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【マリー=テレーズ処刑裁判・第三の証人~判決】

 

 外を臨む細長い嵌め込み窓が白く曇っていた。一晩中使用していた暖炉の火が灰の中へ消えていこうとしている。新しいまきを入れてやる。普段、薪一つ持ち込むのも渋い顔をする役人が、今朝に限って好きなだけ持っていけと言って、入り口近くまで運んでくれた。

 そんな常とは違う朝に不安を覚えた。

 主が結露した窓に人差し指で文字を書いている。


「何と書かれたのですか」


 侍女が近寄っていこうとすると、主は慌てて掌で文字を消した。


「見せてくださればよろしいのに」


 主は優しい声で「内緒にしたいから」と答えた。達観したような表情に、侍女はきゅっと締め付けられる。世界で主の秘密を守れるのは自分だけで、わかりあえるのも自分だけ。かけがえのない時間は砂時計のように短い。

 主に残された時間はあとどれくらい?

 自分が共にいられる時間はもうわずか。

 この美しく完璧な人を生かせるのなら、自分はどんなことだってする。なのに、死にゆく主にこの気持ちは伝わらないのだろう。

 そう思うと、切なくてやるせない。涙がこぼれてしまう。


「泣かないで、アン」

「でも……ですが」

「もう大きくなったのに泣き虫アンだね。これからは涙を拭くこともできないのに」


 主は哀しそうな顔で侍女の涙を指で拭い、子をあやすように髪を撫でる。そして悲しみを共有するような長い抱擁を経ると、侍女の涙は止まっていた。

 主は自分の首に下げていた金色のペンダントを外し、侍女に渡した。それは以前、侍女自身が主に贈り、それから長く主が身に着けていたものだった。

 陶器のように白くて細い首も、もうじき横に裂ける。ペンダントを着けられなくなる。

 主が何をしたというのだろう。何か罪をおかしたわけでもない。だが、この国は主に「死ね」と突きつける。

 同じ高貴な血を引いている主の従姉妹は、いまごろ華やかな宮廷で国政を取り仕切っている。宝石とレースで彩られた、色鮮やかなドレスと、王冠をかぶって。

 ここにいる主は心から望まない簡素な白いドレスしか身に着けることが許されないのに。ずるい、ずるい、ずるい……にくい。

 あの女。

 主人の人生を奪ったマリー=テレーズが、憎い。

 手首に巻かれたペンダントの鎖。ぶら下がるロケットが揺れた。









【マリー=テレーズ処刑裁判・第三の証人】

 あなたは無意識に胸元に手を置いていました。掴んだもの。それは金色のペンダントです。


「気になるの?」

「うん。何かを思い出せそうな気がして」


 あと少しなのに掴めない。棚と壁の隙間に入った小さなガラス玉を取ろうと苦心する時と似ていました。

 しばらくペンダントを見つめた後、「そういえば、名前を聞いていなかったね」と言います。


「マリー。あたしはマリーというの」

「私と同じ名前ね」

「……そうね」


 マリーは俯きながら足をぶらぶらとさせています。見た目はテディベアですが、その動きに少女の姿が重なるよう。昔の自分と不思議とよく似ているけれど、あなたよりは気が強くてちょっぴりわがままな女の子……。


 カンカンカンッ。

 法衣をまとったフクロウが、木槌を叩いて審理再開を宣言します。

 ギィ。

 法廷に入る大きな扉が軋み声をあげて開かれました。

 最後の証人は、黒いドレスを纏ったうらわかい女性でした。はじめに紹介されたときに、泣いていて顔さえ見せなかった人です。きっと彼女も王女と関わりのあった人物でしょうが、あなたの知らない人だと思いました。

 女性は証言台に立ちました。


「証人、名前を教えてください」


 裁判官の言葉に、しん、と辺りが静まり返ります。


「証人」


 再度呼びかけてから、フクロウはどこからか白いハンカチを取り出して、流れもしない汗をぬぐいます。あなたにはフクロウが何かに緊張しているように見えました。

 フクロウのオニキスの瞳に、あなたが映されました。フクロウはぐるんと首を振ります。何か伝えたいことがあるようですが、あなたにはわかりません。

 目の前で、枯草色の物体が音もなく転がり落ちました。よたよたと立ち上がったモノ。それは『マリー』と名乗ったテディベアです。

 ぶるぶると震えながら、あなたを守るように立ちふさがりました。

 『マリー』は物言わぬ証人を警戒しているのです。

 この時になってようやく、周囲の異変に気が付きました。

 法廷にいるすべてのカラスが、まるで石像のように微動だにしなくなっていることに。そのために法廷はおそろしいほどの静寂に支配されていたのでした。「アン」と、女は名乗ります。

