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手放せないもの

 ボス? 元気? わたしは元気。チューベローズは今日もいい匂い。

 あら、焦っているの? 大丈夫。わたしたちの望みのものはもうすぐ手に入るわ。

 わたしたちは正義の味方だもの。

 だからもっともっと揺さぶりましょう。ボスは大船に乗ったつもりで椅子の上にふんぞり返っていてね。きっとアレを持ってくるから。






 国立国民議会図書館ポンパドーラ内のオフィスはいつもと同じような平穏とほどよい喧噪に包まれていた。

 調査のための古文書をめくっていたところ、自分のオフィスに引っ込んでいた上司がひょいと顔を出して、私のデスクの脇に立つ。

 ちょうど私の隣席の人々が席を外したところで、上司は切り出した。


「君の集中力はずば抜けているが、どうにも近頃、気を散らせることが多いようだね。さっきも鳴らない携帯端末メルクリウスに熱烈な視線を送っている」


 さっきも、と上司は言うが、それはおかしい。彼のオフィスはさきほどまでカーテンで遮蔽されていたはずだ。


「千里眼でも使っているんですか?」

「なに。僕にはたくさんの『目』があるのだよ。誰が何をしていたかぐらい、すぐにわかる」

「そうですか」

「ちなみにフロベール君が近頃、大事件に巻き込まれたことも知っているよ。メディアに行方不明のニュースが流れる前でよかったね」


 耳ざとい。「大鴉の塔」での一件をもう嗅ぎつけたらしい。


「……ご存知でしたか。今まで何もおっしゃっていなかったので、何も知らないものと思っていました」

「言わないから知らないなんてことはないさ。知人にも多くのマスコミ関係者がいる。今、『ブラックロペス=ゴットフリート』をつっこんで調査すれば、君の名前も浮上してくるよ」


 彼はすごいね、と上司は付け足す。


「今やもっとも注目される議員候補者の一人だよ。彼の手法はまさに劇場型だ。ド派手な演出と過激な発言、本人のカリスマ性と合わせれば、それなりの成果が表れるだろうとは思っていたが、彼の場合はすべてを理解した上での自己プロデュース力も秀でていた。要は、君は上手く利用されたわけだ。ジェーン=アンナ王女という恰好の餌を食いつかされてね」


 あまり愉快な話でないので黙っていると、デスクにいたテディベアが風もないのに横向きに倒れた。

 おや、と上司はすぐに気づいて戻すが、その際にきっちりとテディベアの体の向きを回転させ、テディベアの『彼女』に見られないように取り計らった。

 どっかりと、隣の席に座って足を組む。


「そうだ、君のひいきの議員はどうしているんだろう。まさか苦戦しているとも思わないけれど」

「贔屓の? 担当している方は複数名いますが、どの議員でしょうか」

「もちろん、かのセドリック・マクレガン氏に決まっているじゃないか。まさか忘れたのかい?」

「贔屓しているとは思っていませんからすぐに出てきませんでした」

「しらじらしいねえ。君にとっての唯一の人だろうに」

「いちいち引っかかる言い方をしないでください。室長、本題を早くおっしゃってはどうでしょう」

「本題? 雑談に本題は必要なの? 水に浮かぶ泡のように消えてしまうものじゃないか。君も新米のころはもうちょっとかわいげがあったのに、すっかり国民議会図書館ここの空気に毒されてしまっているね」


 上司がのらりくらりするたびに、相手にするのが面倒になってくる。どれだけ話の遠回りをすれば気が済むのか。


「どうにも最近の君は騙されそうで心配だ。()()()()()()()()()()()()()()()()。それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も、少しでも早く手放すことだ。君が今という時間に生きたいのならば」


 ひそやかな声音だった。歯切れのよい返事が口の中に消えた。

 首に下げたペンダントの重みがぐっと増す。


「……よくわかりません」

「僕はアンティークの宝飾品ジュエリーが好きじゃないんだ。ああいったものには執着と後悔が付きまとうからね。特に、死者が生前、大切にしていたものには触りたくもない。買うなら新品に限る。

 思い出はたしかに美しいさ。僕も別れた妻との出会いは昨日のことのように思い返すが、浸っていては前に進めない。元妻だって再婚してずいぶん経つしね。過去が君に悪意をもたらすならば、捨ててしまった方が君のため」


 上司はこう言いたいのだろう。

 私はリディ・フロベールであって、それ以外のことに縛られてはならない。縛られるぐらいなら胸のペンダントと同じように捨ててしまえ、と。

 けれど、私にはまだ記憶(マリー=テレーズ)が残っている。感情も残っていて、忘れられない。


「捨てられませんよ。それも私の一部ですから。悪意が来ても私の払うべき代償なら受け止めます」


 お気持ちだけは受け取っておきます、とお礼を言えば、上司は不可解そうな顔のまま。


「君の頭はときどきミステリーだよ。君、死んだらどこかに献体してみない? その脳の仕組みを解明したいよ」

「中身はふつうの人間と何も変わりません。変わっているのは室長の方ですよ。献体しなさいというアドバイスを人生ではじめて聞きましたから」


 ごほん。上司は誤魔化すように咳払い。

 今の仕事が終わったら報告してね、と言い残してまたオフィスに引っ込んだ。

 実りの無さそうな会話に、意図不明の言葉の羅列。日常的な仕事の風景だった。


明日も投稿予定

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