二人の男たち
携帯端末にメッセージが届いた。
『ムーラン・グロッタ。午後七時』
心のどこかで彼は私を待っているのだろうか。
想像すると、胸がくすぐったい気持ちになった。
いつのまに。どうして。
私の場合、いつもこの問いとともにあって、周囲にばれないように気をつけ、息を潜めるものだった。
心を寄せてはいけない人だったから。
見ないようにしていたから、それが恋や愛と言えるようなものに結実していたかはわからない。
ただ、大事な人だった。
ヘクセン・クォーツがそのような存在になりつつあるのなら、私は以前とは違う決断を下してもいいはずだ。
底なしの真っ暗な谷に落ち、灼熱の業火に焼かれようとも、結果は間違いなく変わる。手を伸ばさなければ得られないのだから。
もしそうできたのなら、私は女王マリー=テレーズの望みを一つ叶え、リディ・フロベールという新しい人間が前に進んだことを証明できる。
けれど、教えてほしい。
ヘクセン・クォーツ。あなたはいつだって謎めいている。
奥の奥に仕舞っている宝石箱の中身は、なに?
フォルテンシア城。午後七時。
自宅のアパルトマンから運転手付きの車に乗せられて辿り着いた小さな城は、まるで少女の夢のように優しい光でライトアップされている。
私は黒のタキシードを着たマクレガン氏にエスコートされながら城の大広間に入った。
ドレスコードや他の客にふさわしいよう、ヴァイオレットのロングドレスを新調したが、思い切ってよかった。そうでもしなければ、紳士淑女が集まる騎士団の晩餐会に気後れしてしまうところだ。服装は自分自身にかける魔法のようなものだとつくづく思う。
「散々悩んでいたけれど、結果的は大成功だね。相談に乗った甲斐があったよ」
「ええ、ありがとうございます」
晩餐会で浮かないようにマクレガン氏にはいろいろと情報を提供してもらった。これほど彼に対して積極的に接したことはないぐらいに、折に触れて連絡を取った。
おかげでパーティーに紛れ込んだ一匹の田舎ネズミはちょこちょこと目的に向かって前進できる。
「マクレガンさんはこの晩餐会を何度来られていますか」
「そんなにはないんじゃないかな。二、三度だよ。ほとんど単身で参加して、いろんな関係者に挨拶回りをしたり、人脈を広げたりしていたね。僕自身はこういうにぎやかなところは得意じゃないんだ」
うそつけ……とうっかり言いかけそうになったが、黙っておく。主観と客観がずれているのはよくあることだからだ。
「休みの日は、大事な人と二人で公園へピクニックに行けたら幸せだよね。あ、つまり君のことなんだけど」
「めげないですね……」
つい先日までは多少なりとも落ち込んでいたのに。
しかし、えてしてこういう人が最後の最後に人生の成功者になるのはわかるような気がする。少しぐらい見苦しくとも、欲しいものは欲しいと言わなければ、何も事態は動かないからだ。
そういったいい意味での諦めの悪さは彼から見習うべき点ではあるけれど、はっきりと彼に対して「尊敬しています」とは言いたくない。鼻を鳴らしながら相手の鼻先を爪弾きしてやりたい気になる。
「二人でそれぞれ作ったランチボックスを持ち寄ってさ、君は好きに本を読んでいればいいし、私はそれにちょっかいをかけたり、昼寝したりする。そういう贅沢な時間を過ごしてみたい」
「疲れているんですか。選挙前だから特に」
彼は笑うばかりで答えなかった。
「そういえば騎士団の団長に連絡をつけてくださったとか」
「うん。まあ、あの方に頼み事する人は多いからね、そこはあっさり聞いてもらえたみたいだよ。たぶん、もう少ししたら、あちらから声をかけてくるよ」
「わかりました。今はとりあえず食べましょう」
私の宣言に彼は吹き出した。
「それはいい。晩餐会だから食べるのが一番だ」
楽団の生演奏が流れるダンスホールを尻目に食事の並んだテーブルに直行する。
あたりは人の声で満たされている。だが、妙に静かだと感じてしまった。理由は至極単純なことだった。しばらく身近にあった声がないのだ。
なぜならば。
ドレスコードの厳しいパーティーに、ぬいぐるみは持ち込み禁止だから。