバルディ警察署はヘクセンの職場だ。警察官は変則的な勤務をしているから、彼のことを聞けば出勤時間を教えてくれるだろう。

 傍で受付をしていた警察官にヘクセンのことを尋ねると、意外な答えが返ってきた。


「ああ、彼ですか? 彼はこの二か月ほど長期休暇バカンスを取っていますよ。バックパックで世界一周したいって意気込んでいましたね。そろそろ帰ってくるはずですが。……あら、大丈夫? 顔色が悪いようですが……」

「いえ……」


 指先から血の気が引く心地で、今度は別の人物に連絡を入れた。朝早いにも関わらず、その人は愛想よく対応してくれた。


『うちの兄貴ですか? はい、旅行中ですよ。昨日の夜にも連絡がありました。今、砂漠地帯をラクダで横断しているそうです。自由人なんですよ。見た目ですか? 私と同じぐらいで、背はあまり高くなく、体型もなかなか筋肉がつかないようでだいぶ細身ですよ。髪は普段は金髪に染めていることも多いですね。眼鏡もしていますよ』


 お礼を言って、通話を切った。

 内容を耳にしていたテディベアがぽつりと「別人みたいね」と呟いた。

 話を総合するとこういうことだ。

 私がこれまで『ムーラン・グロッタ』で会っていた『ヘクセン・クォーツ』はヘクセン・クォーツではなかった。俺と付き合ってみないか、と尋ねてきた()は――いったい誰だったのだろう。


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