 ようやく顔が見えました。青白い顔と、虚無に満ちた青い眼。あなたを憎しみの視線で串刺しにしています。ざっと冷水を浴びせられたように身体の奥が冷たくなる心地がしました。


「返せ」


 女が発したのはたった一言。首の後ろに熱が走りました。

 カシャン。足元に何かが落ちる音。

 鎖の千切れた金色の、ペンダント……。

 カシャン。

 カシャン。

 カシャン。

 頭の中でいくつもいくつも音が反響しました。


「××! ××! ……×ディ!……リディ!」

「あ……、あれ?」


 耳に、テディベアの叫んだ声が届きました。『リディ』。マリーがそうあなたを呼ぶのです。だからあなたは『リディ』という名だと思い出しました。

 そこから頭の回線がクリアになっていき、あなたは……()は、ようやく自分を取り戻す。


「……ここは?」

「バカ! バカ! バカ!」


 マリーが足に縋りついてくる。マリーがいるならまだ安心はできるけれど、どうにもここに来るまでの記憶が不明瞭だった。靄がかかって何もわからない。

 フクロウと視線が交錯した。白いメンフクロウ。ここにいるとは。

 キィ。フクロウは応えるように啼いてみせる。

 もう法衣は纏っていない。一段高い裁判官の席から飛び立ち、法廷の空中を旋回した。

 私は落ちたペンダントを拾おうとした。寸前、別の手が奪い取る。

 アンと名乗った女だ。彼女は自分の首にペンダントを賭けようとした。が、落ちた。

 なぜならば、彼女の首はとても外れやすく、かけてもかけても滑り落ちてしまうから。

 何度も何度も試している彼女を見て、私は確信した。

 『大鴉の塔』と『フォルテンシア城』、どちらでも目撃した首の取れた女性。その正体がこの『アン』だということに。

 アンは諦めてペンダントを手に持ち、法廷の中央に立った。

 検事総長のカラスが金縛りから解けたように、語り出す。


「マリー=テレーズは人の命を奪っておきながら、のうのうと生きていた。自分の身に余る地位を盗み、自分のものとした。それだけで重大な罪である。さらにもっと罪深いのは、それでも罪悪感を覚えぬ人としての倫理と道徳に欠けた悪魔であること。ただ、存在していたことも罪である。よって、死刑に処すべし」

「無茶苦茶だわ!」

「検察側は、我らが女王に下されてしまった刑と同等以上の刑を求める。罪人マリー=テレーズを断頭台へ!」


 待って、とマリーは叫んで裁判官のフクロウを見上げる。だが、フクロウはキイキイ啼くだけで裁判官席に戻らない。役立たず、と毒づいた。

 空席となった裁判官席。そこに無表情で座ったのは、アンだった。フクロウの代わりに木槌を振り下ろす。

 ずっと沈黙していた陪審員席のカラスたちは、順々に自分の見解を述べていった。


「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」「死刑」……。


 全員一致の「死刑」。

 女は冷たく私を見下ろし、小さく呟いた。


「マリー=テレーズを断頭台へ」


 判決は死刑。

 信じられなかった。なんてあっけない判決なのか。

 しかしすぐに法廷にカラスたちが運んだ木製の断頭台が設置され、カラスを模した鉄仮面をかぶった巨躯の男が斧を持って現れた。

 法廷中のカラスが私の身体を押さえつけにかかる。テディベアがわめいたものの、力及ばずどこかへ投げ飛ばされたようだった。「ひどい」という声だけが耳に届く。

 断頭台のくぼみに頭を押さえつけられ、膝はがさがさしたむしろで擦れて痛い。

 一応は私だって女王をやっていたぐらいだから凛然とした態度を取るべきなのだろうが、断頭台に頭を押さえつけられ、視界が黒く閉ざされると恐怖が襲ってくる。

 ここはどこか現実とかけ離れている。しかし、現実と繋がっていないとは誰も断じることはできない。夢の中で死んだら現実の私も死ぬのではないか。頭をよぎる。


「罪人よ。最期に何か申し述べることがあるなら述べよ」


 女が私に告白を促してくる。彼女の望みは私の死。彼女はきっとジェーン=アンナの近くにいた人なのだろう。だからこそ憤り、量刑があらかじめ決まっていた『マリー=テレーズ処刑裁判』を開いた。

