フォルテンシア城への道
選挙前とあって、頻繁に演説会が開かれる。通例では演説会のあとにパーティーがあるが、彼の場合はパーティーを行っていないという。必ずしもやる必要はないからね、と彼は言う。しっかり話をしたい人は選挙スタンドまで赴くし、みんな演説会のスピーチだけでお腹いっぱいだろうからとのこと。
意外にも、彼は時間管理をきっちりしたがる。人と会うことは、自分と相手の時間に対する拘束を意味する。だからその分、有意義なものたれとするのが彼の信条だ。
早めに街中のカフェへ到着したので、注文したフォンダンショコラをつついていると、演説会終わりの彼は首のネクタイを緩めながら座り、額ににじんだ汗をハンカチで拭う。
「おまたせ。はじめてだね、君が個人的にアポイントを取るなんて」
「お忙しいところにお時間を取らせて申し訳ありません。実は折り入ってお願いがあって」
「そうか。どんなお願いかな? あ、ちょっと待っていて」
彼は立ち上がって、カウンターへ飲み物の注文に行った。キャラメルマキアートのカップを持って返ってくる。
「フォンダンショコラもおいしそうだ」
「……一口食べますか」
じっと見られた気まずさから尋ねた。彼は断るわけでもなく私の差し出したフォークを持って味見した。
「美味しいね。ありがとう」
「どういたしまして」
彼は心底幸せそうににこりと笑う。ふてぶてしさを感じるのは私だけだろうか。
そういえば、仕事の関わり以外でこの人に会うのはこれがはじめてかもしれない。
ふだん受ける印象と微妙に違うのはそのせいだと言い聞かせ、私はつとめて冷静に切り出した。
「マクレガンさん。単刀直入に言いますが、フォルテンシア城に行きたいんです。あなたにはその伝手があると伺いました」
「シモン騎士団のことかな。たしかに、私も騎士の称号をいただいているよ」
彼はカップのストローをいじりながらさして自慢するわけでもなく答える。
「フォルテンシア城には君の求めるものがあるのかな?」
「ええ、ジェーン=アンナ王女の肖像画があります。眺めるだけで構わないのですが、どうにかならないでしょうか」
「その理由は問わないでおくけれど。……つまり君は私を通じて、シモン騎士団の会合や晩餐会に行きたいんだね」
いいよ。君がそういうなら。
私の知る彼なら、そう朗らかに笑っていたことだろう。だが実際は同じ言葉でも響きが違い、その後の展開もだいぶ違っていた。
「ほかに好きな男ができたの?」
「え?」
「いや、何となくだけれど。前と雰囲気が違ったから。違う?」
「……それは考えないようにしているので、何とも言えません」
「そうか。……そうなのか」
彼はカップをテーブルに置いて、天を仰いだ。揺れる感情を振り切るように強い口調になる。
「ごめん。自分で思ったよりもかなりショックだったみたいだ。君は誰のものでもないことを忘れかけていたよ。私には当たり前のように何の権利もなかったのにね。あぁ、でも悔しいな、せっかくのデートだったのに。はじめて君のことを憎らしく思ってしまうかも」
彼はそう言って空笑い。
「シモン騎士団の件に戻ろう。フォルテンシア城に行きたいんだったね。ちょうど一週間後に会合があるよ。私も招待されていたのだが、選挙前だから迷っていたからちょうどいい。同伴者という形でなら連れていけると思うよ。ただそうするのなら、私からも条件を出してもいい?」
「内容によりますよ。私にできることなら」
慎重に伝えれば、彼はどうだろうね、と前置きする。
「なら、君は私の恋人にならなければいけないよ。一日だけの恋人にね」
すぐさま私は応じた。
「いいですよ」
「……は?」
今度は彼が驚いたように私を凝視する番だった。
その手からカップが滑り落ち、テーブルの下で大きな水たまりができる。
店員が飛んできて、床を掃除する。キャラメルマキアートの代わりを持ってくると言うのだが、彼はそれを断った。
私は内心、こうした反応を新鮮に感じたが、一見素知らぬ顔でフォンダンショコラの最後のひとかけらを頬張る。
「今、恋人がいるわけでもありませんし、一日だけということなら簡単なことです」
ヘクセン・クォーツの魅力的な誘いはまだ保留中のまま。保留中にしていてよかったと思う。誘いに応じていたら、こんな判断はできなかっただろう。
私はセドリック・マクレガンをやり込められたことでひそかな達成感を味わった。いつもは逆にやり込められた気持ちになることが多いから。
かくして、私はマクレガン氏の助けを借り、シモン騎士団の晩餐会へ参加することになったのだ。