【マリー=テレーズ処刑裁判・休憩~第二の証人】
「ねえ、××。聞いているの、ねえ!」
「なに?」
高椅子に座ったテディベアが手足をばたばたさせて、自己主張するに、あなたは彼女の問いかけに無反応だったようです。
おかしいなと思いました。だって本当に声が聞こえなかったのですから。『××』と呼ばれても、音が耳を素通りするだけで何と呼ばれたのかも理解できないのです。
「しっかりしてよね。なんでそんなに頼りないの。今にも死にそうな顔をするのもいや。だれがあたしを引き留めていると思っているの。あたしを救うのは××なのに!」
「ごめんね」
と、あなたは言います。すると彼女はショックを受けたように項垂れました。ぬいぐるみが涙を流せるのなら、きっと大粒の玉が落ちていたことでしょう。
「ずるばっかりね。そうやって謝れば何でも済むと思って。本当にわかっているの? この裁判は、長引くほど××には不利になっていくものだわ。死刑判決でも出てしまったら戻ってこられなくなってしまうの!」
「そうなの」
あなたにはぴんと来ませんでした。女王(マリー=テレーズ)に戻ったところで、誰があなたを待ってくれるというのでしょう。
「あたしばっかり必死になっているのね」
少なくともこのテディベアはあなたの帰還を待っているようです。それをうれしく思っているのに、なかなか口に出せませんでした。
落胆するぬいぐるみの頭を撫でました。蒲公英の綿毛のようにふわふわです。
「つ、次! またすぐ始まるわ!」
あなたは顔の前の白いヴェールを下ろし、黒ビロードのドレスの皺を整えました。
裁判官が二人目の証人の入場を告げます。
【第二の証人 リシュム】(抜粋)
『スティーヴ・リシュムはジェーン=アンナ王女の夫としてその名が挙がる人物であるが、王女の夫という肩書以上のことは何も出てこない。彼が王女と結婚したのは彼の父の働きかけによる完全な政略結婚であり、また王女と暮らしをともにしたのも一週間にも満たない短い期間だったとされている。
彼自身はマリー=テレーズ女王即位後に捕縛され、『大鴉の塔』で父とともに処刑された。当年二十五歳。見目麗しさは評判にもなったが、万事意志薄弱で父の意向には逆らえなかったという』
『王国人物大事典』より一部抜粋
耳を塞ぎながらでも聞こえてくるカラスの大合唱。
一人の男が証人として現れました。
二番目の証人、リシュム卿です。ハンサムな顔立ちな青年です。しかし、法廷に居並ぶ裁判官や検事総長を恐れるような小心者の目をしていました。
両脇について歩く小さなカラスを気にして、落ち着かなさそうに歩いてきます。
彼は神へ真実の誓いを述べると、検事総長のカラスがまた前に出ます。書類を眺めながらはきはきと問いかけました。
「リシュム卿。あなたは我らが女王の伴侶であり、父のリシュム侯爵とともに女王の擁立を促した。その功績は称賛すべきものである。今日はマリー=テレーズの処刑を諮るための法廷であるが、あなたの意見を聞かせてほしい。あなたの死には何者が関わり、そしてその伴侶を無念の死に追い込んだのか」
「……マリー=テレーズと、その一派です。あの女がいなければ何もかも上手くいっていた」
「では、被告への処罰は何を望むか」
「僕と同じ刑を望みます。死刑。首を落とされればいい」
昏い目の男は被告人席のあなたに向かって唾を吐きました。テディベアが「あなた、失礼だわ!」と騒ぎ出しますが、ほかに周囲で咎めた者は誰もいませんでした。しかし、彼女を注意する者もまたいなかったのです。
あなたとテディベアは、法廷では『いないもの』として扱われているようです。被告人に口無し、主張する機会さえ与えないということでしょう。
ジェーン=アンナもかつて同じ気持ちを味わったのでしょうか。
あなたは目を上げて裁判官を見据えました。
「被告人、何か言いたいことがありますか」
なんと視線を受けた裁判官のフクロウが、意見を求めてきたのです。カラスたちの非難する目があなたとフクロウの両方に注がれますが、フクロウはたじろぎながらも撤回はしませんでした。
「自分の行いを正当化するつもりはありません。ただ、証人には自己の意思の有無と、政治家としての良心を問いたく思います。リシュム卿は、王配としての責務を尽くすつもりはおありでしたか?」
リシュム卿はぎくりと肩を強張らせる。彼が自信なさげなのももっともなことだ。彼の振舞いはあまりにも放埓すぎた。まともな神経を持つなら、法廷という場で語るにはためらわれる。
「あとから聞いたことですが、リシュム卿は王宮に住まったわずか数日の間、昼夜を問わない十度の宴を行っているはずです。名目は特になく、ひたすら享楽のみを追求したものだったとか。また愛人たちへの過剰な贈り物で無駄な浪費を重ね、国政では自分の意に沿わないという理由のみで五人の罪人を作り、そのうち二人を絞首台に送りました」
ふむ、とフクロウが翼の先を顎につけます。器用です。
テディベアは何も言いませんが、珍しく感心したような目を向けているのがわかります。
「リシュム卿は、ご自分がジェーン=アンナ王女の夫としてふさわしい行動をされていたと思われますか?」
リシュム卿は端正な顔を歪ませ、ぶるぶると震えた。顔が赤黒くなります。
「ぜんぶ、父上とアンナが悪い。僕を無視して何でも進めていた。僕はあわれな被害者だ。マリー=テレーズも、僕からの恋文もぜんぶ、無視した」
その言葉で、場がしいん、と静まり返ります。
カラスからしたら、マリー=テレーズへのラブレターは裏切り行為そのものに見える事でしょう。しかし、訂正したいところもあります。リシュム卿から恋文らしきものはもらったことがありますが、それは獄中からのものでした。彼の恋心は自分の生命線と深く結びついていたに違いありません。あなたもそれをなんとなく察していたことです。
「みんなみんな、僕をのけ者にする。誰も尊敬しないし、誰も見向きもしなかったのに、どうして僕が殺されなければならなかったんだよ! 僕が何をした!」
あの女!
リシュム卿は興奮して、その場にいない女性の悪口を言います。
「ジェーンのせいだ。美人だけがとりえなのに、一度も抱かせなかった! 夫である僕をずっと拒みつづける妻がいると思うか? 夫婦? そんなものになったことはない。それなのに大逆罪で死刑だ。ばかげていないか。いい思いの一つでもさせてくれてもいいはずだ。
ああ、でも無理か。なにせ実は、彼女……」
「やめろ! 口にしてはならぬ!」
何かを言い出しかけたリシュム卿の口に、カラスが突進しました。
嘴が、リシュム卿の白い喉を突き破ります。男性はそのまま仰向けに倒れました。
「休廷! 休廷!」
フクロウはやむなく一時の休廷を宣言し、二人目の証人が退場していきますが、あなたは直視できませんでした。
あなたは緊張の息を吐き出して、後ろの椅子に座ります。
「お疲れ様」とテディベアが声をかけました。
「いい感じだわ。きっとどうにかなる」
「そうね。信じる」
今のところ役立っていないテディベアですが、存在するだけで心強く思えてくるものです。痛々しいリシュム卿のことは気にかかりますが、それでも力強く頷きました。
ただ、三人目の証人こそが、この処刑裁判の本番であることにあなたはまだ気づいていないのです。その証人こそが、最悪の判決を導くことになるのですから。