 私はここに来た時点で、彼女の掌の上だった。それこそ、マリーが以前言っていた『目蓋の裏側』の世界。巻き込まれたら戻るのは至難の業だ。

 私はてっきりジェーン=アンナが現われるものと思っていた。なぜなら、女王を責めるもっとも正当な権利を持つのが彼女だから。

 ……けれど、どこまでもジェーン=アンナは現れなかった。法廷では空の玉座が主を待っていた。

 金色のペンダントに刻まれた『わたくしの最愛』『ジェーン=アンナ』を思い浮かべ……。ふと、私は何か勘違いしているような気がしてきてならなくなった。

 なにか、違和感がある。おかしなことがある。

 見逃してはならないものを見逃している。

 たとえば金色のペンダント。『わたくしの最愛』『ジェーン=アンナ』と本人が刻んで、愛しい人に贈ることは何もおかしくない。だが、最愛のジェーン=アンナに対して誰かが贈る可能性だってあったはず。『わたくしの最愛であるジェーン=アンナ』へと。

 アンがペンダントに執着していることからも、ジェーン=アンナにペンダントを贈ったのは彼女だろう。だとしたら、あまりにおかしい。首を切られたのはアンではなく、ジェーン=アンナであるはずだ。

 アンの髪の色は金、瞳は青。背丈もほぼ同じ、容姿もどことなく似ている。

 ジェーン=アンナの処刑は、ごく内々で行われたもので、王族の立場から首を晒すことはなく、すぐさま棺桶に入れられていたという。処刑人が落とした首を掲げることもなかっただろう。

 そう、こうは考えられないか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてアンが事あるごとに呟いてきた『王子様、わたくしは秘密を守ります』の意味。リシュム卿が口を封じられたその続き。風変わりな肖像画。

 美しくはかなげな悲劇の姫君ジェーン=アンナ。けれど、彼女の心は。本当の彼女は。

 ()()()()()()()()()()()()()のではないか。

 私は懸命に断頭台から頭を持ち上げて、すべてがひっくり返ってしまう疑念を口にした。


「……ジェーン=アンナの心は、男だったの?」


 目の端で、フクロウが滑空していた。白いメンフクロウがまっすぐと目指したのは、裁判官席や陪審員席のさらに奥の空間。玉座が設えられていた。

 その傍らに誰かが立っている。

 ズボンを履き、短い金髪を撫でつけているから男性だろうとはじめは思った。


「アン」


 その声は高くもなく、低くもない。少し掠れた中性的な声だ。


「殿下……」


 硬直していた女が、玉座を振り返る。私の背中を押さえつけていた力も消えた。

 立ち上がろうとしたものの、腰が抜けて尻餅をつく。


「ジェーン、アンナ……」


 女は玉座の男に抱き着いた。「お会いしたかった」「アンはずっとお待ちしていたのです」と話しかけている。

 なんということだろう。私の憧れ。私の理想。それらはぜんぶ、私自身が勝手に見ていた偶像に過ぎなかった。誰に羨望し、誰に嫉妬していたのだろう。すべてが完璧な彼女は、心の中でいつも葛藤している私とはまるで別の次元に生きていると思っていたのに、そんなことはなかった。彼女も人知れず思い悩んでいる一人の人間だった。考えれば当たり前のことに、衝撃を受ける。


「アン。彼女は僕の一人きりの従姉妹だから傷つけないでくれ。彼女を傷つけることは、僕を傷つけるのと同じなんだよ」

「ですが!」

「死んでまで憎しみに囚われるのはやめよう。僕が処刑されることは、やむを得ないことだった。これでも受け入れようとしていたのに……アンは、許せなかったんだね。僕のために無茶をして。もういいよ。いこう」


 男はアンの肩を抱き、後ろを向いた。肩越しの青い眼が、私(マリー=テレーズ)を見つめる。


「君は、世間を欺いていた僕を恨む?」


 私は懸命に首を左右に振った。


「思わない。本当の自分を隠し続ける辛さはわかるから」

「やっぱりそうだと思っていた、親愛なる僕の従姉妹よ。……実は、君なら理解してくれるのではないかと期待していた。ずっと、話をしてみたかったよ」


 かすかに笑い、ジェーン=アンナは……いや、ジェーン=アンナとして生きた男はアンとともに法廷を出る扉を出ていこうとする。

 思わず、「私も同じだった!」と叫んでいた。

 その声が届いたのかわからない。

 ただ、扉を押さえていたフクロウが、キィ、と啼く。

 暗転。





 いつの間にか握っていた携帯端末メルクリウスが着信を告げた。電話が来ている。

 ここはフォルテンシア城。

 肖像画の前で立ち惚けていた私がしたのは、通話のために画面に表示された「ヘクセン・クォーツ」の文字を見つめることだった。

 不思議と気持ちは凪いでいた。




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