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肖像画


 年配の男のスタッフがすたすたと前を行く。

 小さな城は、大広間への通路を除いてはかなり蛇行して、どこへ繋がっているかわからない。小さな箱の中をひたすらぐるぐると回っているだけのようだが、暗さの中ではそれも判然としないのだ。

 人の喧噪などはるか遠く。蜂蜜色の砂岩に囲まれたさびしいところまでやってきてしまった。


「主人は多忙な方であるため、あなたにお付き合いされるのは難しいということで、わたくしを遣わされました。つきましては、主人が聞かせるようにと仰せつかった物語をお話しましょう。あの肖像画には不思議な話があるのです」


 三百年前のこと。王女の侍女をしていた女性が、フォルテンシア城主に嫁いだ。はじめ、肖像画もその奥方のものだと伝えられ、大事に収蔵されていたという。

 だが百年前にさるオークションで肖像画の元の額縁が見つかった際、そこに「ジェーン=アンナ」と刻まれていた。そこで王女の肖像画だということが証明されたわけだが、所蔵主はこの肖像画を表に出すことを恐れた。以来、一度も肖像画は表に出てこない。


「おそらく肖像画はその侍女だった奥方が、主人を偲んでいた遺品なのでしょう。王女の傍には常にその奥方が付き従い、処刑直前まで手を握りあって過ごしていたと言います。疎遠だった夫よりもはるかに心強い存在だったに違いありません」

「では、お嬢様。なぜ肖像画は表に出てこないと思われますか?」

「よほど不都合な事実がそこに含まれているからでしょうか? ジェーン=アンナの家系は、後の国王を輩出しているはずです。その血筋は旧王家にも繋がっていますね」


 この国の王朝の家系図を思い出しながら答える。


「なるほど。たしかに一理ある話です。多少なりとも関係はあるでしょう。王家はジェーン=アンナ王女の悲劇を多く利用して参りました。とくに、女王マリー=テレーズ死後の新しい王朝を開く際には、次の王朝が正統であることを証し立てるため、王女の悲劇をことさら強調し、旧王朝を批判するような手法も行われたようです。現代でいえば、プロパガンダ、あるいは情報操作の一環でありましょう。しかし、あの肖像画が封印されるべきなのは、別の理由からだと王子殿下はおっしゃっておりました」

「それは?」

「じかに御覧になってください。一目でわかります。……しかし、あまり長く凝視されないことをおすすめいたしますが」


 小さな倉庫のような部屋にやってきた。奥には赤いカーテンがかかるばかりで他に何もない。美術館の最重要展示物を飾る特別な空間に似ている。


「こちらです」


 かちり。天井の照明がつく。照度の低さに空間の不気味さが増す。二人の人間の影が別の生き物として生気を得ていくようだ。

 男はシルクのカーテンを両手で開き、私に見えるように横へどいた。


 一瞬、惚けた。

 それは想像していた肖像画とはあまりにもかけ離れすぎていた。

 このやせぎすの女性はだれだろう。

 男装姿をして、頬は骸骨のように痩せこけている。青い目だけがギョロリと爬虫類のように鋭く光る。薔薇色の頬はどこへ行った。太陽の光を束ねたあの美しい金髪は?

 彼女のおかれた状況を印象つけるように、背景は赤黒い色で塗りつぶされている。見ているこちらの頭を鷲掴みにするほどにぐらぐらと不安にさせる色だった。


「一度鑑定を依頼したところ、背景には本物の血が塗り込まれていたそうです。これは世の中に出すには忍びないとは思われませんか? 美術は人を癒すことはあっても、悪意で傷つけるものではあってはならないものですから」

「言いたいことはわかります」


 処刑直前の姿。だとすればこれほど人相が変わってしまうものなのか。私は、これほどまでに彼女を追い詰めてしまっていたのか。

 ちがう。私はもうリディ・フロベールであって、マリー=テレーズ本人とは別人であるはず……。

 ただ、ジェーン=アンナが女王を憎んでいるのを表現しているようで、心はどこまでも重くなる。

 肖像画の首元には、見覚えのあるペンダントをしていた。

 今も私の首元で光るペンダント。『わたくしの最愛』『ジェーン=アンナ』……。

 ぼとん。何か砲丸のような重いものが落ちる音がして、足元を見る。石床に転がる首の目玉と視線が交錯する。


 王子様、わたしは最期まで秘密を守ります。


 ひび割れた唇がこう動き。

 首は高く飛んだ。

 目の前が真っ暗になる。頭蓋骨が揺さぶられる。

 首が額にぶつかった、その衝撃が遅れてやってくる。

 床に崩れ落ちる刹那、私は女王の死の直前に感じたことを想起する。

 落ちる。深く、深く、落ちる。


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